2021年4月30日金曜日
網戸の取り換え
2021年4月29日木曜日
切羽
2021年4月28日水曜日
群馬まで
御殿場から前橋までは、かつては四時間程度はかかっていたのだが、現在は東名高速道路から圏央道、さらに関越道、北関東自動車道と乗り継ぐことによって、三時間弱でいくことができる。
速くなったものだ。
まあ、しかしですな、前橋に二時間程居て、とんぼ返りで御殿場までというのは、ジジイの身体にはとてもコタエルのです。
2021年4月27日火曜日
五十肩
ん?「五十肩」?
「四十肩」というのは聞いたことがあるのだが、最近は「五十肩」というのもあるのだなあと思い、さっそくネット検索をしてみた。
分かったことは、「四十肩」」も「五十肩」も俗称であり、意味は同じようだ。ワタシが単に「五十肩」という言い方を耳にしていなかっただけのことであった。
ちなみに、「四十肩」「五十肩」は英語では‘フローズン・ショルダー(凍った肩)’と言われ、その名の通り、肩の筋肉や腱が硬くなって動かすと痛みが走る病気であるという。これは40代、50代になって起こる病気であり、肩の筋肉や腱が硬くなるのは、老化現象の1つなのだそうだ。
2021年4月26日月曜日
謎
さて、お金を払おうと財布を出した時に、レジ係のオバサン(オバサンと言っても当然ワタシよりも若そうだったので、オネエサンの方が適当か?)に言われた言葉。
「ポイントカードは持ってるのかな?」
ん?「かな」。
紺色のジャケットにグレーのズボンをはいていたので、生徒と間違えられたのか?いやいや、そんなことはないだろう、だとすれば認知症のジイさんと思われたのか。
うーん、謎だ。
2021年4月25日日曜日
続 フロマージュ
チーズを意味する「フロマージュ」はフランス語で、つづりは「fromage」、そしてフランス語の「フロマージュ」を、英語に訳すと「チーズ」であるという。
そもそも「フロマージュ」とは、牛、水牛、羊などから取れる乳を使って作られるチーズ全般のことであり、凝固や発酵などの加工をして作られるチーズには、ナチュラルチーズとプロセスチーズがあるが、すべてフロマージュなのだそうだ。
日本においては「フロマージュ」にケーキの意味を持たせて商品名などに用いられたものもあるが、「フロマージュ」にケーキやデザートの意味はなく、これは誤用だという。
ふーん、なかなかオクが深いな。
2021年4月24日土曜日
フロマージュ?
2021年4月23日金曜日
山梨県の富士山
天気も良く、気温も上がってくると、人間てえのはフラフラと外に出たくなるものです。ワタシもその例に漏れず、暇に任せてフラフラと隣の県まで出かけてみた。
まあ、隣の県と言っても御殿場からは、県境まで三十分ほどなので、あっという間に他県に到着なのです。
写真は富士吉田のスーパーマーケットから見た富士山。
やはり、静岡県の御殿場とは趣を異にした富士山である。
2021年4月22日木曜日
バタンキュー
授業自体はやっていて楽しいのであるが、やはり、この歳ともなると、ワタシ自身のエネルギーが欠如してきているのでしょうか。
昨日は背中に「かゆみ」を感じたので、皮膚科まで出かける。
驚くべきは、病院の駐車場に車を止めてから、受付、診察、薬の受領まで10分ほどで終了したことだ。
最近は、診察までに一時間以上かかる病院ばかりだったのに、きっとこのお医者さんは、スゴイ名医かスゴイ〇〇に違いない。
2021年4月21日水曜日
鯉のぼり
御殿場の平和公園にはもう「鯉のぼり」、今日は四月の二十一日なのだから、「もう」ではないのか。
何はともあれ、空には「鯉のぼり」なのである。
御殿場地方は「「ひな祭り」を旧暦でやっているようなので、「鯉のぼり」もまだまだこれからなのだろうか。
2021年4月20日火曜日
個人差
コロナウィルスの感染は全国的に酷くなってなってきている。この「酷くなってきている」という感覚が、どうも個人差がありすぎて、現状となっているのだろう。
こういう時に重要なのは「客観的事実を示すデータ」なのであるが、このデータの読み方でさえ個人差があるのだ。
うーん、どうしたもんでしょうなあ。
2021年4月19日月曜日
授業の開始
頭を使って話す方は、ジジイの図々しさもあるゆえ、難なくこなせるのであるが、やはり身体の方がたまらん。
三時間ボリュームを上げて話をするという、かたぎ世界には、あまりないことをするのだからこれはもうしょうがないのであるが、それにしてもブランクあけのジジイにはずいぶんコタエルのである。
2021年4月18日日曜日
鬼
最近、不思議に思っていたことのひとつで、コロナウィルスのニュースなどに、必ず登場してくるウィルスの写真のことがあった。何故、こうも毎回あの写真が登場するのだろうかと。
さて、今日、以前録画しておいた「鬼=ダークサイドミステリー」を見ていると、前述のニュースに登場するウィルスの写真の謎が解けたような気がした。
