Louts Blossm
「Louts Blossom」は、「A列車で行こう」などを作曲したビリー・ストレイホーンの作品であるが、特に有名な演奏は、トランぺッター、ケニー・ドーハムのアルバム「静かなるケニー」に収録されているウォームなトランペットの音色と、静謐で美しい旋律が印象的な演奏である。
実は2020年にもこの写真展において「蓮の花」を展示したのであるが、前回とは異なる「蓮の花」を楽しんでいただきたい。
Louts Blossm
「Louts Blossom」は、「A列車で行こう」などを作曲したビリー・ストレイホーンの作品であるが、特に有名な演奏は、トランぺッター、ケニー・ドーハムのアルバム「静かなるケニー」に収録されているウォームなトランペットの音色と、静謐で美しい旋律が印象的な演奏である。
実は2020年にもこの写真展において「蓮の花」を展示したのであるが、前回とは異なる「蓮の花」を楽しんでいただきたい。
Swing Swang Swingin′
このタイトルは曲名ではなく、アルバムに付けられた云わば「アルバムタイトル」である。音楽プロデューサーであり、レコードレーベル「ブルーノート」の創設者でもあるアルレッド・ライオンは、アルバム名について言う。「彼らはやって来て、スイングし、そして別れた。ただそれだけ。だからこのアルバムを『スイング、スワング、スインギン』にした」。
リーダーのジャッキー・マクリーンというアルトサックス奏者は、実に不思議なプレイヤーで、「ピッチ(音程)のズレ、くすんだ感じの音色、スムースとは言い難い詰まった感じのフレージングが特徴だ」とある評論家。それでも多くのジャズファンに支持されたのが彼、大事なのはピッチを超えた何かなのだ。
写真は楽器を演奏する高校生たち、彼らも高校生活を十分にスイングしていたのである。
本日は午後から授業の日なので、午前中のブログ作成。
今回は、三枚組のうち一枚だけをこのブログに載せているのであるが、それではチョイと説明不足になってしまうものもある。
まあ、でもそれは他の二枚を想像してもらう、という点においては、それはそれで良いのかも知れぬのである。(こちらの勝手な理屈ではあるのだが。)
So What
「so what」は、マイルス・デイヴィスの歴史的名盤「Kind of Blue」に収録されているマイルス自身によって作曲されたものである。
ワタシは英語の専門家ではないのでいい加減なことは言えないが、「so what」というフレーズは、「誰も気にしないさ」とか「どうでもいいさ」、あるいは「それがどうした?」となるようである。
「それがどうした?」普段から強い物言いが多く、帝王と言われたトランぺッターマイルス・デイヴィスが、如何にも言いそうなフレーズでもある。
写真は、御殿場「二の岡神社」の国旗を掲げるためのポールだ。「こんなものを写真に撮るのか?」と言われた時にワタシは答えるのである。
「それがどうした?」。おおーまた言ってしまった。
さすがのワタシも(流石でもナンデもないのだが)昨日は疲れ果ててしまい、テレビニュースを見ているうちに寝落ちしてしまっていた。
やはり、この休みのない一周間は、ジジイにはキツイ一周間だったのです。
「Don’t It Make My Brown Eyes Blue」
長い曲名だが、カントリーで出発したクリスタル・ゲイルがジャズ色を入れたバラードである。
英訳はたぶん「私の茶色い瞳がブルーに染まる」であるのだろうが、歌詞をみると「あなたが去ってしまうことを考えると、私の茶色い瞳が哀しいブルーに変わってしまうのよ。わからない?」という意味合いらしい。
写真をヒツジにしたワケは、ヒツジの目をよく見ると、何となくブラウンに見えたからである。 何年か前、札幌にある「丸山動物園」のヒツジを撮った。北海道名物ジンギスカンにされる心配のないヒツジたちは、みな呑気にワラを食んでいた。
枯葉の原曲はシャンソンであり、1945年、ハンガリー出身でフランスで音楽家として活躍したジョゼフ・コズマによって作曲された(原題はLes feuilles motes)。そしてこの曲が1949年アメリカに持ち込まれた際、英語の詞が付けられAutum Leaves」となった。ワタシの好きな「枯葉」はウィントン・ケリーの「枯葉」であるが、「スウィングする8分音符」と「バッキングの妙を極めた」と言われる彼のピアノ演奏は何はともあれ、抜群なのである。
枯葉は「絵になる素材」、いや「写真になる素材」であるので、毎年何枚も撮るのだが「これは」というものはなかなか出て来ない。今回は久しぶりに気入った枯葉(一部は紅葉)があったので出してみた。
Satin doll
「サテン」とは、繻子織り(布に光沢感と滑かさを与える織り方)のことであり、「サテン・ドール」を直訳すると「繻子(しゅす)織りの洋服を着た人形」となるが、ジャズのスタンダードナンバー(デューク・エリントン作曲)としての歌詞は、男性が女性を賛美する内容であり、ここでは「いかしたあの子」くらいのニュアンスなのだそうだ。
