授業以外は肉体労働であったゆえ、身体の方もかなり悲鳴をあげているのである。
この忙しさのせいかどうか、お昼に「おむすび」と「コロッケ」でも食べようと、スーパーで購入したつもりが、いざ食べようとすると、「コロッケ」がない。
スーパーに置き忘れたか、どこかで落としたか、歳はとりたくないのである。
この忙しさのせいかどうか、お昼に「おむすび」と「コロッケ」でも食べようと、スーパーで購入したつもりが、いざ食べようとすると、「コロッケ」がない。
スーパーに置き忘れたか、どこかで落としたか、歳はとりたくないのである。
「しあわせ届けるくりぃむぱん」というパンを食べてみた。
まず、そのネーミングに惹かれて購入してみたのだが、ウン、ウン、なかなか美味いではないか。
能書きには「口どけのよい生地でカスタード風クリームを包んで焼き上げ、さらにカスタード風クリームを注入しました。」とある。
滑らかなクリームと、ぽてっとしたクリームの二重構造というわけだが、この融合は上手くいっているのではないかと思う。
後は、これからどのくらい「しあわせ」を受け取った「ヒト」が出てくるかということですな。
コロナの影響から午前中のみの授業が続いていたのであるが、ここのところコロナ騒動もやや落ち着いてきており、ひさしぶりの午後授業だったのである。
人間の身体というものは、どうも楽な方楽な方へ流れてしまうのが摂理であるようで、ワタシの身体も当然のこと楽な方へ流れてしまったのである。
例えるならば、まだ肩をつくっていないピッチャーが、さあ投げろと言われたような感じであり、違和感は否めないのである。
昨年もかなり長い休みがあったが、今年も去年ほどではないにしろ平常時の半分程度の授業であり、九月授業は大きなダメージを受けている。
台風16号の動きが不気味だ。
どうも今週の金曜日、静岡県に最接近しそうな雰囲気であるのだが、この日は写真展の準備を予定している日なのですぜ。
うーん、どうしよう。
今朝見た「チコちゃんに叱られる」では、コンセントの穴が何故二つなのか、刺身のトレーには何故菊の花、また合羽は何故カッパなのかの三本立てであった。
さて、その中で「菊の花」については、かつて(今でもそういう所はあるかも知れない)刺身についている菊は食べるものであった(殺菌効果などもあるという)ということだ。
つまり菊の花には「食用菊(しょくようぎく)」があり、特に食用として栽培されている。
インターネット検索では次のようにあった。
食用菊は、料理のつまに使われるつま菊などの小輪種、花びらのみを食用とする大輪種に大別される。生態、形態上で観賞用のキクとの明確な相違はなく、「阿房宮」「蔵王」「高砂」など、異なった特性を持つ多くの栽培品種が存在する。
菊そのものは、古代より中国で延命長寿の花として菊茶・菊花酒、漢方薬として飲まれていた。その中でも食用菊は、苦味が少なく花弁を大きく品種改良された。奈良時代に、日本で現在でも食用菊として栽培されている「延命楽(もってのほか・カキノモト)」が中国から伝来した。平安中期の927年に行われた延喜式の典薬寮の中に「黄菊花」の名が示されている。食用としては、江戸時代から民間で食されるようになったとされており、1695年に記された『本朝食鑑』に「甘菊」の記述が見られる。
ワタシも山形名物の「もってのほか」という食用菊は食したことがあるのです。
中には、「はり・灸・マッサージ治療助成券」、「公共施設・入浴施設利用助成券」として使用できるサービス券が入っていたのだが、この券は、もうひとつ「紙パンツ等引き換え券」としても使用できる旨が併記されていた。
ん?紙パンツ?