昔から日本には「鬼」という正体不明の怪物がいるのであるが、その「鬼」が江戸時代になって、ついに「見える化」がはかられる。その理由は、「目に見えることによって鬼に対しての不安が解消され、さらに敵対心を持つことができる」ということであった。
ニュースの担当者が、それを知ってのことかどうかは分からぬが、少なくとも我々には、直接目でみることのできないウィルスが具体化され、さらに敵は何かという目標もできるのである。ここで「不安の解消と敵対心」が醸成されるのだ。
2021年4月17日土曜日
呪われた制度
ここにきて民主主義への疑問が再燃している。格差と憎悪の増大、SNSによる情報汚染、ポピュリズムの台頭、だいぶ前から危機にさらされてきた民主主義にとどめの一撃が加わった。コロナ禍だ。(一部略)米国の失敗と中国の成功。これは民主主義が呪われた制度だと暗示しているのだろうか。
うーん、確かにそうだ。中国のように一党独裁であれば、都市の封鎖などわけないことなのであろう。しかしながら民主主義を標ぼうする?米国、さらに我らが日本ではウィルスを閉じ込め、感染を広げない唯一の手段である都市封鎖が出来ないでいる。今日現在の感染状況を考えてみると、恐れていた第四波に突入したことはマチガイがないことだろう。
やはり、民主主義ってえのは「呪われた制度」なのだろうか。
2021年4月16日金曜日
エッセンシャルワーカー
「エッセンシャルワーカー」?ん?
ジジイが知っている「エッセンシャル」は「シャンプー」ぐらいしかないのだが。
エッセンシャルワーカー(Essential worker)とは、人が社会生活をするうえで必要不可欠なライフラインを維持する仕事の従事者をいう。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、多くの人が自粛生活を送っていたなか、感染リスクと戦いながら働き続ける人々への感謝と敬意をこめて、こう呼ばれるようになったのだそうだ。
カタカナ文字が好きな知事は、当然周知している言葉として使用しているのだろうが、民衆が持っている外来語知識としては、チョイときついなあ。
2021年4月15日木曜日
地蔵菩薩
いわゆる「お地蔵さん」であるが、この地蔵菩薩とは何かというと、釈迦入滅後、菩薩(菩薩というのは、まだ悟りに至らない仏であり、修行しつつ人々を救済する役目を持っている)が、如来(悟りを開いた仏)になるまでの無仏の間、人間が歩む六道、衆生がその業の結果として輪廻転生する六種の道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)に苦しむ人々を救ってくれる仏である。
よく「六地蔵」と言って、六体の地蔵菩薩が並んでいる姿を見かけるが、この六体が地獄道から天道まで、それぞれを受け持つことになるのである。
そういえば、京都から奈良に向かうJRの駅に「六地蔵」という駅もあったなあ。
2021年4月14日水曜日
心がけ
やはり、心がけというものは大事なもので、いったん中止と思い込んだワタシの心は、すっかり弛緩しており、それはテニスのプレイにも反映されたようだった。
勉強もスポーツもまずは「心がけ」が大事なのです。
2021年4月13日火曜日
「さざえ」の「さざ」
「さざ」とは「さざ波」の「さざ」である。あるいは「ささめ雪」の「ささ」でもある。
つまり「さざ」とは古語でいうと、(名詞について)小さい、細かい、わずかな、という意味を表す接頭語である。
「ささめく」の「ささ」も同様であり、「ささめく」とは「ひそひそ話す」意味であり、「ささやく」ことでもある。
2021年4月12日月曜日
月曜テニス
三島谷田のテニスコートは二面しかないのだが、小高い住宅地の中にあってなかなか気分の良いところである。
今朝のビッグニュースは、アメリカの「マスターズ・トーナメント」というメジャーの大会で、日本人ゴルファー松山英樹が優勝したことであった。ゴルフなどほとんどしたことのないワタシでも、その凄さが実感できるほどの出来事であった。(というよりも、その賞金が二億二千七百万円ということに驚いたのかもしれないが。)
2021年4月11日日曜日
唄うま少女
恐らく小学生ぐらいの年齢であるとおもうのだが、これが実に上手に歌っていた。
曲はひと昔前にヒットした、スピッツの「ロビンソン」という曲、話を聞いていると、彼女は楽譜ではなくインターネットからの情報で、日本語の歌詞と曲を覚えたのだそうだ。
それにしても、あの歌唱力は実に見事。
興味のある方は、「南アフリカ少女歌」で検索すると、聴くことができるので是非試して欲しい。
2021年4月10日土曜日
洗車
多少気温が下がって、例年並みになってきたようだ。このくらいの寒さなら、ということで久しぶりに洗車をする。
洗車をする気になったのは、車体の表面が、花粉のせいか黄砂のせいか、妙に黄色くなってしまっていて(ワタシの車の色は黒であるがゆえ)、かなり目立つ状態となってしまったからである。
