2012年3月7日水曜日

弥生(やよい)

三月の古名を弥生(やよい)という。「弥」(いや)は、ますますと言う意味。「いやさか」の「いや」である。「生」(おい)は、生い茂るの「おい」である。「いやおい」が「やよい」となったのだ。草木が生い茂ってくる季節、これが「弥生」なのである。因みに四月は卯月(うづき)。「卯の花」の咲く月なので「卯月」、また別の説に「卯月」の「う」は「初」(うい)、「初陣」の「うい」である。つまり四月というのは一年の循環のはじまる月、「初月」(ういづき)が「うづき」となったという説もある。
 この月が誕生月である私は、昔から三月が特別な月であったのだが、今年はさらに特別な月になりそうだ。

2012年3月6日火曜日

色即是空②

「色即是空」というのは、つまり「道理」であるようだ。同じものを見たり聞いたりしても、人によって感じ方が異なる。虫の音を聞いた時に、それを心地よい音と聞くか、うるさい雑音と聞くか、それは人によって、感じ方が異なるだろう。音楽を聴く、絵を観る、こんな時にもそれぞれ感じ方が異なってくる。これが「色即是空」らしい。人は各々の欲望によってこの世の見え方が異なってくるのである。

2012年3月5日月曜日

色即是空

この間、図書館から「マンガ般若心経入門」という本を借りてきた。マンガと名乗るだけあって、解りやすいことを一番の目的に置いているようだ。まだ読み始めたばかりなので、ちょっとだけ紹介してみる。般若心経の中の有名なフレーズで「色即是空」というフレーズがあるが、この本では次のように説明している。「色」というのは精神以外のすべての外界のもの、「即」はすなわち、「是」はこれ、そして「空」とは、姿や形、実体のないこと。つまり、「我々がいつも見ている外界のものというのは、実体がないものである。」くらいの意味だろうか。とても解りやすい説明だと思う。要するに我々が意識することによって、外界のものは存在するのだ。意識というのは情報、例えば「美人」は「どのような人が美人か」の情報によって存在する。したがって、その情報が異なれば、「美人」のあり方も異なってくる。日本の美人とアフリカのどこかの国の美人は異なるということである。

2012年3月4日日曜日

目玉焼き礼賛

遥か昔学生時代に、定食屋で「目玉焼き定食」という、ご飯にみそ汁、おかずは目玉焼きのみという定食を食べた記憶があるが、これはお金がないゆえの仕方のない選択だったような気もする。腹が減って、やっとかき集めたお金で食べたのが、「目玉焼き定食」なのだ。しかしながら、その美味さ、それはもう天にも昇る心地だった。
 考えてみると「目玉焼き」という料理ほど、簡単だが奥の深い料理はないように思う。形にしろ、色にしろ、これしかないというものである。三角とか四角の目玉焼きが想像できるだろうか。ピンクとか紫の目玉焼きが想像できるだろうか。あの黄みの丸い形、あの鮮やかな黄色だから良いのである。また焼き方ひとつとってもいろいろである。、黄みをやわらかくする焼き方、かたくする焼き方。さらに、目玉焼きに何をかけて食べるのか。ソースに醤油にマヨネーズ、塩胡椒というシンプルな方法もある。味を重ねるなら、ソースとマヨネーズあるいは醤油とマヨネーズ。(私はこれが結構気に入っている。)実に奥が深いのである。
 うん、明日の朝は「サニーサイドアップ」にしよう。

2012年3月3日土曜日

酣(たけなわ)

試験問題シリーズ(2)、読みの問題「酣(たけなわ)」であるが、「宴たけなわではありますが」の決まり文句に使用されるそれである。「酉」が「酒つぼ」を表し、「甘」が「うまい」を表している。意味は①酒を飲んで愉快になるさま、②真っ盛りであるさま。その他にも副詞として「思う存分に、愉快に、はなはだ」の意味もある。「酣睡(かんすい)」という熟語があって、思う存分に睡眠をとるという意味だ。
 H高の生徒も学年末テスト終了の今、「酣睡」をしているのではなかろうか。

2012年3月2日金曜日

女子力について

最近よく聞く言葉に「女子力」という言葉がある。「男子力」という言葉は、聞いたことがないので、これは女子特有のものなのだろう。「女子力アップ」というように使用される。正確には私も理解していないのだが、料理が上手になったり、おしゃれをしたりすることなのだろうか?これは以前の言い方をすれば、「女らしさを身につける」ことになると思うのだが、インターネットで検索してみると、女性のメイク・ファッションセンスなどのモチベーションなのだそうだ。
 何故このような言葉が出てきたのか私なりに分析してみると、今時の男性は、料理を器用に作ったり、おしゃれに気をつかったりするようになってきた。女性はその警戒感から「これではいかん、女性のアイディンティティがなくなってしまう」と考えたのではないだろうか。ずいぶん乱暴な意見だが。

2012年3月1日木曜日

就中(なかんづく)

「就中」という語の読みを試験にだしたのだが、その意味は「中に就く」こと、「直前に述べた事柄について、顕著なものを一つ例示する」ことである。それでは、「中」とは何か?「就く」とは何か?と考えてみる。「中」とは「ものの内側」である。それが「直前に述べたこと」か?また「就く」とは「ある方向に進む」ことである。それが「例示する」ことか?何だか難解である。結論を言えば「就中」という漢語に「とりわけ」の意味があるということだけなのだが。
 物事というのは、あまり追求して行くとかえって意味不明になってしまうようだ。人間もそれと同様に、あまり追求すると、何だかわけがわからなくなってしまうようである。