やはり、天気の良い日に野外で運動することは気持ちが良い。
今日などは特に湿度も低いようだったので、かなり長い時間動いていても、それほどの疲労は感じられなかった。
いつもこうあって欲しいものですがね。
やはり、天気の良い日に野外で運動することは気持ちが良い。
今日などは特に湿度も低いようだったので、かなり長い時間動いていても、それほどの疲労は感じられなかった。
いつもこうあって欲しいものですがね。
鰭崎英朋とは美人画で人気を博した画家である。また彼が本領を発揮したのは、小説や文芸雑誌の巻頭を飾る口絵であったという。また彼は物語のヒロインの感情を繊細に描き出して読者を魅了し、明治・大正期の文学界を彩ったとも。
日本画については、あまり知識もなく、自分の好きな分野でもなかったので、それほど期待はしていなかった。ただ食わず嫌いはイカンと思いでかけたのであるが、やはり、期待は期待でしかなかった。
そもそも、展示の仕方に多少問題がある。
ワタシの視力は両目とも1.5程度なので、そこそこ見えるはずであるのだが、ガラスケースの中にある作品が、口絵ゆえ小さすぎるのだ。手前にある方はそこそこみえるのだが、奥の壁に展示してある作品はどうもイカン。おまけに鑑賞している人はほとんどが老人なのだ。
せっかく多くの人に鰭崎英朋のテクニックを知ってもらうチャンスなのに残念だなあ。
現在、大相撲は戦国時代、誰が優勝してもおかしくない状況が続いている。
昨日の正代も、熊本県初の優勝力士ということでマスコミを賑わしたのであるが、ハテ我らが静岡県には優勝力士はいたのかと言うと、残念ながら皆無であった。
過去、優勝力士を輩出していない県は静岡を含め、十二県であるそうだが、意外であったのが宮城県、埼玉県、京都府である。
いづれも静岡県よりも人口も多く、相撲も盛んなところであるような気がするのですがね。(ひとのこと、イヤイヤ、ひとの県のことは言えませんが)
さて、気候がよくなってくると良い音が聴きたくなる。
良い音を聴くためには良いスピーカーが欲しくなる。
ワタシの好きなジャズを聴くに相応しいスピーカーは、JBL(ジェームス・B・ランシング)かALT(アルテック・ランシング・テクノロジーズ)が良いと昔から言われている。
両方ともメイド・イン・アメリカであり、ジャズ発祥の地アメリカで発達してきた、それはそれは凄い音のするスピーカーである。(価格も凄いが)
もっとも今は音楽を聴くための媒体が変わってきているので、もそっと違うスピーカーなのかも知れないね。
さて、この間スーパーで「ほうじ茶どら焼き」というどら焼きを見つけ、食してみた。
このどら焼きのパッケージには、仰々しく「宇治産ほうじ茶使用、北海道産小豆使用」と書かれており、さらに製造しているところが、京都宇治匠、彩菜とあった。
さらにパッケージ裏には、馬印氷砂糖使用(粒あんを氷砂糖で炊いています)とある。
何故、氷砂糖なのかというと「小豆の風味を引き立てる上品な甘さ」を手に入れることが出来るのだそうだ。
うーん、パッケージの「これでもか感」あふれる文句の割には、味は普通だったなあ。
新しいシステムに対応できないのがオジサンの悲しさではあるのだが、それにしても骨の折れる一週間であった。
さて、昨日は音楽媒体の著しい変化について述べたのであるが、時代は急であり、この半年間でも急激な変化が起こっているということである。
コロナ禍によって、従来通りのライブがほぼ不可能になり、音楽関係者が苦心しつつネットライブ配信などを試行錯誤する一方、音楽の現場が現実空間からネット空間に移行していることを示す事例が目立っているそうだ。
瑛人の「香水」がその象徴であり、ほぼ無名の新人ミュージシャンがネット上発表した曲が、SNSで話題を呼び、一躍爆発的なヒットとなるのである。
以前このブログでも取り上げたYOASOBIの「夜に駆ける」も、果たしてそのケースなのであろう。
