男雛の襟元が少々だらしないが、この「立ち雛」は何年か前に、100円ショップで購入したもので、ワタシからすると100円のクオリティをはるかに超えたものである。
製造元を見ると、大阪平野区の会社であり、100円ショップによく見られる中国製の商品とは一線を画すような気がする。
さすがメイドインジャパンである。
男雛の襟元が少々だらしないが、この「立ち雛」は何年か前に、100円ショップで購入したもので、ワタシからすると100円のクオリティをはるかに超えたものである。
製造元を見ると、大阪平野区の会社であり、100円ショップによく見られる中国製の商品とは一線を画すような気がする。
さすがメイドインジャパンである。
何年か前、イヤイヤ何十年か前かもしれない、どこか(今では全く記憶がない、こういうものは購入した日であるとか場所などを、速やかに書いておくべきですな)で購入した「土鈴雛」である。
土鈴なので、全体的にふっくらした体形になっているが、お顔はとても品のあるお顔なのである。
最近、地方都市では、こういった「あまり売れるものではない」商品を販売する店がないような気がする。
まあ、お店の人にしてみれば、生活がかかっているのでしょうがね。
ん?「こけら葺き」?
杮葺き(こけらぶき)とは、屋根葺手法の一つで、木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法である。日本に古来伝わる伝統的手法で、多くの文化財の屋根で見ることができるということである。
「こけら葺き」は「杮葺き」と書くのであるが、「杮(こけら)」は「柿(かき)」ではない。「かき」は「市」の部分が「巾」であり、縦棒が上と下で別れている。一方「こけら」の方は縦棒が上から下まで一本の棒となっているのである。パソコンなどの文字ではその判別が不可能なのだ。
ううーん、なかなか厄介だぞ。
さでは「こけら葺き」の「こけら」は何かというと、「こけら落とし」の「こけら」なのである。「こけら」は材木を削った際の木片のことであり、建設工事の最後に屋根などの木片を払うことが語源になっている。転じて体育館、陸上競技場、などのスポーツ施設が開場する際にも報道などで「こけら落とし」と表現される場合があるが、本来は劇場に用いる言葉であるため特に屋根のない屋外施設などでは誤用とされるということだ。
車を運転していて気が付くのは、寒くなると道を歩いている人間の数が、急激に減るということである。やはり、人間と言うものは「暖」を求めたがる動物なのですかね。
最近の気候は「三寒四温」の特徴なのだろうか。
三寒四温(さんかんしおん)とは冬季に寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される現象。朝鮮半島や中国北東部に典型的に現れる現象で、日本でもみられる。一般に寒い日は晴れで、暖かい日は天気が悪い。日本では本来は冬の気候の特徴として使われたが、最近では春先に使われることが多い。
以上、ウィキペディアから。
午前中水曜テニス、疲れた身体に鞭打って午後から土肥まで出かけた。
今日は言ってみれば、静岡県の南地方と北地方を移動したことになる。
土肥に行く途中、狩野川沿いにピンクの河津桜が咲き誇っていた。そして帰ってきた御殿場では雪。
静岡県てえのは、こんなにも寒暖の差があったのだねえ。
最近のワタシは授業に飢えているため、ここでの授業無しは痛いのである。
さて、そのような訳で暇にまかせて近所のスーパーマーケットに行ってみたのであるが、スイーツコーナーを見ていると、写真のようなスイーツがあった。
その名も「ガーナ 至福のとろなまショコラ」 196円。ロッテという会社の看板製品、「Ghanaミルクチョコレート」をプリン状にしたものである。ジジイに言わせると、「チョコアイスクリームのやわらかい版」であろうか。普段であれば何気なく通り過ぎてしまうのだが、消費期限が近いため「半額」のシールが貼ってあった。(ワタシは半額に弱いのです。)
ためらわずに購入して食してみた。
うーん、確かに「とろなま」ではあるのだが、なんか中途半端な感じがする。チョコレートならチョコレート、アイスクリームならアイスクリームとした方が良い感じですがね。
さて、その三姉妹のコマーシャルの中に「イグザクトリー(exactly)」と言うフレーズが出てくる。
ん?「イグザクトリー」?
