ビートルズの音楽と物語は発見と謎の連続であり、それは未知の驚きとスリルにみちている。
ビートルズの記念すべきデビュー曲であるのが「ラブ・ミー・ドゥ」である。
この曲がレコーディングされたのは、1962年というから今から半世紀以上も前のことだ。
この曲についてジャズ評論家の中山康樹(彼はジャズ評論家であるが、ビートルズに関しての研究もスゴイのです)は言う。
「この曲は記念すべきデビュー曲である。だが、それがどうした。凡曲である。凡演である。聴くべきところはほとんどない。もちろん本書はビートルズ礼賛本の一種ではあるが、だからといって神聖化に加担する気はない。ダメなものはダメと声を大にしたい。ビートルズだから、ましてやデビュー曲だからといってありがたがることも自分自身に嘘をつくこともない。この曲をダメと断じる耳があってはじめて他の曲がいかに偉大であるかが理解できるのだ。」
ウーン、ここまで言われると、さすがのビートルズもきっと落ち込むだろう。
もっとも彼ら(今はポール・マッカートニーとリンゴ・スターしか生存しておりませんが)は、そのようなことはとっくに超越しているだろうが。
さて、ワタシも確かに「ラブミー・ドゥ」については、飽きてしまう曲だと思っていたのだが、後日あるテレビ番組で、ジャズピアニストの中山千尋がこんなことを言っていたのである。
彼女は、桐朋学園(音大)からアメリカのバークリー学院に進み、バークリー学院を主席で卒業の才媛である。
今はジャズだが、当然クラシックをがっちり勉強してきている。
その彼女がいうには、ビートルズの曲というのはクラシック音楽では曲を作る時に「こうしたらダメだ」ということを、すべてやっている曲があると。
しかし、そこに面白さがあり、凄さがあるとも。
その説明の例として、デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥー」をあげていたのである。
この言葉によってワタシの頭はハッと覚醒した。
確かに「ラブ・ミー・ドゥー」は退屈してしまいそうな曲なのだ。
そして、中山康樹のいう「凡曲・凡演」の理由もこれではっきりした。
この曲は作曲におけるダメなことをすべてやっているのだから。
しかしながら、この曲は、耳に残る曲でもあるのだ。
耳につくとでも言ったほうが良いのかもしれない。なにはともあれ耳から離れないのである。
ビートルズはやっぱり凄い。
ワタシも教師の端くれとしてこう思った。
「世の中でダメといわれていることにもう一度じっくり目を向け、さらに耳を傾けねば。」
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