平成二十九年が暮れて行く。
個人的にはイヤな歳であった。
二月の硬膜下血腫による手術、あるいは網膜裂孔から白内障手術、十二月にはまたトンデモナイことも起こり、何だか思い出すだけで気が重くなる。
まあ、人生というのはイロイロなことが起こるのだろうが、今年のような出来事は本当に勘弁してほしい。
これから迎える平成三十年は、是非良い年になることを祈るだけである。
2017年12月31日日曜日
2017年12月30日土曜日
リトグリ
昨日は、ユーチューブでだいぶ長い時間、「リトル・グリー・モンスター」という若い女性グループの歌を視聴した。
切っ掛けは、NHKの紅白歌合戦に初出場のグループとして、この名があったからである。
「リトル・グリー・モンスター」、略して「リトグリ」。
もう何年も前にデビューしていたらしいのだが、ワタシは今回初めてこの名を知った。
ユーチューブを観ていて、特に感心したのは、ゴスペラーズのヒット曲「永久に」をカヴァーして歌っている映像である。
ゴスペラーズというのは、実力派の男性グループであり、そのハーモニーは各方面で評価されている。
従って、それをカヴァーすることは、歌う方も相当な実力を持っていなければならない。
それを彼女たち(この映像の当時、みな十代の中高生?)は、ヤスヤスと歌っているのだ。
なんという才能。
デビュー時は六人で現在は五人(「永久に」のメインボーカルの女の子が残念ながら抜けてしまっているそうだ)であるが、そのパワー、ハーモニー、リズム感は、相変わらずである。
ユーチューブで「リトグリ」、是非お試しを。
切っ掛けは、NHKの紅白歌合戦に初出場のグループとして、この名があったからである。
「リトル・グリー・モンスター」、略して「リトグリ」。
もう何年も前にデビューしていたらしいのだが、ワタシは今回初めてこの名を知った。
ユーチューブを観ていて、特に感心したのは、ゴスペラーズのヒット曲「永久に」をカヴァーして歌っている映像である。
ゴスペラーズというのは、実力派の男性グループであり、そのハーモニーは各方面で評価されている。
従って、それをカヴァーすることは、歌う方も相当な実力を持っていなければならない。
それを彼女たち(この映像の当時、みな十代の中高生?)は、ヤスヤスと歌っているのだ。
なんという才能。
デビュー時は六人で現在は五人(「永久に」のメインボーカルの女の子が残念ながら抜けてしまっているそうだ)であるが、そのパワー、ハーモニー、リズム感は、相変わらずである。
ユーチューブで「リトグリ」、是非お試しを。
2017年12月29日金曜日
「ウナギ丼ぶり」
今年の十二月の寒さは半端ではない。
例年の一月、二月の寒さではないかとおもわれる。(まだ雪が降らないだけマシなんだろうか。)
何か月ぶり、いや何年かぶりに「ウナギ丼ぶり」を食べる。
なんと、並みでも一人前三千二百円ときたもんだ。
なかなか庶民にはキビシイ値段なってしまったなあ。
例年の一月、二月の寒さではないかとおもわれる。(まだ雪が降らないだけマシなんだろうか。)
何か月ぶり、いや何年かぶりに「ウナギ丼ぶり」を食べる。
なんと、並みでも一人前三千二百円ときたもんだ。
なかなか庶民にはキビシイ値段なってしまったなあ。
2017年12月28日木曜日
曲がり具合
御殿場、二の岡神社の入り口にある柿の木である。
ここの柿の木は、十回以上は撮っている。
それ程魅力的な柿の木なのである。
何が魅力かというと、一言で言えば「枝ぶり」だ。
もう少し詳しく言うと、その枝の「曲がり具合」である。
写真真ん中の上の方にある枝の「曲がり具合」が何とも言えない。
「よくぞ、ここまで曲がったものだ」といつも感心している。
真っ直ぐなだけでなく、人間も多少「曲がって」いる方が魅力的なのかもしれない。
ここの柿の木は、十回以上は撮っている。
それ程魅力的な柿の木なのである。
何が魅力かというと、一言で言えば「枝ぶり」だ。
もう少し詳しく言うと、その枝の「曲がり具合」である。
写真真ん中の上の方にある枝の「曲がり具合」が何とも言えない。
「よくぞ、ここまで曲がったものだ」といつも感心している。
真っ直ぐなだけでなく、人間も多少「曲がって」いる方が魅力的なのかもしれない。
2017年12月27日水曜日
裾野のテニスコート
本年度最後の水曜テニスであった。
先週に続き、本日も愛鷹のコートは使用できず、裾野のコートで行なう。
愛鷹のコートは予約がいっぱいで、とることができなかったのだ。
一方、裾野の方は我々以外誰もやっていない。
何故こんなに差があるのだろう。
両コートとも、アクセスがそれほど良いとは言えないところなのだが。
沼津市にはテニスをやる人が多く、裾野市には多くないといったわけでもあるまいに。
