これも一つの老化現象なのだろう。
こうして人間は歳をとって行くのです。
(写真は今月の初めに撮った「秩父宮記念公園」の椿である。)
これも一つの老化現象なのだろう。
こうして人間は歳をとって行くのです。
(写真は今月の初めに撮った「秩父宮記念公園」の椿である。)
一体これは何だと思ったのだが、原因が分かって納得。
まず、三年生が自宅学習の期間に入っていて生徒が登校していない、さらに一年生ではインフルエンザのために学年のかなりのクラスが休講となっていたのである。
静まり返った校舎というのは、やはり何となく妙な気がする。
これは雨を表現する言葉であり、地面を叩きつけるように降る激しい雨のことである。
「篠」とは細く群がって生える竹や笹の総称「篠竹」のことであり、「篠突く」は「篠竹」を束ねて突き下ろすように細かいものが集まって飛んでくる様をいう。激しく降る大雨は、篠竹を束ねたものが落ちてくるように降ることから、雨の激しく降る様を「篠突く雨」と言ったそうである。
日本の雨を表現する言葉は、実に見事だ。
近頃、「まじ?」と言う言葉をよく耳にするので、ここの駅は当然話題になってもよさそうだったのに、あまり聞いたことはなかった。
「馬路(まじ)」はどこかに隠れていたのだろうか。
今日の水曜テニスは、なにごともなく無事に終了。ただし先週のキャンセル料を支払わねばならなかったので、ここはチョイと痛かった。
毎日50は超していた怪しいメールが、今日はほぼゼロとなっていた。メールの送り主が改心したとは思われないのだが、原因が分からないのも気持ちが悪いものである。
それともう一つは、このブログを開くための操作がいつもと異なっており、開くのに苦労したこと。
これら二つが関係あるのかどうかははっきりしないのであるが、取り敢えず怪しいメールが無くなったのは嬉しいのである。
この寒さのせいかどうか、授業にいってみると欠席者も多く、もともと十人に満たないクラスなど、今日の出席者は三人という可哀そうな状態であった。
何はともあれ、健康が一番なのです。
果たして、ここで打ち止めとなるのか、それともここからまだ次の寒さがやってくるのか、やや不安を抱える毎日である。
残念である。
大相撲で「熱海富士」という静岡県出身の力士が、優勝決定戦において初の優勝を逃してしまった。あと一歩だったのだが、やはり力が少し足りなかった。これが相撲なのである。
最近のワタシは「高所恐怖症」ぎみであったゆえ、「あんなところ、多分一生行くことはないだろう」と思っていたのだが、一昨日横須賀から訪ねてきた叔父が「どうしても橋を渡りたい」と言い出したので、仕方なく訪れる。
実際行ってみると、ワタシだけが橋の手前で待っているわけにもいかず、これも仕方なく橋を渡ってみた。
まあ、渡ってみれば、かつては「恐怖症」などこれっぽっちなかった昔に、自分自身が戻っていて、なんということもなかったのである。ものごとは何でも気の持ちようなのである。
写真は先週「秩父宮記念公園」で撮った「姫リュウキンカ」である。
ワタシもあまり詳しく知ることはないのだが、茎が直立し、黄金色の花をつけることから「立金花」と呼称されるようになったという。
「綺麗な花には毒がある」の例にもれず、若芽は山菜として食用になるが、基本的には有毒であり、多量に食すと下痢などの症状を起こすそうである。
本日の水曜テニスはメンバー不足のためキャンセルとなってしまった。メンバー不足とは情けないことである。
昨日の天気予報通り、御殿場でも雪。雪と言っても今日午後の情報番組を賑わしている「居座り寒波」に比べたらカワイイものである。
情報番組によると、日本海側では北陸地方を中心に、明日から三日間、毎日100センチ積雪の予報が出ている。
三日間100センチとは!
ワレワレ暖かい地方と言われる静岡県では、想像を絶する出来事なのである。
今年度の三年生は十二月・一月と、それまで担当していたクラスと、新たに加わったクラスの二クラスを担当せねばならなくなり、それなりに忙しかったのだが、いざ終わってみると忙しかったことよりも楽しかったことの方が印象に残っている。
夕方になって一段と冷えてきたので、今晩は雪か?
