2014年2月7日金曜日

「ソチ五輪」始まる。


いよいよ「ソチ五輪」が始まった。
日本の選手はいつもプレッシャーをかけられ、それで駄目になってしまうことがあるので、われわれはソコだけは気をつけたいものである。
現在、女子のモーグルを実況中継しているが、やはりトップレベルの選手の技は凄いね。
急斜面で前方に宙返りするなど、信じられん。

寒い。
今年の冬一番の寒さか?
どうやら、次の土曜は太平洋側がかなりの地域で雪となるらしい。
普段、降らないところでも雪、これは大変なことだ。

2014年2月6日木曜日

二度目の佐村河内守

今日は衝撃的なニュースがあった。
NHKが昨年の三月三十一日夜放送した特集番組「魂の旋律(音を失った作曲家)」の主役、そして、このブログでも紹介した、佐村河内守(さむらごうちまもる)という聴力を失った作曲家、この作曲家が実は他人の作曲した曲を使っていたというのだ。つまり、佐村河内守は他人の曲を自分の曲として発表していたのである。
うーん、
その日のブログを見直してみると、私自身も偉く感動している。
「なんという生き様」などと言っている。
悔しいのでもう一度プロフィールを紹介してみる。

四歳から母親によるピアノの英才教育を受け、四年生でバッハやベートーベンを弾きこなし、十歳の時には母親が教えることは何もなかったという。中学生時代は音楽に邁進する一方、悪童としても名をあげ、番長との喧嘩や他校への出張抗争に明け暮れていた。しかしながら十七歳の時に原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症する。高校卒業後上京するが現代音楽の作曲法を嫌い音楽大学へは行かず、肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学ぶ。十九歳の時には家賃が払えず、アパートを追い出され、ホームレスになる。
以後ロック歌手としてデビューしたり、バンド活動をしたりしたが、二十九歳で聴覚異常により歌手を引退。三十三歳で映画音楽「秋桜」を手がけ、さらにゲームソフト「鬼武者」において確固たる地位を築く。ところが、このころから抑鬱神経症や不安神経症に悩まされ、常に頭の中に轟音が鳴り響いている状態があり苦しい中、作曲活動を継続。そして、ついに完成後五年の間、日の目をみなかった大曲「交響曲第一番」が2008年広島サミットで上演され(彼は広島の被爆二世である。)、一躍脚光を浴びる。現在は耳が聞こえない状態で作曲活動をするかたわら、精神科に通院し、一日に十五錠の薬を飲む生活を続けている。

このプロフィールも信じられなくなるのだろうか。

2014年2月5日水曜日

写真展コンセプト

今年の写真展のコンセプトは「下から目線」である。以下その理由を書いてみる。

「下から目線」

自分の写真をよく見てみると、ほぼ全てが「下から目線」であることに気がついた。「下から目線」、勿論(もちろん)このような言葉はない。あえて言うなら「下から視線」と言うべきである。国語辞典を引いてみると、「視線」とは「及ぶ視力が直伸する線」とある。すなわち、「主体が見ている対象と眼点を結ぶ線」が「視線」だ。
由緒正しき言葉「視線」であるが、なんとなくエラそうである。それに対して「目線」というのは、もともと芸能界の業界用語であったらしい。(業界というだけで、なんとなくイカガワシイ臭いがする。)それがテレビ全盛・カメラ全盛となる1990年代になって市民権を得て、盛んに使用されるようになったという。

「目線」は所謂「俗語」である。しかしながら、この「目線」という言葉、イカガワシクても私はなんとなく好きだ。そして「下から目線」は、さらに好きだ。(自分で勝手に造語しておいて、好きも何もないのだが。)大体、この言葉は謙虚である。「上から目線」というと、やや横柄な言葉があるが、それに比べれば実に謙虚である。そして、「下から」というところにやや卑猥さが感じられる。この謙虚さと卑猥さが同居するところが良いのかもしれない。


(写真は客が途切れたので、ネイルアートで遊び始めた受付嬢。)

2014年2月4日火曜日

豆撒き

写真展の会場に向かう途中、通りかかった神社で節分の豆撒きをやっていた。
縁起豆を五十円で買い(この豆を買うことにより、一回くじ引きができるのである。)、くじを引いた。
くじは五等であった。(よくわからんが、たぶんビリ等だと思う。)
五等は何かと少々期待したのであるが、これが何と十円玉。
十円玉ですぞ。
五十円払って、十円玉が当たるという、何だかわけの分からんくじ引きであった。
ただし、欲しい人には今年のカレンダーを与えるという、これも何だか分けのわからないこともおまけにあった。(カレンダーっていっても、もう二月ですぞ。)

さて豆まきであるが、何故、豆なのか少々調べてみた。
ちょいと胡散臭くはあるが、豆というのは「魔」を「滅」するところから来ているのだそうだ。
「豆」が「魔滅」となるのである。

2014年2月3日月曜日

「ベルス」のママ


コーンブレッド(紙ジャケット仕様)
「フォト2人展」の二日目。
今日は三十年ぶりに、お会いした方があった。

今から三十年以上前であろうか、沼津仲見世の通りから東にやや入ったとろに、「ベルス」という喫茶店があった。
インテリジェンスに満ちたマスターとエレガントなママがいて、とても居心地がよく私は月に何度もその店に通っていた。
ある時、店に行くとマスターの友人というプロのカメラマンがいて、私は無謀にもそのカメラマンに、たまたま持っていた自分の写真を見せた。

無論、マスターの知り合いということでの社交辞令だと思うが、なんとそのカメラマンが写真を褒めてくれたのである。
それ以来、図に乗った私は「自分は写真が撮れるぞ」という妙な自信を持ってしまったのである。
今思うとこれが自分の写真の原点のような気がする。

さて、その「ベルス」のママが写真展に来てくださった。
懐かしい時間が瞬時に現れては消えていく、そのような感覚であった。

写真はリー・モーガンの「コーンブレッド」というアルバムジャケット。
リー・モーガンというと、「サイドワインダー」とか「Vol3」が有名なのであるが、ビートたけしは、この「コーンブレッド」から「セオラ」を取りあげている。
この曲も「ベルス」のママ同様とてもエレガントな曲である。





2014年2月2日日曜日

N高教員フォト2人展

 2月1日、N高教員フォト2人展の開始。
Yさん、Tさん、素敵な受付け嬢ありがとう。
とても助かりました。

N朝日新聞社の取材あり。
数日中には記事になるとのこと、楽しみに待つことにしよう。

結構立つ時間が長かったので、足がガクガク、腰がビリビリになってしまった。

また、中学時代の友人との飲み会あり。
だいぶ夜遅くなってしまったので、これも疲れたぞよ。

しかしながら充実した一日というのは、こういう日を言うのであろう。




2014年2月1日土曜日

JUJU


Jujuウェン・ショーターというサックス吹きがいる。このウェン・ショーターの代表作でもあるのがブルー・ノートにレコーディングした「JUJU」である。
ショーターはある意味天才である。
十代では絵画や漫画も描いていたという。
勿論、テナーサキソフォンでも超一流の腕前、マイルス・デービスから執拗に誘われ、マイルスのバンドに参加したこともある。

この「JUJU」という作品は、伝説のジョン・コルトレーンカルテットメンバーにコルトレーンの代わりとして、ショーターが入ったというもの。
ここでの演奏は、まさにコルトレーンそのものだ。

ちなみに、日本の女性歌手のJUJUは、ここから自分の芸名をとったそうだ。