芭蕉の「軽み」の理念というのは、「高く悟りて俗に帰れ」だという。 これは「深く考えて易しく語る」ことであるそうだが納得である。
俳句というのは十七文字である。この世界で一番短い文学と思われる十七文字の中に、自分の思いを入れ込み、さらにそれを他人に理解させるには、考えて考えて考えた上での言語使用となる。
つまりこの姿勢は、教師の教える姿勢と重なるような気もするのだが、果たしてどうだろうか。
まあ、それには教える側の日頃の勉強も必要なのだろうが。
芭蕉の「軽み」の理念というのは、「高く悟りて俗に帰れ」だという。 これは「深く考えて易しく語る」ことであるそうだが納得である。
俳句というのは十七文字である。この世界で一番短い文学と思われる十七文字の中に、自分の思いを入れ込み、さらにそれを他人に理解させるには、考えて考えて考えた上での言語使用となる。
つまりこの姿勢は、教師の教える姿勢と重なるような気もするのだが、果たしてどうだろうか。
まあ、それには教える側の日頃の勉強も必要なのだろうが。
芭蕉というのは、かなり不思議な人物ということはウスウス知っていたのであるが、その番組では、芭蕉が江戸の町の「水道工事」を請け負っていたことを説明していた。
まあ、なんというか「水道工事」の仕切り人というのは、人々からの信頼と指導力、さらに工事にかかる費用を算出する計算力なども必要とされる、極めて優秀な人物でなければ務まらない人物だという。
ふーん、まったく知らなかったなあ。
昼の情報番組を見ていると、「たけみつ=竹を削ったものを刀身にして刀のように見せかけたもののこと。現代では、芝居の小道具として用いられる。」が話題になったのであるが、この番組の男性司会者(四十代前半)は、「たけみつ」が何であるか分からなかった。
さらに、次のニュース番組でもこのことが話題になり、次の番組の男性司会者(三十代後半)も「たけみつ」を理解していなかったことを白状していた。
うーん、「たけみつ」はもう死語になってしまったのか。
やはり、この時期(温度と湿度が極めて高い)のテニスは、ジジイにはコタエルのです。
日本のオリンピック組織委員会が、またもや妙なことになってきた。
それにしても、日本のスポーツ界というのは、どうして揉め事が多いのだろう。
と書くと、エライ目にあったように思われるかもしれないが、実際は車から建物に入るまでの距離がそれほどでもないので、ずぶ濡れとはならなかったのです。
写真は、先日「秩父宮記念公園」で撮った薔薇である。
薔薇というのは、どの角度から撮っても品格がある花だなあ。
午前中、久方ぶりの「月曜テニス」をやって、身体の中に十分に熱をためてしまい、その熱が身体にまだ残っているせいか、それともそのようなことは関係なしに、単に暑いのか、いずれにしても「暑い」のである。
昨日、鹿児島の桜島が噴火、桜島というのはなんと「生命力」を持った火山なんだろう。
昔からタコの足は八本、そしてイカの足は十本と認識していたのだが、それはマチガッテいたのである。
イカの十本の足?(イカやタコの足は一般的に足と呼ばれているが、ものを捕まえたりするその機能性からこれは学術書などでは「腕」というそうだ。)のうちの二本は触腕と呼ばれるもので、他の腕より長く、先が木の葉の形をしている。イカはこの隠し持った長い触腕を使って、一瞬にして獲物を捕まえることができる。この触腕には吸盤がついていて、一度捕まえた獲物は逃がさないようになっているとのことだ。
イヤー、この歳になるまで知らなかったなあ。
昼にアイスコーヒーを飲もうとした時、ふと思い出した。「おおー、そう言えば、ガムシロップとコーヒーフレッシュ(ミルク)があったわい、コレをいれようではないか。」
すぐさま、思い出した「ガムシロ&ミルク」をコーヒーに投入したのだが、一口飲んでみて思わずゲー。
「ガムシロ」だと思っていたものが、実は「マウス・ウオッシュ」という、食事後に口の中をさわやかにする医薬部外品であった。いつだったか、どこかのレストランから持って来ていたものだ。
