2018年10月20日土曜日

「本末転倒」

久しぶりの展覧会会場勤務。
本日も多くの方々のご来場、感謝いたします。

最初にお見えになったのが、昨年G南の国語科でお世話になったMさん。
続いて、昔のG南の同僚T先生、また同時にN西の教え子で写真部だったWさん。
少しおいてF高時代よりずっとお世話なっているO先生。
昼近くには、以前マルサン書店で写真展を開催した折に、受付をやってくれたS
さん。
少し間をおいてN西の国語科で同僚であった我が同志Hさん。
最後を飾ったのが、N西の同僚でワタシが頭を痛めた時、また今でもお世話になっているYさん。

皆さま有難うございました。

さて、今日のテーマは「本末転倒」

「本末転倒」

「本末転倒」とは、重要な事と些細な事が入れ替わることである。
携帯電話における撮影機能が、些細な事かどうかは別として、携帯電話は飽くまでも「電話」なのである。
しかしながら、最近の携帯電話(スマートフォン)のコマーシャルを見ていると、「電話」の機能よりも「撮影(表現力)」の機能を重要視しているではないか。
これではまさしく「本末転倒」である、プンプン。
と、言ったものの、最近の携帯電話の「撮影(表現力)」はスゴイのである。
ここにある3枚の写真は何れも「電話」で撮った写真である。

何はともあれ、キレイに撮れていれば良いか、と思う今日この頃である。










2018年10月19日金曜日

「シーン」

静かなことを「シーン」というのは何故か?
今日の「チコちゃんに叱られる」の問題である。
答えは、実際に「シーン」という音がしているから、であった。

耳の中には細胞があって、その細胞が振動をしている。
人間の耳は、外から入ってくる音の振動を、鼓膜で感じ取る。その鼓膜の振動は、耳小骨(じしょうこつ)と呼ばれる部分で増幅され、耳の奥の内耳に送られる。
その内耳には蝸牛(かぎゅう)という器官があり、そこで振動が電気信号に変換され、脳に送られる。
その際、重要な鍵を握るのが、“外有毛細胞”なのだそうだ。
外有毛細胞とは、音に合わせて伸縮し、振動を増幅させる細胞、まるで踊るかのように動くことから、別名“ダンス細胞”と呼ばれることもあるのだとか。

つまり、「シーン」は、この外有毛細胞の振動している音ということである。

2018年10月18日木曜日

竜田揚げ



夜のテレビ番組において、「竜田揚げ」の語源について解説していた。

なんとなく見当はついていたのだが、「竜田揚げ」は、百人一首の「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐにみずくくるとは」の「竜田川」に縁があった。

この和歌は、竜田川に散り敷いた紅葉が、水を括り染⦅くくりぞめ⦆にしている情景を詠んだ歌である。
この紅葉の赤みが、揚げ物の色に似ているからだと言う。

意外性はなかったが、納得の説明であった。

2018年10月17日水曜日

昨日の朝の富士山

写真展解説も残り二つとなった。
今日は、解説からチョイト離れてみたいと思う。

写真展会場に取りに行かねばならないものがあって、水曜テニスの前に立ち寄る。
芳名帳をみると、昨日、今日と会場を留守にしていた間にも何人かの方に来ていただいていた。
昨日は、ワタシの弟一家のSさん、娘のRさん、そしてその子供ちゃんたち、どうもありがとう。
そして今日はMS信託銀行のKさん、約束通りのご来場有難うございました。

写真は昨日の授業前、G南の校舎四階から撮った富士山である。
上がだいぶ白くなってきたようだ。



2018年10月16日火曜日

「後ろ姿」

先週の水曜日(10日)にケーブルテレビのの取材があって、写真展に関するインタヴューを受けたのであるが、その放映が今日であった。
しかしながら、我が家にはケーブルテレビを見る手段はなく、またストリーミング放送がスマホで見ることができるそうなんだが、それもアイホンなければダメだという。
まあ、しょうがないかということで、諦めた次第。
ただ、帰りがけに二年生の優しい生徒がやってきて、(彼の家ではケーブル放送を見ることができるそうだ)ワタシの代わりに放送を見て、感想を後日語ってくれることになった。
うーん、持つべきは優しい生徒である。

さあ、今日は「後ろ姿」である。
この三点の写真は何れもN東時代に写したもの。


「後ろ姿」



種田山頭火の代表作に、「自嘲」という前置きがあって、『うしろすがたの しぐれてゆくか』の句がある。
「冬の寒い日も托鉢は続く。毎日修行を続ける身でありながら、ときどき脱線して俳句仲間らに迷惑をかけ続ける自分を情けなく思う」

の意である。
時雨(しぐれ)の中で、その思いはいや強くなり、その自分の後ろ姿が、時雨の中に少しずつ埋もれていきそうなのを、黙ってみつめているもう一人の自分がいるのであろう。

「後ろ姿」は、自分で見ることはできないが、自分の命をはかるバロメーターのようなものであろう。

若者たちの、ナント生命力あふれた「後ろ姿」だろうか。





2018年10月15日月曜日

「腕(かいな)」

ここのところ、土日は展覧会場、平日は学校の授業という日が続いていたので、今日の休みは有難かった。
人間は週に一度は休むべきなのです。

さて、今日ののお題は「腕(かいな)」である。




「腕(かいな)」



腕(かいな)とは、「腕(うで)」の意のやや古い言い方、部位で言うと、人や猿の肩から手首までの部分である。
しかし元来「腕(うで)」は、ひじから手首まで「一の腕」のことで,「ただむき」ともいった。

「腕(うで)」の次にあるのが肩から肘までの「二の腕」または「かいな」である。

大辞林によると、《万葉集》巻三に〈木綿襷(ゆうたすき)かひなに懸けて〉とあるのはこの部分(肩から肘まで)のことである。

また、《源氏物語》には、〈かいな〉が前腕を含む腕全体を指すところがあり,〈腕(うで)〉の範囲はあいまいである。…

うーん、なかなか厄介な言葉だ。


2018年10月14日日曜日

「変」

雨が心配されたが、朝のうちだけで一日を通して雨に祟られることはなかった。
朝一はG南時代に国語科の同僚であったSさん。
友人を連れての登場であった。
去年は書道の関係で来ていただいたのであるが、あらためて写真のためのご来場。
二番目が高校の我が親友T君。
いつもありがとう、今日はコンビニ珈琲を土産の登場であった。
三番目がもう三十年以上の付き合いのあるWさん(昔はKさん)、次に中学のクラスメイトであるツインタワーの女性、昔はNさんとTさん(Tはお名前です)。
そして今日のラストがF高時代の教え子N君夫妻。
一月にはカフェでの展示、よろしくお願いします。

うーん、今日も充実した一日であった。さて、今日のお題は「変」である。

「変」

「変」とは「変える」ことである。
辞書を引くと、①改める②動かすの意、他にも融通するの意味があるようだ。
「融通」とは、「融」も「通」も同義で、現象的には表裏の関係にあるものが、実は一体であるの意だという。
熟語としては、「融通無碍(ゆうずうむげ)=考え方や行動が、何物にもとらわれず、自由であること」などがある。うーん、好きな言葉だ。
写真は「柿の実」を撮ってみたのであるが、ワタシの眼前にある「柿の実」は、このように見えるのである。