うーん、もうそんな歳になってしまったのだなあ。
一昨日、三年生の生徒に恒例の「○○神社の合格鉛筆(○○にはワタシの名字が入るのです)」を渡す。
皆、目標に向かって頑張ってくれるとイイナア。
週に一度の、運動機会を奪われてしまったのは、大変イタイのである。
現在午後二時であるが、御殿場の天気は非常に良い天気(晴天)であり、何でテニスをやる時間だけが雨降りなのかなあと、落ち込むのである。
このところ、こういうパターンが多く、さらに落ち込むのである。
写真で分かるように、屋根の上の鯱は金の鯱なのです。
ところで、ウィキペディアで鯱(しゃち)を見るとこうある。
姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物である。また、それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種でもある。
一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾も書かれる。江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている。 大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという(これは屋根の鴟尾と呼ばれる)。本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入れて使用したことで普及したといわれている。現在でも陶器製やセメント製のものなどが一般の住宅や寺院などで使用されることがある。
おおー、色々な事が分かったぞ。
右の写真が、昨日撮ったその屋根の上の鯱である。
この写真ではよくわからないが、色は名古屋城と同じ金色である。
鯱をのせる意図は不明であるが、家主にはきっと何か大事な意図があるのでしょうね。
ヒガンバナのように「私の立ち姿を見て」と訴えかけてもこないし、キンモクセイのように「この香りを楽しんで」と主張するでもない。静かに、秋を告げる。それがハギである。
しかし、万葉の昔には、人々の視線を釘付けにする花だったようだ。
万葉集で最も多く歌われている植物がハギで、140首を上回る。「秋風は涼しくなりぬ 馬並めていざ野に行かな萩の花見に」。
詠み人知らずの歌にあるのは、連れ立って馬に乗り、ハギを見に行く楽し気な様子だ。花見と言えばサクラではなく、ハギかウメだった。
左の写真は先日「平和公園」で撮ったハギである。確かにこの花は「静かに、秋を告げる」花である。
台風十四号は、だいぶ南にそれてきたようで、この時間の御殿場は静かなものである。
台風の進路予想というのは、最近かなり精度を増しているのだが、やはり最後の部分は何がどうなるのか分からないようで、今回のようにやや南にそれる進路となってしまうことも、あるようだ。
インターネットニュースを見ると、東京の御茶ノ水駅に、「お茶」と「水」だけの自動販売機ができたそうだ。こういうセンスなかなかイイよなあ。
「彼のテクニックと歌心に溢れた演奏は、この時代の若手の中では一頭地に抜きん出ている」、ここでの意味は「他より頭ひとつ抜け出ていること。また、学問や芸術などが他の多くの人より一段とすぐれていること。」である。
「一頭」は、頭ひとつ分の高さのことだが、問題は「地」である。「地」は何かと言うと、漢文で語尾に添えて語調を整える助辞なので実質的な意味はなく、「一頭地」も「一頭」と同じ意味である。
「頭ひとつ抜け出している」と表現すれば簡単なのだが、漢文表現をすると、リズムは良いのだが、どうも分かりにくくなるのである。
久しぶりにブログ用写真を撮りに平和公園まで出かけてみた。
目当ては「コスモスの花」だったのだが、最近「コスモスの花」には滅多にお目にかかれない。一体、「コスモスの花」は何処へいってしまったのだろうか。
写真のコスモスは今日撮ったものであるが、コレトテ僅かに咲いていたものを、必死に撮ったものである。
もっとも、今日は暑さも存分?だったので、身体の方が、本当に存分であったかどうかは、よく分からない。
台風14号が妙な動きをしている。
天気予報関係の番組も、その予報に苦労しているようだが、どうやら今週の金曜日・土曜日が、そのクライマックスになるようだ。
今日も一日曇りで終わるのかなと思っていたのに、午後からは雨がポツリポツリ、いよいよ雨が降るのかなと思っていると、今は降る雰囲気もない。
まったくもってハッキリしない天気である。
学校の方では、どうやら不織布マスクが必須アイテムとなるようだ。これから少し不織布マスクを準備しなければ。
今日は一年生の授業のみ、一時間だけの授業であった。
与えられた時間が少ないと、当然その時間は、とても濃いものになるべきなのだが、ワタシはなんとなくそれが苦手なのです。
濃すぎるものってえのは、後味があまり良くはないのです。
しかしながら、アルバムのすべての曲をソプラノ・サックスで吹くようなプレーヤーは、ほとんどおらず、大抵がテナーサックスを吹くプレーヤーが、気分転換に少しだけ吹くのが当たり前だった。ところがである。1976年、テナーの名手ズート・シムズがすべてをソプラノ・サックスで吹くという「SOPRANO SAX」というアルバムを出した。
今日、ふとこのアルバムが目に入ったので久しぶりに聴いてみたが、実に良いのです。
そう言われればハテな?である。
ウィキペディアには次のようにある。
イタリア語のa cappella(ア・カペラ)は、英語のin chapelに相当し、「聖堂で」「聖堂において」という意味の副詞句である。これが形容詞句・名詞句化して、教会音楽の1つの様式を指すようになった。