実に不思議だ。
先週に続き、本日も愛鷹のコートは使用できず、裾野のコートで行なう。
愛鷹のコートは予約がいっぱいで、とることができなかったのだ。
一方、裾野の方は我々以外誰もやっていない。
何故こんなに差があるのだろう。
両コートとも、アクセスがそれほど良いとは言えないところなのだが。
沼津市にはテニスをやる人が多く、裾野市には多くないといったわけでもあるまいに。
実に不思議だ。
2017年12月26日火曜日
田子の浦ゆ
昨日か一昨日か、富士山に降った雪の量がだいぶ増えていた。
富士山と雪と言えば思い出されるのは、百人一首にもある山部赤人の和歌である。
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
この和歌、実は誰かの手によって変えられてしまっている。初出は万葉集の
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」なのだ。
誰が変えたか、犯人は決定的ではないが、鎌倉時代の「新古今和歌集」の選者であり、小倉百人一首の選者でもある藤原定家であることは、ほぼマチガイないだろう。
この二つの和歌には、大きな違いがあって、万葉集の「田子の浦にうち出でて見れば」を現代語訳すると、「田子の浦に出て仰ぎ見ると」となる。一方「田子の浦ゆうち出でて見ると」は、「ゆ」は「~から」の意があるので、田子の浦から(視界の開けたところに)出て見ると」である。
つまり、後者は視界の開ける海上から眺めているのだ。
また、万葉集の「雪は降りける」の「ける」は過去の助動詞であり、雪は過去の雪であるのに対して、「雪は降りつつ」となると現在雪が降っていることになる。
藤原定家というのは、誰もが認める和歌の巨人ではあるのだが、もし定家がこの和歌を変えたのならば、チョイトやり過ぎではなかろうか。
富士山と雪と言えば思い出されるのは、百人一首にもある山部赤人の和歌である。
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
この和歌、実は誰かの手によって変えられてしまっている。初出は万葉集の
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」なのだ。
誰が変えたか、犯人は決定的ではないが、鎌倉時代の「新古今和歌集」の選者であり、小倉百人一首の選者でもある藤原定家であることは、ほぼマチガイないだろう。
この二つの和歌には、大きな違いがあって、万葉集の「田子の浦にうち出でて見れば」を現代語訳すると、「田子の浦に出て仰ぎ見ると」となる。一方「田子の浦ゆうち出でて見ると」は、「ゆ」は「~から」の意があるので、田子の浦から(視界の開けたところに)出て見ると」である。
つまり、後者は視界の開ける海上から眺めているのだ。
また、万葉集の「雪は降りける」の「ける」は過去の助動詞であり、雪は過去の雪であるのに対して、「雪は降りつつ」となると現在雪が降っていることになる。
藤原定家というのは、誰もが認める和歌の巨人ではあるのだが、もし定家がこの和歌を変えたのならば、チョイトやり過ぎではなかろうか。
2017年12月25日月曜日
卒業作品展
N西芸術科美術専攻の生徒の「卒業作品展」・「一二年生作品展」を観に出かける。
会場は沼津駅前の「プラザヴェルデ市民ギャラリー」だ。
この会場、駅前の一等地にあり、建物自体も素晴らしいのだが、どうも利用客が少ないような気がする。
勿論今日はウィークデーであり、利用客が少ないのは、当たり前と言えば当たり前なんだろうが、これでは少し可哀そうだ。
沼津市そのものが衰退してしまっているからだろうか。
さて、土曜講習で授業を担当した卒業生たちの作品は、どれも素晴らしく「さすが三年生」とタタエルほかはない。しかし、今の時代、展覧会の様子をネット配信できるようなシステムはできないものだろうかね。
会場は沼津駅前の「プラザヴェルデ市民ギャラリー」だ。
この会場、駅前の一等地にあり、建物自体も素晴らしいのだが、どうも利用客が少ないような気がする。
勿論今日はウィークデーであり、利用客が少ないのは、当たり前と言えば当たり前なんだろうが、これでは少し可哀そうだ。
沼津市そのものが衰退してしまっているからだろうか。
さて、土曜講習で授業を担当した卒業生たちの作品は、どれも素晴らしく「さすが三年生」とタタエルほかはない。しかし、今の時代、展覧会の様子をネット配信できるようなシステムはできないものだろうかね。
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