今日もまた写真展
夕方、空にすじ雲。
コスモスと一緒にすると、面白いだろうと思い何枚か撮ってみた。
コスモスの花の色をつぶしても面白いし、ピンクの色を出しても面白い。
コスモスというのは、ほんとに面白い花だ。
失敗。
レンタルDVDをうっかりしていて、返し忘れていた。
四本のDVDを二時間ほど延滞したところ、なんと960円の延滞料。
旧作を一本50円で借りたのに、なんということだろう。
不条理である。
でもこれがルールというものなんだろうね。
まあ、今日は気に入ったコスモスの写真が撮れたので、勘弁してやろう。
このコスモスは近所の小さな畑にあったコスモスであるが、この時期になると、咲いているコスモスをさがすのが大変。
「よくぞ、残っていてくれた。」という感じであった。
2012年10月13日土曜日
富士吉田浅間神社
N西は今日(10/12)遠足。
三年生は山梨の昇仙峡に行って、その後、勝沼でブドウ狩りということであった。
「よし、それでは私もブドウ狩りに乱入しよう。」 と決め、車でナビにブドウ園の位置をセットして出発。
ところが、山中湖を過ぎたあたりで、「紅富士の湯」の看板。
「おお、今日は天気もいいし、露天風呂もいいな。」と予定を変更。
結局、露天風呂を堪能してきたのである。
露天風呂のあとには、チョイと足をのばして富士吉田の浅間神社まで行ってきた。
右上の写真は浅間神社の境内にあった神木である。
ここの神社は日本三大火祭りのひとつ「吉田の火祭り」で有名である。
また、左の写真は浅間神社の近くにある別の神社の木であるが、実はこの木見たさに、もう三回来ている。
木の格好が面白いのだ。
枝をみな落とされてしまって、妙な格好であるが見ていても飽きない木なのである。
これからも、この木を見るために、ここを訪れたいと思っている。
三年生は山梨の昇仙峡に行って、その後、勝沼でブドウ狩りということであった。
「よし、それでは私もブドウ狩りに乱入しよう。」 と決め、車でナビにブドウ園の位置をセットして出発。
ところが、山中湖を過ぎたあたりで、「紅富士の湯」の看板。
「おお、今日は天気もいいし、露天風呂もいいな。」と予定を変更。
結局、露天風呂を堪能してきたのである。
露天風呂のあとには、チョイと足をのばして富士吉田の浅間神社まで行ってきた。
右上の写真は浅間神社の境内にあった神木である。
ここの神社は日本三大火祭りのひとつ「吉田の火祭り」で有名である。
また、左の写真は浅間神社の近くにある別の神社の木であるが、実はこの木見たさに、もう三回来ている。
木の格好が面白いのだ。
枝をみな落とされてしまって、妙な格好であるが見ていても飽きない木なのである。
これからも、この木を見るために、ここを訪れたいと思っている。
2012年10月12日金曜日
主人公
「主人公」という言葉がある。
物語の「主人公」などというアレである。
実はこの「主人公」とい言葉は、禅の言葉であるらしい。
意味は「本来の面目」
「真実の自己」
「本来の自己」
あるいは、「主体的な私」という意味であるという。
物語の「主人公」などと言う時は、物語の中心人物の意味であるのだろうから、これは「主体的な私」になるのだろう。
しかしながら、「本来の面目」などという意味になってしまうと、「本来の意味」からチョイと意味がはずれてしまう。
仏教用語というのは、本来の意味から外れて、言葉が一人歩きするケースが多々あるような気もするが、これも禅の言葉が一人歩きした例なのだろう。
2012年10月11日木曜日
またさらにミニ写真展
またさらにミニ写真展
どうもコスモスに取り憑かれ、コスモスがまだ離れてくれないようだ。
コスモス病である。
コスモスを見ると、写真に撮りたくなってしまうのである。撮れば撮るほど深みに嵌って行くような気もしている。
また、この花は実に奥が深い。
時間により色が違って見える花でもある。
私が撮っているコスモスの花は、色で言えば三色ほどであるが、花を撮る時間によってその三色が微妙に変わるのである。
朝、昼、晩の色がそれぞれ変わってくる。
さらに、表から撮るか、裏から撮るかによっても色が変わる。
実に不思議な花だ。
次に花とカメラの距離によって形が変わること。
花の茎も大事な要素だ。
近くに寄れば寄るほど、茎が複雑にからんでくる。
誤解を恐れずに言うならば、花と茎がからむことにより、花の大きさも異なって見えてくるのである。
そして、秋桜花は逆光が似合う花でもある。
花の中でも、これ程逆光の似合う花はあるまい。
逆光で撮ったコスモスは、活き活きとしていて輝く花に変化するのである。
スモスてえのは、へそまがりの花か?
