写真の左側の石仏の側面には「文化十二年乙亥(いのとゐ)」とある。
文化十二年は西暦1815年ゆえ、今から二百年以上も昔だ。
普通、石仏が作られるには何らかの理由があるのだが、この石仏に刻まれた1815年を調べてみると、次のようにある。
今から200年前の1815年4月10日、インドネシアのタンボラ山が大噴火を起こした。 それによって村ひとつが丸ごと消滅し、地球全体の気温は数度低下し、世界中で飢饉(ききん)と疫病が蔓延した。 これは歴史上最大規模の噴火として、今もその記録は塗り替えられていない。
これは推測でしかないが、おそらく世界的な飢饉が、ここ駿東郡小山町にも何らかの影響を及ぼし、この石仏が作られたのではなかろうか。
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