そのなめらかなメロディーとリズムは、演奏者にも人気で、ジャズでは定番中の定番の曲である。
写真は我が家の「雛人形」、四十年ほど前に山形の祖母から贈られたものである。
女雛の着物がサテンかどうかは分からないが、その「お顔」をズームアップしてみると、日本が誇る人形作りの確かさと品が感じられる。
A Love Supreme
「A Love Supreme(至上の愛)」は、1960年代のジャズシーンを蒸気機関車のように牽引したテナーサックスの巨人ジョン・コルトレーン、彼の金字塔といわれるアルバムである。当時「音楽によって神の愛」を説こうとしていた彼のことを、聖者コルトレーンと呼ぶ人も少なくなかった。
さて、ワタシは「写真によって、神の愛ならず仏の愛」を説こうなどと、大それたことは思っていないが、「すべての人を幸せにすること」を使命としている「千手観音菩薩」を、このタイトルに当ててみた。多くの顔、多くの手、これらはすべての人を救うためのものなのだ。
写真は群馬県にある「水沢観音」で本堂脇の石像を撮ったもの、この石像はこれと言った由緒などないのであるが、何か惹かれるところがあった。
以前、スキーとテニスの師匠から「写真展にはしっかりしたテーマを」とアドヴァイスを受け(師匠はスキーやテニスをする時にも必ずテーマを持つ)、以後ワタシは必ず写真展においても明確なコンセプトを掲げることにしているのである。
コンセプト
今回の「気になるもの」のコンセプトは「ジャズを写真に」である。と言っても、音で成り立つ「ジャズ」は、その音自体を写真にすることは出来ない、したがって、ワタシは「ジャズ」のアルバムタイトルや曲名」を写真にすることにした。そもそも「音がズレることの面白さ」から始まったジャズだが、タイトルでも曲名でも、結構「面白いもの」がある。例えば、「SO WHAT」、この意味は「それがどうした?」となるらしい。ナント人を食った曲名であろうか。でもこれがジャズなのだ。
写真展は「ジャズを写真に」であるが、もし誰かに「ジャズを写真に、ん?」と言われたならば、ワタシは即座に言うだろう。「それがどうした?」。
さて、今回は八つのタイトル(奇抜なものもあれば、普通のものもある)を写真にしてみたが、果たしてジャズになったのだろうか。
閉館までのわずかな時間であったが、「高校を卒業してから毎年来場していただいているお客様」である彼女たちと、楽しく話をすることが出来た。
本当に毎年毎年アリガタイことです。
先週に続いて連続の中止はややストレスが溜まるが、一方このところ身体を休めることがなかなか出来なかったワタシにとっては、ちょうど良い休息日となったのである。
そろそろ写真展の総括を兼ねた、展示写真の紹介をこのブログに載せようと思っているのです。(乞うご期待)
写真は以前「秩父宮記念公園」で撮った品評会の菊。
「特定検診」の結果を踏まえた個人指導を受けるわけであるが、これは何となく試験で赤点を取った生徒が、今後の対策を聞きに行く態のようであった。
もうすぐ「後期高齢者」の歳に達するワタシとしては、アリガタイやらハズカシイやら複雑な心境であったのである。
写真展恒例の「ジョイントコンサート」には、およそ50名ほどのお客様があり、盛況のうちに終了することが出来た。
さて、昨日の疲れが残っている中での今日の授業ということで、ジジイとしてはそのパフォーマンスが心配されたが、そこはそれ、長年培った「要領良く」という武器で何とか平常パフォーマンスを維持することが出来た。ワタシはいたずらに歳を取っていないのである。(根拠のない自画自賛)
何はトモアレ、今日は源氏物語「光源氏の誕生」を講義したのである。
かつてN西高に在籍していた時の同僚で音楽教師のK先生とその仲間によるコンサートである。
相変わらずの「凄い声量」で会場を圧倒した。
同じ人間なのに、あの声はどこから出てくるのだろうか。
何はともあれ、今年も良いコンサートであった。
今日は開店直後から閉店間際までのお客で少々疲れてしまった。
しかしながら、いらしてくれるお客さまには感謝感謝なのである。
実に不思議なことなのだが、昨日この(「は」の字日記)というブログに、シンガポールから1227アクセスがあった。
何故だろう。うーん、謎だ。
今日のように「晴れ」ても暑くないのが「秋」という季節の特徴と思われる。
今年もやっと「秋」がやってきたのだ。
(写真は百日草。)
傷はそれほど深くはなく、血も出なかったのであるが、これが意外と痛いのです。
ちょうど指の皮が薄く削がれた感じで、「見た目はたいしたことがないのに、結構イタイ」というやつなのである。
今晩は傷テープでも貼って寝ることにしよう。
実際にはプレイ可能のコート状態であったと思うのだが、何と言っても年寄り集団、滑って転んで怪我でもしたら面倒だということで中止となったのである。
ああ、歳は取りたくないのである。
沼津の友人から静岡新聞に写真展記事が掲載された旨の連絡あり、さっそく御殿場の駅まで新聞を購入に。