おそらく、ここでの意味は「その通りでございます。」なのであろうが、何かシャレていて思わず引き込まれてしまうフレーズなのであった。
この看板もアメリカ合衆国を意識した看板であり、昼間はこの程度であるが、夜はもっと華やかな看板になる(たぶんなると思う、夜間ここの前を通ったことがないので)。
ずっと昔、アメリカの連続テレビドラマ?で「ルート66」というのをやっていたような記憶があるのだが、ちょうどこの看板のイメージであった。
もっとも、それはワタシが小学生のころなので、如何せん記憶は多分に曖昧である。
「フーン、あの思いきり良さは、美味しいパンに違いない。」ということで、ワタシもこのパンを購入したのである。
それにしても何という長い商品名、「ホワイトチョコとマカダミアナッツのパン」ですぜ。
さっそく家に帰って食してみた。
まあ、普通に美味しいパンである。ただ、「ホワイトチョコ」感はあまりなく、言ってみれば「ホワイトチョコクリーム」感であろうか。
もっとも「ホワイトチョコクリームとマカダミアナッツのパン」にしてしまうと、さらに商品名が長くなってしまいますがね。
果たして動くかどうか、それは定かではないが、スタイルは非常に魅力的である。
アメ車というのはデカくてガソリンばかりを食うイメージがあるのだが、ことデザインに関しては、ドイツ車なんかとは異なり大らかさを感じさせる、嫌いではないデザインである。
ハリウッド映画「エデンの東」、ジェームス・ディーンなんかを彷彿とさせるのです。
理解してみれば簡単なことなのだが、ジジイの脳みそともなると、去年のことを思いだすのが大変なのだ。
大体、申告に必要な暗証番号さえはっきり覚えていないのだから。
今日落ち着いてここ3年間のデータを見直してみると、どうも去年は税金を払い過ぎたような気がしてきた。税務署というところは、払い過ぎた場合には「払いすぎですよ」とは言ってくれないのですかね。
チック・コリアは、まさにワタシにおけるジャズそのものであった。
1970年、当時学生であったワタシは、チョイと大人の雰囲気を持ったジャズに惹かれ始めていた。そしてスイング・ジャーナル(ジャズの月刊誌)を片手に、誰のレコードを聴くべきか、悩んだ末に辿り着いたのがチック・コリアだったのである。
彼を理解するには、初期のアルバム4作品を聴くのが良いと思う。まずは1968年の『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』 - Now He Sings, Now He Sobs、(これはピアノトリオの作品であり、ビル・エヴァンスの影響がうかがわれるが、技術的には別物でありかなり高度なものである。)
次に1971年1月の『A.R.C.』デイブ・ホランド、バリー・アルツシュールと共同名義、(いわゆるフリージャズである。非常に理屈っぽい演奏であり、聴くと疲れる。しかしながら当時のチック・コリアのエネルギーが感じられる。)
さらに1971年4月の『チック・コリア・ソロ Vol.1』 -piano Imrovisation Vol.1、(これはクラシックの範疇に入れても良いのでは、と当時のワタシは思っていた。)
最後に1972年『リターン・トゥ・フォーエヴァー』 - Return to Forever ( 世界的にヒットし、こういうジャズもあるのかと思わせた。)
基本的なピアノトリオ、フリージャズ(前衛ジャズ)、ピアノソロ、コンボ(グループジャズ)、すべてにおいてチック・コリアは優れていたのである。
余談であるが、上の写真は『リターン・トゥ・フォーエヴァー』のジャケットであるが、ワタシは・・・というより、このアルバムは「カモメのアルバム」で通っていた。しかしながら、つい最近写真に写っているのは「カモメ」ではなく、「カツオドリ」だということが分かった。「カツオドリのアルバム」より「カモメのアルバム」と言ったほうが素敵なんですがね。
なぜなら我が家はケーブルテレビを入れていないから。
もしかすると、こんな調子でワタシは自分のテレビに映っている姿を知らないまま、すべてが終わってしまうのでしょうか。
なんか虚しいなあ。
「ところで、君たちは東日本大震災の発生時には何をしていた?」
すると、生徒たちの反応がいまひとつ。
さらに聞いた。
「君たちは、あの地震の時には一体いくつだった?」
そして生徒が口々に言った。
「保育園?幼稚園?あまり覚えていません。」
ガビーンである。
そういえばそうだ。現在、彼らは十五歳か十六、震災当時は五歳か六歳だ。はっきりとした記憶がないのは当たり前なのである。
ナント今年で六年めである(よくもここまで続いたモンだ)。
さて、例年、四回で行なっていた講座であるが、今年はコロナ騒動の影響もあり、回数を減らし、さらに狭い図書館講義室での講義をやめて、御殿場市民会館での講義となった。
今年は市民会館を利用したせいかどうか、ケーブルテレビからの依頼があって、講義内容を録画、さらにそれを放送することになってしまった。(実は、一昨日第一回が放送されたそうである。)「そうである」というのは、ワタシの家はケーブルテレビに入っておらず、放送を視聴することができなかったのだ。
果たして、どんな講義になっているのやら?