さらに(イタリア語: a cappella)は、簡素化された教会音楽の様式のことであり、またそこから転じて、教会音楽に限らず声楽だけで合唱・重唱を行うこと、またはそのための楽曲全般を指す。意味は「聖堂で」「礼拝堂で」の訳があげられる。起源として、グレゴリアン・チャントがある。日本語では「アカペラ」、あるいはイタリア語の発音に近い「ア・カペッラ」、英語発音に近い「アーカペラ」と表記されることもある。
また、ポピュラー音楽におけるア・カペラは、リズムやメロディーが一時的に停止したブレイク(空白部分)に歌唱部分を挿入したりすることや、無伴奏での歌唱のことを指す。
へー、知らなかったなあ。
例えて言うならば、「萩の月」という仙台銘菓があるが、このお菓子の底辺に平べったい「餅」を円形に切って敷いたようなパン?である。(例え方がこれは非常に難しいのです。)
チャレンジには拍手をおくるが、もう一度購入するかと問われれば「NO」であろう。
ところで、ここのところ毎回のように写真を載せている「金時力まんじゅう・金時亭」のマスコットだが、どうもこれは「お多福さん」のようである。
「おたふく」とは、顔立ちが丸く、額が前方に出ていて、頬が膨れた鼻の低い女性の「お面」だという。
「おたふく」は、多くの福を呼ぶ顔の女性という意味から、「多福」になったとする説が有力とされる。
最近のブログの写真は、近所にある「金時力まんじゅう」のマスコット人形?であるが、金時力まんじゅうは、力持ちの代名詞ともいえる足柄山の金太郎の名を頂戴したもち入りまんじゅうである。
お店のコマーシャル文句を引用すると、次のようになる。
「箱根のふもとでまんじゅう一筋40年、ついには富士箱根のお土産の定番とも言われるようになりました。黒みつ入りの衣のなかには十勝産の小豆で作った自家製つぶ餡、さらにその中心にはおもちが入っております。甘さは控えめとなっておりますので、男性やお年を召した方にも美味しく召し上がっていただくことが出来ます。むしまん、あげまんと2種類の味をぜひご堪能ください。」
ポイントは「黒みつ」と「おもち」なのです。
今日は山梨県側からも観測され、「初冠雪」であり、例年より二十五日早いのだという。
うーん、今年の冬はもうそこなのだろうか。
コロナの影響による時間割変更も、あと一日である(一日だとイイナア)。先週が1・2・3の授業であり、今週が3.4.6の授業なのである。先週はまだ良いとして、今週の3・4・5はコタエル。何てったって、毎回一時間目の授業があるのだから。「遅寝、遅起き」が習慣であるワタシにとって、コタエルのである。
「百人一首」の第一番目の歌は、天智天皇が、農民を思いやって詠じたと言われる「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」であるのだが、この歌、実は天智天皇の歌ではないそうだ。
万葉集には作者不明の「秋田刈る仮庵(かりほ)を作りわが居れば 衣手寒く露ぞ置きにける」の歌があり、「秋の田」はこれを元にし、さらにそれを改変して後代に伝わったとされる。
のちに「後撰集」という勅撰和歌集に収録されて以降、天智天皇の作として定着してしまったそうだ。
ナントいい加減な。
そう言えば、アフガニスタンの近隣の国も、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンと、ほとんどの国が「スタン」が付くのである。
これは調べねばと、早速検索してみる。
答えは簡単であった。
それぞれの国名の末尾についている「スタン」とは、ペルシア語で「土地」という意味。ペルシアの文化的な影響の強い中央アジアから中東にかけて国や地方の名称を形成する語尾(地名接尾辞)として用いられるペルシア語由来の言葉。一般的に、その地方の多数派を占める民族の名称の語尾に接続して、地名を形成する。語源は、インド・ヨーロッパ祖語の に由来する。
つまり、アフガニスタンとは、「アフガン人の土地」という意味なのだそうだ。
(ヘーベルハウスとは旭化成グループの建設会社である旭化成ホームズの一戸建住宅のブランド名である「旭化成ヘーベルハウス」のことである。)
さて、このコマーシャルではヘーベルハウスのことを「HEBEL HAUS」と表記しているのであるが、ふと疑問が起こった。
ハウスは家のことだから、「HAUS」ではなく「HOUSE」ではないのか?
そこでいろいろ調べると、次のようなことが分かった。
ヘーベルハウスとは、ドイツ語 の「Hebel Haus」のことを意味する。
ヘーベルハウスの最大の特徴は、その名称の由来でもある建材名「ヘーベル」(ヘーベルとはドイツのヨーゼフ・ヘーベル社と技術提携して日本に初めて導入されたALC⦅Autoclaved Lightweight Concrete⦆と呼ばれる軽量気泡コンクリートのこと。)を外壁・床・屋根に使用していることからの命名。
ふーん、そうだったんだ。横文字をみると、みな英語だと思ってしまうのは悪いクセですね。
(写真は、御殿場名物「金時力まんじゅう」のマスコットキャラクター?)
新聞のコラムで引用されていた言葉である。
さらに鷲田清一コラムでは「人間というものは、整った完全な存在ではなく、いつもなにがしかの傷を抱え、ミスもしょっちゅう犯す。そうしたブレを排除すべきブザマなものと考えるのではなく、それに片目をつぶるところから、ユーモアを孕んだ余白も生まれてくる」と続く。
チョイと安心する言葉だなあ。
せっかく二学期が始まり「さあ、これから」と、張り切っていたワタシにとっては、出鼻をくじかれてしまった感じである。
写真の花は、先日出かけたのに「本日休園」のパンチをワタシに食らわせた「秩父宮記念公園」の入口横に咲いていた「百日紅の花」である。
百日紅(さるすべり)は、樹皮が滑らかで、木登りの得意な猿さえ滑り落ちて登れないことからの命名ということであり、百日紅の漢字は、長期に渡って花が咲き続けるからということである。
ふーん、なるほどね。