割とシッカリした記事だったので安心をしたのです。
これほど授業がつぶれたのは、たまたま自分の休業日と学校祭関係の休日、さらに祝日を絡めたの連休が重なって、休日の多い十月となってしまったからである。
ただし、ワタシの方は自分の展覧会があったので、それほど休んだという実感はなくて、ここまでは苦しい十月であった。
さてさて、明日からは自分の態勢を整えることにしよう。
(写真はシュウメイギク)
今日は静岡新聞の写真展への取材があった。
やって来てくれた記者は、なかなか好感のもてる若者で、その故かワタシの方も随分長々と説明をしてしまった。
果たしてどのような記事になることやら。
写真展の方は、午前・午後ともお客があってそれなりに充実していた。
しかしながら、充実と疲労は裏表であって、今日は疲れる一日でもあったのです。
先日、写真展のケーブルテレビ取材があったのだが、今日はそのケーブルテレビを見てやってきたという方がいた。
少しナメていたが、ケーブルテレビ恐るべし。
今日は雨、雨の中来場していただいた方には本当に感謝である。
さて、このところのニュースは、異常な天気に異常なクマの出没、何だか良く分からないが、異常な国の政権の行方と、異常だらけの世の中を伝えている。
いったい、次はどのような異常がやってくるのだろうか。
先週、「秩父宮記念公園」で花を「まとめ撮り」した時のものだ。
明日からの三連休は、写真展のため沼津の会場まで行かねばならない、そのようなわけで今日は敢えて外出を控え英気を養っていた。
とは言うものの、お客が多く来てくれるという保証は何もないので、割と楽な連休になるかもしれませんがね。
やはり、授業は楽しいと思う。
ただ、問題は学校まで行くのが「大儀(面倒)」であるということだ。これが実に不思議なことであって、「嫌なところ」でなく「楽しいところ」に行くことが「大儀」なのだ。
さて、今「大儀(面倒)」と書いたが、「大儀」の意味を「面倒」とするのは正解ではないらしい。本来は「国家の重要な儀式」の意であり、「重大なこと」の意味として使用する。したがって、「面倒」な意は誤用ということである。
しかしながら、芥川龍之介の小説「羅生門」には、主人公の下人が立ち上がる場面で「大儀そうに」の記述があり、ここでは間違いなく「面倒くさそうに」の意なのである。
いつ頃からこうなったのかは分からないが、ワタシにとっても「大儀」は「面倒くさい」なのである。
ワレワレが利用している沼津のテニスコートは三日前の日曜日が「キャンセル」の限界日なので、この日の天気予報で判断しなければならない、ここを超えると「キャンセル」が出来ないのだ。
そこで迷う。小雨程度の雨のキャンセルにはキャンセル料が発生するし、小雨の中強引にテニスをすれば、ジジイ主体のワレワレは足元の悪いテニスゆえ危険が伴う、さあどうしようと。
結局、迷いながら「キャンセル」をしないまま今日を迎えたのであるが、結果は晴天。何はともあれ、今日は無事に出来て良かったのである。
ここのところワタシにしては忙しい日が続いていたので、今日は丁度良い休みとなった。
朝テレビを見ていると、「馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)」と言う言葉が出てきた。
馬上は「馬車に乗って移動している時」、枕上は「ベッドの上にいる時」、そして厠上は「トイレの中にいる時」のことである。
何れも「心身ともにリラックスしている場所」であり、「アイデアの湧く場所」でもあるということだ。
ワタシの場合はこれに「湯上」ということで、「風呂でお湯に浸かっている時」も付け加えたい。
(写真は「秩父宮記念公園」で撮ったマリーゴールド。)
今日の朝一は「ケーブルテレビ」の取材、カメラ担当者は沼津市役所からの紹介と言っていたのだが、面白いことに彼は御殿場での古典講座の担当者 でもあった。
お互いに顔を見合わせて「ナンデここに」となったのです。
初日の疲れからか、この日記を書くことを忘れていて、今(午後十一時)パソコンに向かった次第である。
朝から雨降りで客足が心配されたが、午前午後と、そこそこのお客さん。
今日はN西の卒業生中心の日であった。
十年前に高校三年生で来場してくれた生徒が、本日は赤ちゃんを抱っこして来場、おおー、これが十年なのです。
今年は特にそのニオイが多くの場所で感じられるのだが、キンモクセイの当たり年?なのだろうか。
写真は御殿場「平和公園」のキンモクセイであるが、ここからも強烈なニオイが感じられた。
金木犀の名前の由来は、その樹皮が動物のサイ(犀)の足に似ていることから「木犀」と名付けられ、白い花をを持つギンモクセイに対して、オレンジ色の花を持つものをキンモクセイとしたそうだ。
これは天の嫌がらせか、今週は今日だけが朝からずっと雨なのです。
また昨日と違い、今日の御殿場は気温もぐっと下がって、現在の室温は23℃である。
この時期、、これが普通なんでしょうな。