「ガムシロ」と同じような、一回分の容器に入っていたので、まったく分からなかったのです。
それにしても随分間抜けなことをしてしまったものである。
味は、「可もなく不可もなし」といったところだろうか。
インターネットのコマーシャルには次のようにある。
『オレンジエスプレッソ&カルピス』を7月5日から期間限定で全国発売します。
『オレンジエスプレッソ&カルピス』は「カルピス」に、凍結したオレンジの果実から高圧で抽出したオレンジエスプレッソエキスとオレンジ果汁をブレンドしています。「カルピス」ならではの甘ずっぱさと凝縮されたオレンジの濃厚な味わいが楽しめるリラックスしたい時にぴったりの商品です。
パッケージは、上部にオレンジエスプレッソエキスが注がれる様子とオレンジ果実を描き、オレンジの濃密な味わいであることをわかりやすく表現しています。下部は「カルピス」を象徴する水玉模様をちりばめた鮮やかなオレンジ色を大胆に配し、店頭で目立つデザインにしています。
うーん、最後の「店頭で目立つデザインにしています。」にやられてしまったなあ。
家で育てていたその「ゴーヤ」が、いよいよ「ゴーヤ」らしくなってきた。
これは結構嬉しいもので、「御殿場のような寒冷地でもゴーヤはできるんや」と、密かにニヤニヤしたのである。
ワタシにはゴーヤというと何だか沖縄のイメージがあったのだ。
というわけで、水曜テニスは、ほぼ炎天下の中で行なう。
さらに、昨日の雨により湿度も上がりっぱなし、こんな時、ジジイは決して無理をしてはいけないのです。
またまた、というわけで、アンマリ頑張らないテニスをしてきたのです。
これは、手打ちうどんを打つ時の四季の温度変化に対する塩水の”塩加減”の口伝で、「土」は土用で、夏の暑い頃には塩一杯に対し水三杯を加えた塩水でうどんを打ち、寒い時期には塩一杯に対し水六杯の薄めの塩水を使い、春秋は塩一杯に対し水五杯で溶いた塩水がその季節のうどん作りにはちょうどいい塩梅(あんばい)という教えである。
口伝というのはスゴイよなあ。
さて、この「土用の丑の日」の「土用」とは何だろうか。色々調べてみると、次のようなことが分かった。
「土用」とは古代中国の「五行思想」から来ている言葉である。「五行思想」で万物は「火・水・木・金・土」の五種類の元素から成り立っており、この五つの元素を四つの季節に当てはめると、火は夏、水は冬、木は春、そして金が秋となる。
ただし、五つの元素を四つの季節に当てはめているので、当然一つが余ってしまう。それが土なのだ。そこでその土を利用して、それぞれの季節の前に「土用」という曖昧な時期を作った。
これから秋だと言う前の十八日間、つまり「立秋」の前の十八日間、これが土用(立春・立夏・立冬の前の十八日間も同様)である。
今年の「土用の丑の日」は、「立秋(今年は八月七日)」の前の十八日間の中の「丑の日」、それが七月二十三日ということになるのである。(因みに今年の土用の入りは七月二十日なのです。)
(写真は遥か昔に食べた、「沼津うなよし」の鰻丼。)
まだ二十代の頃、同僚と一緒に京都まで祇園祭りを観に行ったことがあり、とても懐かしく感じたのである。
さてこの中に「風流(ふりゅう)」、(「ふうりゅう」でなくて「ふりゅう」なのです。)という単語が盛んに出てきたのであるが、「ふりゅう」とは何かということをあらためて考えてみた。
そもそも、「風流」とは室町以降の言葉で、Wikipediaには次のようにある。
「ふりゅう」とは、中世以後の日本において高揚した美意識の1つ。人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。後にはこうした意匠に沿った芸能や美術・建築などにも用いられた。なお、室町時代の漢和辞典である『下学集』には「風流の義也。日本の俗、拍子物を呼びて風流と曰ふ」とある。 風流のひとつである田楽の起源について大江正房の『洛陽田楽記』には、「初め閭理よりして、公卿に及ぶ」(初めは田舎の人々が行い、やがて公家に及んだ)とあるように、風流は平安時代半ばから江戸時代まで続いた庶民による文化運動だった。