どうもコスモスに取り憑かれ、コスモスがまだ離れてくれないようだ。
コスモス病である。
コスモスを見ると、写真に撮りたくなってしまうのである。撮れば撮るほど深みに嵌って行くような気もしている。
また、この花は実に奥が深い。
時間により色が違って見える花でもある。
私が撮っているコスモスの花は、色で言えば三色ほどであるが、花を撮る時間によってその三色が微妙に変わるのである。
朝、昼、晩の色がそれぞれ変わってくる。
さらに、表から撮るか、裏から撮るかによっても色が変わる。
実に不思議な花だ。
次に花とカメラの距離によって形が変わること。
花の茎も大事な要素だ。
近くに寄れば寄るほど、茎が複雑にからんでくる。
誤解を恐れずに言うならば、花と茎がからむことにより、花の大きさも異なって見えてくるのである。
そして、秋桜花は逆光が似合う花でもある。
花の中でも、これ程逆光の似合う花はあるまい。
逆光で撮ったコスモスは、活き活きとしていて輝く花に変化するのである。
スモスてえのは、へそまがりの花か?
2012年10月10日水曜日
雀の彫刻
昨日、マンホールの蓋のデザインにあった鳥のことで、御殿場市の鳥は雀ではなかろうか?と書いたのだが、調べてみると、これは雀ではなく「くろつぐみ」という鳥であった。
ナンデ御殿場市の市鳥が「くろつぐみ」なのかはよくわからないが、なにはともあれ、「くろつぐみ」なのだ。
昨日「雀」だと騒いだ根拠となったのが、右の写真である。
市役所近くのガードレール?にある彫刻で、歩いていて偶然見つけたものだ。
これはどう見ても「雀」なのだがね。
ちょっと裏道で、気づかないようなところにある金属の彫刻なのだが、以前から気になっていた彫刻である。
まわりに竹藪があるので、雀にはぴったりのシチュエーションでもあるのだが。
ナンデ御殿場市の市鳥が「くろつぐみ」なのかはよくわからないが、なにはともあれ、「くろつぐみ」なのだ。
昨日「雀」だと騒いだ根拠となったのが、右の写真である。
市役所近くのガードレール?にある彫刻で、歩いていて偶然見つけたものだ。
これはどう見ても「雀」なのだがね。
ちょっと裏道で、気づかないようなところにある金属の彫刻なのだが、以前から気になっていた彫刻である。
まわりに竹藪があるので、雀にはぴったりのシチュエーションでもあるのだが。
2012年10月9日火曜日
マンホールの蓋
道を歩いていると、結構面白い発見がある。
写真はマンホールの蓋であるが、その蓋たによって、中に入っているものが認識できるようだ。
下のSLの絵の蓋には「おすい」の文字がある。さらにその下の写真の蓋には「水」の字がある。つまり、SLの蓋は下水道の蓋なのだろう、また「水」のマンホールの下には水道管があるのだろう。
一番上の「仕切り弁」と一番下の「仕切り弁」の文字は何を「仕切って」いるのかわからないが、ガス管あたりなのだろうか。
デザインとして私が最も気に入っているのは、右上の「富士山と雀?」である。
青系を二色使って、配色もとてもしゃれている。
さらに秀逸なのは、GOTENBA CITYの文字と
そのまわりにある 雀の足跡である。
よくここまで考えたものだ。
これだったら、御殿場市のシンボルマークにしても良いのではないかとも思える。
ただ不思議なのは、何で鳥が雀なのだろうか。
謎である。
写真はマンホールの蓋であるが、その蓋たによって、中に入っているものが認識できるようだ。
下のSLの絵の蓋には「おすい」の文字がある。さらにその下の写真の蓋には「水」の字がある。つまり、SLの蓋は下水道の蓋なのだろう、また「水」のマンホールの下には水道管があるのだろう。