車を手洗いしながら「よくここまで走ってくれたなあ」と、ワタシは感謝の念を覚えた。車は平成23年式であり、走行距離もう少しで十五万キロに届く、本当によく頑張っていると思うワタシなのでした。
2021年4月9日金曜日
助走
今日は新二年生だけの授業であったが、来週からは新一年・新三年とすべての学年での授業が始まる。みんなどのような顔をして出てくるのだろうか、楽しみである。
さて、授業が始まるのは嬉しいのであるが、やはり、無事軌道にのるまでの期間、身体の方がシンドクなってくるようだ。
要は、助走に要する時間が年々長くなっているということなのだろう。
2021年4月8日木曜日
山神社
入口付近の案内板によると、何でもこの神社は、今から900年余り前に京都から守護神(大山祇命)を迎えたたのが起源ということである。
かつて(今もかも知れぬ)は病気の治療を願って、この神社からハサミを借りて枕の下に置き、全快すると、一回り大きなハサミを返すという風習があった。
2021年4月7日水曜日
不動明王
この間は「四天王」のこと、つまり「天」について触れたのであるが、次は「明王」である。代表的なものは「不動明王」など。
さて、「多聞天(毘沙門天)」などの「天」というのは仏(仏界の最高位である如来)の世界を守護するために存在している。つまり「天」は仏(如来)とは主従関係にあるのだが、「明王」はというと、仏(如来)の化身した姿なのだそうだ。
慈悲だけでは救うことのできない人々に対して「怒り」を持って導く、これが「明王」だという。代表的な「明王」は、「不動明王」「愛染明王」「烏枢沙摩明王」「孔雀明王」などである。
うーん、そういえば「不動明王」というのは、怖い顔をしているよな。
2021年4月6日火曜日
富士霊園の桜
いつもならこの時期は満開の桜で賑わう「富士霊園」であるのだが、今年は花の咲く時期が一週間ほど早かったということで、人も少なく、桜の花もほぼ散ったという風情であった。
まあ、「徒然草」にも「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」という有名なフレーズがあるゆえ、満開の時期を過ぎた桜も、なかなかなものだ。
と、いうことにしておきましょう。
(写真は、富士霊園管理棟駐車場からの富士山)
2021年4月5日月曜日
四天王
要は仏像の種類であるとか、その見分け方を案内しているのであるが、ワタシはこの本により、(今まで気になっていた仏像の中の)「四天王」がどのような「天王」であるかを理解することができた。
「四天王」とは仏の世界を守るために、月に六回この世に下り、四方を隈なく見張る、これがの役目である。すなわち、人々の行ないや善悪を監視し、逆らう仏敵がいれば懲罰を加えるのだという。
「四天王」の「四」は「東西南北」方角である。そして東を守るのが「持国天」、南が「増長天」、西が「広目天」、そして最強ともされる北の守りが「多聞天」である。「多聞天」とは別名を「毘沙門天」とも呼ばれる。
ふーん、「毘沙門天」は結構メジャーなイメージがあるなあ。そういえば、京都の鞍馬寺に祀られているし、静岡県では富士市の吉原では「毘沙門天」の「だるま市」というのもあるよな。
(注 左の写真は「毘沙門天」ではありません)
2021年4月4日日曜日
倫理
道徳は「困っている人がいたら助けなさい」のような普遍的な命令である。他方、倫理は具体的な状況における善さを目指す。
さまざまな制約や条件のある中で、何が最善の選択かは状況によって変わりうる。その人を助けてしまうことが、長期的に見れば本人のためにならないこともある。「倫理」は「道徳」の絶対的な基準が当てはまらないときに、人が直面する「悩み」であり、道を選びとろうとする「創造性」である。
この記事は「自粛警察」のように、杓子定規に命令を当てはめて他者を攻撃する態度を批判したものなのであろうが、最近の世の中を見ていると「倫理」の必要性がますます大きくなって行くような気がする。
2021年4月3日土曜日
ふれあい
平常(最近は平常の意味がコロナ騒動によって、よくわからなくなってきているが)ならば「休みじゃ、休みじゃ」と言って、目的を定めていろいろ動き回るのであるが、今はそれに制限がかかる、いや制限どころではなく、まったく動き回ることが出来ないこともあるのである。
さあ、来週は果たして「ふれあい」が始まるのであろうか。
2021年4月2日金曜日
偵察
非常勤講師というのは、自分の担当する授業にだけ顔を見せるということが基本的な姿勢ゆえ、情報量が圧倒的に少ない、したがって偵察ということになったのである。
午後からは、御殿場「平和公園」への偵察。
桜の状態を見にいったのであるが、こちらも「秩父宮記念公園」の桜同様、満開をやや過ぎた状態であろうか。
今年はここに来て、どこの桜も
急いで咲いているように思われる。