テレビ録画されるということは、これは極めてツライことである。なぜならその講義内容が記録されてしまうからだ。このご時世「迂闊なこと」は言えないのだ。また間違ったことも言えない。ナンでこんなことを引き受けてしまったのだろうかと、後悔の念が著しい。
ただ救いは、講座名に「無責任」という言葉を入れたこと。
誰かクレームをつけてきたら言ってやるのです。
「講座名」をよく見てください。
思えば1971年、彼が「リターン・フォー・エバー」というレコード(CDではないのです)を発表、そのレコードを手にした瞬間が、ワタシがジャズという音楽にのめり込む瞬間だったような気がする。
チック・コリアについては、後日また書くことにして、今日は取り敢えず合掌である。
「弁えない」とはまた随分シャレた漢字を使ったものだ。
「弁えない」は「わきまえない」と読み、「弁智・弁知」などの熟語がある。
「弁智」とは、「道理をわきまえ、才知のあるさま」。
今回のこの騒動は、どうも「弁智」をどこか遠くに放り投げてしまったことから始まっているようだ。
頭ではこういう動きをしようと思っているのに、身体の方がそれについていくことができない。
おそらく、それは頭が命令して、身体がそれに反応する、コンマ何秒の世界なんだろうが、そのコンマ何秒のズレために、失敗を繰り返してしまうのである。(まるで、プロのアスリートのようなことを言うのであるが、コレホントなのです。)
もっともこれが老化というものなんでしょうがね。
三年生の授業が無いということは、この日は二年生の授業だけの日ということになり、午前十時半チョイとすぎると、ワタシのその日の仕事は終わってしまう。
これは考えていたよりも間抜けなことで、実に中途半端な時間をすごさねばならないのである。
例年ならば、「おおー、時間が空いたぞ、これから何をしようか」と、プランは膨らむのだが、何といってもこのご時世、ただでさえ人混みを避けろ状態なのに、プラス年寄りの危険が加わるのだ。
結果、行くところがないのである。
うーん、誰か距離をとっても良いからワタシと遊んでくれ。
「原田治」と言えば、はるか昔「平凡パンチ」であるとか、「プレイボーイ」であるとか、かつて若者に人気のあった雑誌によく登場していたイラストレーターだが、のち女子高校生に人気のキャラクターを多々作り出し、今ではほとんどの人が「見たことがあるよ」状態になっている作家である。
ワタシのような歳で「原田治」は、やや照れるのであるが、そこはそれ、若者文化に寛容なワタシであるゆえ、(イヤイヤ今回はワタシの勤務している高校の職員・生徒は無料で入館できるゆえ)出かけたのである。
この展覧会、一言でいうと偏差値40である。
こんな展示でお金を取るのか(もっともワタシは無料だが)と、腹を立ててしまいそうな展示であった。写真下のように単にキャラクターグッズを張り付けたものだとか、どうもヤル気があまり感じられないものであった。(入口付近のキャラクターグッズの販売には、ものすごく気合が入っていましたがね。)
今日も写真の在庫がなくなってしまい、気温も上がったことからこの木を撮りに出かけたのであった。
冬は冬、夏は夏と、その季節にあった佇まいを見せる柿の木だが、今日は春の入口といった風情を見せている柿の木である。
今朝、時間割の変更により、一限の授業があったので 早めに家を出た。学校の駐車場に入れるために細い路地を通過しようとした瞬間、左前輪のサイド面がブロックに当たってしまった(いつもより早い時間だったので、きっと脳も覚醒していなかったのだろう)。
さて、そのことは兎も角、現在のタイヤというのは、釘などを踏んでも大したことはないのだが、横、つまりタイヤのサイド面はきわめて弱いのだそうだ。
当たってしばらくすると、「ブシュー」という空気の抜ける音がして、タイヤはぺちゃんこになってしまった。幸いワタシの車にはスペアタイヤがあったので、ディーラーには何とかたどりつけたのだが、そこで驚愕の言葉を聞くことになる。
まず、サイド面のバーストゆえ、タイヤの修理はできない。またアルミホイールも傷ついているので、タイヤとホイールを四本とも交換しなければならない。
エエーッ、アルミホイール+タイヤだと軽く十万円を超す金額ではないか。
ワタシがいったい何をしたと言うのだ。このショックからは当分立ち直れそうもないのです。
三島の水曜テニス終了後、所用があり土肥まで出かけたのだが、土肥は極めて暖かく、「土肥桜」が満開であった。
同じ静岡県でも随分異なるようである。
初めて知ったのだが、「土肥桜」というのは有名な「河津桜」とはまた違った桜なのだろうか。
さて、昨夜より静岡県地方は強い雨と風に襲われた。御殿場でも風速二十メートルということなので、かなり強い風だったのではないかと思われる。
これは果たして「春の嵐」なのだろうか。イヤイヤ違う。
「春の嵐」とは、三月から五月にかけて、北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい空気がぶつかりあい、低気圧が急速に発達して生じる激しい気象現象。
「メイストーム」とも言われるので、二月では的外れのようだ。
「蠟梅」はクスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する中国原産の落葉樹である。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く。果実は痩果で一見すると種子に見え、花床が発達した壺状の偽果に数個~10個程度見られる。ロウバイ属には他に5種があり、いずれも中国に産する。なお、ウメは寒い時期に開花し、香りが強く、花柄が短く花が枝にまとまってつくといった類似点があるが、バラ目バラ科に属しており系統的には遠縁である。
蝋梅の名は、本草綱目によれば、半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようであり、かつ臘月(ろうげつ:旧暦12月)に咲くことにちなむという。日本においては晩冬(小寒〔1月6日頃〕から立春の前日〔2月3日頃〕までの間)の季語とされる。
花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。
ふーんそういうことか、近くで見ると「まるで蝋細工のようで」というフレーズがよく分かる。