2024年8月1日木曜日

伊勢大輔の和歌

「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」

昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲きほこっていることですよ。

さて、最後は、中宮の彰子に仕えていた伊勢大輔(いせのたいふ)が、道長から和歌を詠むように言われて詠んだもので、今の治世への祝賀の意味を持っている。


ここのところ、百人一首から「今が旬の藤原道長に関係した和歌」を抜きだしてみたのだが、全部で十首ほどあった(実はまだ」あるのかも知れないが)。

百人一首とは、飛鳥・奈良・平安・鎌倉と、およそ六百年の間の中の秀歌を、鎌倉時代の天才藤原定家が撰んだものであるが、道長関連(言ってみれば道長の生きていた時代)の和歌が十首とは驚いた。

そもそも定家は「藤原氏」の一族であるのだからショウガナイことなのだろうが(百人一首は三分の一強が藤原氏の和歌である)。




 

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