ランプシェードと言っても、実態は電球カバーと言った方が良いのかも知れぬ。さらにこれは天井からぶら下がっているものであり、吊り下げている線も消えているので、暗闇に中に浮いているような不思議な雰囲気が出てきたものである。
特に意図したものではないが、面白い写真が撮れた。
いつもは庭だけ歩いて帰ってくるのだが、今日は久しぶりに邸内に入ってみた。
写真は秩父宮邸の応接室にあるランプシェードである。
恐らく、秩父宮邸が建てられた当初より存在していたランプシェードだと思われるのだが、この意匠というかデザインが素晴らしいのである。
ここのところ、地球の気候がオカシクなって来ているようだが、それと同時に世界情勢、並びに日本の情勢も何だかオカシクなって来ているような気がする。
こういうのは、皆いっぺんにオカシクなるのですかね。
そんな時に老年を迎えることは、気力・体力もなく極めて不安ではあるが、逆に「この先どうなってもいいぞ」という覚悟も出来てくるのである。
ここで油断するとイケナイのであろうが、やはりこの暖かさはホットする。
およそ三か月ぶりに床屋に行く。
特に床屋を敬遠していた訳ではではないのだが、何となく行くタイミングを逃してしまっていたので、今回の床屋となった。
最近、髪の毛が鬱陶しかったので、少しだけ清々しい気分になったのである。
やはり、ここ数年、暑さも寒さも前倒しというか、季節が何となくズレてきているような気がする。
最近困ること。固定電話でも携帯電話でもこちらの正体が分かっていないと、なかなか相手に通じないこと。
かく言うワタシの家でもそうなんだが、あまりにも詐欺電話とか、何かの勧誘電話が多いため、不明の相手からかかってきた電話にはまず出ることをしないのである。
まさか便利なはずの電話というものが、このような状況になるとは。
やはり、皆さん高齢であるため、自分も含めてこれからも怪我には十分注意しなければならないのだろう。
まあ、安全に安全にとテニスをやっても、面白くはないのですがね。
三日前からブログに登場している札幌の南区にある通称「頭大仏」なのであるが、そのあり方はとても不思議。例えるならば、円形の古墳の中に大仏を置いて、古墳の上部をくりぬき、そこから頭がチョイと出るように設計されたものだ。
ナンデこのようなスタイルにしたのかはよく分からないが、とてもインパクトのあるものであった。
非常に斬新な大仏だ。
実はこの大仏、世界的にも有名な建築家安藤忠雄によって設計されたもので、遠くから見ると丘の上に、頭がヒョイと出ているという非常にインパクトのある大仏なのである。
小山町に近い御殿場市のはずれまで行くと、遮るものがなくなって、富士山が大きく見える。富士山というのは不思議な山で、このように見えてしまうと、その「魅力」がかなり失われる気がする。最初に言ったように「面白味のない」山となってしまうのだ。
まあ、これはワタシだけの「思い」かもしれぬが。
ワタシはこういうネーミングにすぐ釣られてしまうのです。
ネット情報ではこんなことが書かれている。
「なんにでもかけたくなる出汁マヨ」は、200gチューブの出汁のきいたマヨネーズタイプで、調味料(アミノ酸)不使用。出汁として、「千代の一番」野菜ブイヨンパウダーを使用しています。
ありそうでなかった旨味たっぷりの出汁の利いたマヨネーズ。マヨネーズを料理に使う際は、醤油やだし汁など他の調味料と合わせて使うことがほとんどですが、「なんにでもかけたくなる出汁マヨ」は野菜の旨味があるので、使うだけでひと味違う料理に仕上がります。
うーん、まだ試していないが、食べたらまた感想を書くことにしよう。
どうしてこのような世の中になってしまったのだろうか。いつからこのような世の中になってしまったのだろうか。
明日から日本海側では雪、太平洋側ではカラカラ天気が続くという。どうか雪害や火災のないように。
なにぶんジジイのテニスグループであるゆえ、あちらの故障こちらの故障と、なかなか全員が揃うことがない。
今日もメンバーの一人が、転んで足を痛めてしまったということで、五人での水曜テニスであった。
次回こそはフルメンバーで実施したいものだ。
初めてが、2限・3限・4限の三連続授業というのは、ひと月近く怠惰な生活を送っていたジジイにとってコタエルのである。しかも今回は3限の授業にピンチヒッター授業というオマケまでついた。
急なピンチヒッターだけに、事前の教材研究はゼロ、いきなり教科書だけ持って授業に行った次第である。(こんな状況でも何とか授業が出来てしまう自分が恐ろしい。)
自慢ではないが、こんなことが出来るのは、経験豊富であり恥知らずであるジジイしかいないのである。
いつから何故使われたのかはハッキリしていないが、相手を徹底的に打ちのめす時などに使用される言葉だ。
当然、語源もハッキリしていないが、ぼろぼろにになる様子の擬態語「こてんこてん」が変化したもので、「ぱん」はパンチなど打つ系の言葉から来ているらしい。
いづれにしろ、感覚的にはよくわかるが妙な言葉だ。
(写真は木の幹に映った木の葉の影)
晴れは気分が良いが、このまま雨が降らないのも空気が乾燥して火事なども怖いものとなるのであろう。
年末にテレヴィジョンが突然映らなくなって、新しいものを購入したのだが、今度はDVDプレーヤーとの接続が上手く行かず、手を焼いている。
最近のテレビは、繋げば良いというものではないらしい。(テレヴィジョンかプレーヤーの設定を変えることが求められることなのだが、どうもその設定からして良く分からん。)
「微」は「かすか」や「わずか」の意味を持つ漢字で、感覚で識別不可能」なもののことであり、言い表しようのない美しさで、たとえようのない思いだと言う。
また「妙」は「たえ」とか「みょう」であり、優れている、趣きがあることを表現する。
そして「微」と「妙」を組み合わせることで、「かすかながら趣き深い」とか「ちょっとした差があり巧みである」となる。
今の言葉の意味はどちらかというと、マイナス要素の強い「あまり好きではない」の意に近いと思うのだが、言葉の意は変化が付きものなので、これはこれで良いのだろう。
昨年末からボケたことばかりしていたワタシであったが、「今年こそは」の願いも虚しく、今日もさっそく「スマホを落とした騒動」をしてしまった。
結局、スマホは車の運転席シート横の隙間に隠れていたのだが、この先が思いヤラレル年の初めである。