CDやLPレコードの、ジャケットデザインがどうのこうのという時代は、もうとっくに何処かへ行ってしまったのでしょうね。
全米レコード協会によれば、米国で今年の上半期に発売されたアナログレコードの売り上げが、CDのそれを上回ったそうである。
CDすなわちコンパクトディスクが普及する前は、LPレコードが音楽媒体の中心であったが、1980年以降これが逆転され、LPレコードはずいぶん肩身の狭い思いをしていたのではなかろうか。
何をかくそうワタシもLPを裏切った人間の一人であり、かつて毎日のように聴いていたLPプレーヤーを処分してしまい、今はレコード盤だけが、聴かれることのない記念品として何百枚も残されている。
さて、記事によると、一見LPファンにとっては喜ばしい事実に見えるこの現象も、実はそう浮かれてもいられないようだ。
今や音楽セールスの85パーセント強がオンラインでデジタル音源ファイルを聴取するストリーミングによるものなのだそうだ。
そして、残りの15パーセント程度をCDとLPで奪い合っているのだと。
うーん、オジサンにはとってはショックな数字ですな。
中国から古い時代に日本に入ってきたキンポウゲ科の宿根草であり、帰化植物である。
漢字で書くと「秋明菊」であり、名前にキクが付くが、キクの仲間ではなく、アネモネの仲間なのだそうだ。
実はこの植物、アネモネなどと同様、プロトアネモニンを含み、有毒であり、乳液に触れるとカブレを引き起こすということである。
ふーん、見た目と異なり、結構恐ろしい花なんだ。
いよいよ御殿場も寒い方の季節の到来なのであろうか。
今朝の新聞によると、日本の人口の28パーセント以上が65歳以上の高齢者だという。
ゲゲー、およそ人口の3割が老人ということではないか。斯くいうワタシも高齢者であることはマチガイないが。
人口の年齢別数値をみれば、ずっと前から想像できたことなのであろうが、そこが人間の浅はかさ。実際その事実を目の前にしないと、動き出さないのである。
雨の予報であったが、一日曇り空といった天気であった。
何日か前の新聞に、三重大学深田淳太郎准教授の「キャッシュレス決済」についての文章があった。
「キャッシュレス決済」の利用が、コロナ禍で加速している。「除菌」のために「除金」が進むなかで、彼は「除霊」という言葉を使って社会の変化について説明をしていた。
かつてニュージーランドの原住民は、贈り物に取り付いて、受け取ったものに返礼を強いる「贈与の霊」が信じられていた。ところが後に登場してくる貨幣によって、余計な関係性、つまり霊的なものは払拭されたのである。
さて、時代は進んで今日となるのであるが、ここで新たな「霊」が登場するのである。「除菌」に有効なキャッシュレス化は、「除菌」とともに「除金」もするのである。ここでは貨幣の重要性が失われ、、新たな「霊」が生まれるということである。
ふーん、いきなり「除金」とはなるまいが、そんな時代が来たらワタシのような「キャッシュレスよく分からない老人」は、どうしたら良いのだろう。
昨日からブログを更新することにエラク苦労してしまっている。
何れにしろ、この調子だとどこまでブログが続けられるのか極めて不安である。
ここのところアイロンがけに凝っており、今日もワイシャツとマスクのアイロンがけをしてみた。
何だか分からぬが、あの皺くちゃになった布が、アイロンをかけることによって、ピンと伸びるところが魅力になっているのではないかと思われる。
また、精神を統一して、右に左に、ハタマタ上に下にと鉄の塊(今は鉄ではないかもしれないが)を動かすことも、魅力のひとつなのかも知れない。
ウィキペディアによると、アイロンは古代では「火熨斗」と書いたそうだ。、熱した金属の熱と重みによって、布を伸ばすという工夫は中国においても古くからあり、そのような行為を「熨(布を尻の下において熱を加え伸ばす」+「火(敵を鎮圧する武官)」と言い、それに用いる道具を「火熨」、または「熨斗(斗はひしゃくのこと)」と言ったのだとか。