こんな日もあるのである。
その様な分けで(どのような分けか、ハッキリしないのであるが)、「引きこもり」を決め込んだのである。
「引きこもった」からといって、エラそうには言えないが、今日は実にしっかり「引きこもった」のである。
この「長い夏休み」というのは、「嬉しくもあり、悲しくもあり」なのです。
立場が生徒であれば、「おおー、休みだ、休みだ」と浮かれるのだるが、こちとら「収入のない期間」に入るのです。また、「モチベーションのなかなか保てない期間」でもあるのです。
「嬉しくもあり、悲しくもある」のです。
昨年までと異なり、今年のT高校は試験後の6限の授業を行なっている。
モチベーションがしっかりしていれば問題ないのだが、これがないと、この暑い中で午後まで授業を受けるのはキビシイだろうなあ。
アメリカの大リーグでは、今日も大谷翔平が二刀流で活躍、あまりにも活躍しているので、最近はマスコミの方も褒めるワードがなくなってきているようだ。
水曜テニスの方もこれと同様、昨夜降った雨のせいで湿度が高く、チョイと走ると汗ダラダラと言った具合であった。
やはり、湿度が高いのはコタエルなあ。
カッコがスポーツカーのようで、「この車、高価なんだろうな」と思っていたのだが、ネットで調べてみたところ、補助金を利用すると(グレードにもよるが)、下のグレードはナント三百万円台で手にはいるようだ。
ふーん、この間見た日産の電気軽自動車「さくら」とそれ程変わらないのだなあ。
漢名(中国植物名)は山巵は(さんし)である。日本では漢字で、ふつう「梔子」と書かれるが、実が裂開しないため「口無し」が正しいとする説もある。(ウィキペディア)
さらに、クチナシ(梔子、巵子、支子、)は、アカネ科クチナシ属の常緑低木である。庭先や鉢植えでよく見られる。乾燥果実は、生薬・漢方薬の原料(山梔子・梔子)となることをはじめ、着色料など様々な利用がある。和名クチナシの語源には諸説ある。果実が熟しても裂開しないため、口がない実の意味から「口無し」という説。また、上部に残る萼を口(クチ)、細かい種子のある果実を梨(ナシ)とし、クチのある梨の意味であるとする説。他にはクチナワナシ(クチナワ=ヘビ、ナシ=果実のなる木)、よってヘビくらいしか食べない果実をつける木という意味からクチナシに変化したという説もある。
「クチナシ」といえば、渡哲也の「くちなしの花」を思いだすなあ。
写真はそこで見つけたドクダミ科の多年草「半夏生(はんげしょう)」の葉である。
まず、「半夏生」とは何かというと、ウィキペディアにはこのようにある。
七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。
さらに、半夏(烏柄杓=からすびしゃく)という薬草が生える頃であり、一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。
様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。
うん、うん、確かに葉っぱが白くなっているわ。
仕事が続くと多少ウンザリするものだが、無ければ無いで、これもまた調子が狂ってしまうというのか、気持ちが下がってしまうものである。
きっと、人間てえのは、贅沢に出来ているのだろう。
答えは、「午前」はハッキリ目的地があるのに、「午後」はその目的地が曖昧であるから、ということであった。
例えば、「婚約中」とは言うが「結婚中」とは言わないということらしい。
つまり、「終わりが曖昧ないこと」には「中」は付けられないということか。 「午後から遊びに行こう」となれば、「夜八時から遊びに行こう」とは考えないということなのだろう。
やはり、夏はチック・コリアである。 今日聴いたのは「NOW HE SINGS,NOW HE SOBS」というチック・コリアが二十六歳の時(1968年)のアルバムであるが、これがスゴイ。