一番上の「仕切り弁」と一番下の「仕切り弁」の文字は何を「仕切って」いるのかわからないが、ガス管あたりなのだろうか。
デザインとして私が最も気に入っているのは、右上の「富士山と雀?」である。
青系を二色使って、配色もとてもしゃれている。
さらに秀逸なのは、GOTENBA CITYの文字と
そのまわりにある 雀の足跡である。
よくここまで考えたものだ。
これだったら、御殿場市のシンボルマークにしても良いのではないかとも思える。
ただ不思議なのは、何で鳥が雀なのだろうか。
謎である。
2012年10月8日月曜日
さらに写真展
さらに写真展
漢文の講習において、「捜神記」の漢文を講習した。
以前にも「捜神記」については書いたことがあるが、日本の古典でいうならば、「今昔物語」のような性格をもった作品ではないかと思う。
今回の話は、ある男が冥界(あの世)の役人と出会い、その役人が持っていた死者の名簿を見てしまう。その名簿の中には自分の名があった。驚いた男は役人に延命を願いでる。すると役人は、ふたつの条件を付けて、それができるようなら助けることを約束する。ふたつの条件とは、名簿を見たことを他言しないこと、これから三年の間、家から一歩も外に出ないことである。
さて、男は言われたとおりにしていたが、三年めが近づいたある日、隣の家で人が亡くなる。今まで、男が外に出ないことを疑問に思いつつ、我慢していた家人もここに及んで、男を責め立てる。「葬式に出なさい。」そして意を決した男が家から外に出たとたん、役人がやってきて男を冥界に連れ去る。
この話を読んでいて、「はっと」思った話がある。それは、日本の落語の中にある「死神」という話だ。この話は、何をやってもだめな男が、老人の姿をした死神と出会い、死神にいろいろ助けてもらうのだが、結局、死神を裏切ってしまい、自分の命を落としてしまうといった話だ。
テーマは両方とも、「約束を違えると命取りになるぞ。」なのであろうが、なかなか考えさせる話であった。
漢文の講習において、「捜神記」の漢文を講習した。
以前にも「捜神記」については書いたことがあるが、日本の古典でいうならば、「今昔物語」のような性格をもった作品ではないかと思う。
今回の話は、ある男が冥界(あの世)の役人と出会い、その役人が持っていた死者の名簿を見てしまう。その名簿の中には自分の名があった。驚いた男は役人に延命を願いでる。すると役人は、ふたつの条件を付けて、それができるようなら助けることを約束する。ふたつの条件とは、名簿を見たことを他言しないこと、これから三年の間、家から一歩も外に出ないことである。
さて、男は言われたとおりにしていたが、三年めが近づいたある日、隣の家で人が亡くなる。今まで、男が外に出ないことを疑問に思いつつ、我慢していた家人もここに及んで、男を責め立てる。「葬式に出なさい。」そして意を決した男が家から外に出たとたん、役人がやってきて男を冥界に連れ去る。
この話を読んでいて、「はっと」思った話がある。それは、日本の落語の中にある「死神」という話だ。この話は、何をやってもだめな男が、老人の姿をした死神と出会い、死神にいろいろ助けてもらうのだが、結局、死神を裏切ってしまい、自分の命を落としてしまうといった話だ。
テーマは両方とも、「約束を違えると命取りになるぞ。」なのであろうが、なかなか考えさせる話であった。
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