やはり、授業は楽しいと思う。
ただ、問題は学校まで行くのが「大儀(面倒)」であるということだ。これが実に不思議なことであって、「嫌なところ」でなく「楽しいところ」に行くことが「大儀」なのだ。
さて、今「大儀(面倒)」と書いたが、「大儀」の意味を「面倒」とするのは正解ではないらしい。本来は「国家の重要な儀式」の意であり、「重大なこと」の意味として使用する。したがって、「面倒」な意は誤用ということである。
しかしながら、芥川龍之介の小説「羅生門」には、主人公の下人が立ち上がる場面で「大儀そうに」の記述があり、ここでは間違いなく「面倒くさそうに」の意なのである。
いつ頃からこうなったのかは分からないが、ワタシにとっても「大儀」は「面倒くさい」なのである。
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