このアルバム、今聴いても新鮮で完成されており、とても五十年以上前に作られたアルバムとは思えないのだ。
彼は、よくジャズピアノの巨人、ビル・エバンスと比較されるのであるが(タイム感覚やスイング感などは大きな影響が見られる)、決定的な違いは、ビル・エバンスが内省的リリシズムの美学をストイックに追い求めたのに対して、チック・コリアは開放的であり、他人とのコミュニケーションをとても大事にしている。そして、このアルバムでもその一端は垣間見ることができるのである。
さてさて、明日は何を聴こうか。
ただし、雨降りのあとのテニスコートは、それはそれは蒸しており、数分動いただけでジトリと汗が噴き出してくるのであった。
それでもなお、ワレワレ「元気イッパイ老人軍団」はテニスをするのです。
ビュッフェ美術館には何度も足を運んだことがあるのだが、今回は会場にあった「ビュッフェと実存主義」についての説明が印象に残った。
ベルナール・ビュッフェ(1928-1999)は黒い描線と抑制された色彩によって、第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描出し、世界中の人々の共感を呼んだ。その虚飾を廃した人物描写は、当時の若者に多大な影響を及ぼしたサルトルの実存主義やカミュの不条理の思想の具現化として映り、ビュッフェ旋風を巻き起こした。
さて、ではビュッフェが影響を受けた実存主義とは何か?
サルトルは、その「根源的な不安」に向き合い乗り越えるために、「実存主義」という新たな思想を立ち上げた。「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」
うーん、何だか分かったような分からないような。
妙な天気が続いているが、朝の情報番組では「ダイポールモード現象」について触れていた。
ダイヤポールモード?ん?さて、慌ててネット検索をしてみた。
「ダイポールモード現象」とは、数年に一度、東インド洋熱帯域の海面水温が平年よりも低くなり、西インド洋熱帯域の海面水温が平年よりも暖かくなる気候変動の現象ことを指す。 インド洋に符号の異なる2つの海面水温異常の極をもつことから、ダイポール(dipole)とモード現象と命名された。
昨年の夏から秋にかけては、インド洋の東部で海水温が低く、西部で海水温が高くなる「正のダイポールモード現象」が発生、このため、インドネシアやオーストラリアでは雨が少なく干ばつが起き、東アフリカやアラビア半島では大雨に見舞われた。しかし、この夏は、「負のダイポールモード現象」、つまり、昨年とは逆に、インド洋の西部で海水温が低く、東部で海水温が高くなるという予想である。
「負のダイポールモード現象」が発生した場合の傾向は明瞭ではない。しかし、海水温が高いインド洋の東部で対流活動が活発になって、熱帯の暖気が上空に運ばれると、チベット高気圧の勢力が強まる可能性がある。それだけならまだしも、もしも太平洋の西部で海水温が高くなるラニーニャ現象が併せて発生すると、太平洋高気圧の勢力も強くなり、日本付近は二重に高気圧に覆われて、極端な猛暑になってもおかしくない状況になる。
日本への影響はまだよく分からないそうだが、心配と言えば心配だ。
台風4号が四日に九州に接近、進路予測によれば、6日の水曜から7日の木曜にかけて、静岡県にも影響を及ぼしそうである。
現在996ヘクトパスカル、最大風速18メートルなので、それ程大きな台風ではないが、大雨の心配があるそうだ。
T高校は、ちょうど期末試験となっているのでチョイと心配である。
「さくら」はガソリンを使用しない電気自動車である。40分の充電で180キロメートルを走るというのだから、ワタシの今の通勤状況で考えると、3日に1回程度の充電だろうか。当然、毎月のガソリン代を考えると、これは大きなメリットである。
ただし、問題点は価格だ。国からの補助金が出るとは言え、見積もり金額が300万円を超えてしまうというのは、これはなかなかね。