こいのぼり
「江戸っ子は皐月(さつき)の鯉の吹流し口先ばかりで腑(はらわた)は無し」
(江戸っ子は言葉が荒いが、腹の中には何もなく、さっぱりとしている。)という川柳がある。
この川柳でもわかるように、江戸時代に生まれた「鯉のぼり」、当時は「鯉の吹流し」であった。それが今では「鯉のぼり」、これは一体どうしてなのだろう。
「鯉のぼり」の「のぼり」は「幟」である。
沼津にも「幟道(のぼりみち)」の地名があるが、その「幟」だ。
「幟」というのは、「吹流し」ではない。「幟」は日本における旗の形式のひとつで、長辺の一方と上辺を竿に括りつけたものを指す。本来は神を迎える招代(おぎしろ)として立てられたが、後に標識として用いられるようになったという。「幟」の代表的なものは、大相撲の本場所などに建物の外に力士の名前を書いて立てられるアレである。
一方「吹流し」とは、布などでできた筒を高所からぶら下げ、風向きや風速を目視で確認するための設備、とある。一般的には道路や空港などに設置されているものだ。
したがって、その形状からいうと、五月の日本の空にあがる鯉は、「鯉の幟」ではなく、「鯉の吹流し」と言うべきなのだ。(まあ、「べきだなのだ」とここで主張しても何の意味もないが。)現在では「鯉の吹流し」などとは、まず言わない。
さて、長年の「悩み」を解決すべく、今回この理由をじっくり調べてみた。そしてたどり着いた答えが、「鯉の滝登り」との混用であった。つまり、「幟」と「登り」の混用だ。
中国の「後漢書」によると、黄河の急流にある「龍門」と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが、鯉のみが登り切り、龍になることができた。これにちなんで「鯉の滝登り」が立身出世の象徴になったのだと。
要するに、本来「鯉の吹流し」というべきところを、「鯉の滝登り」という縁起の良い故事をふまえ、さらに「幟」の意味も加味した「鯉のぼり」にしたのだろう。
これが、民俗学の「み」の字も知らない私の、乱暴な推測である。
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