九州の大雨のニュースを放送しているキャスターの言葉にチョイト気になる言葉があった。
今後も大雨の注意が必要であることを表現するのに「これからも気が置けない時間が続くでしょう」と、言っていた。
「気が置けない」とは「気を使うことなく、気楽に」という意味が本来の意味である。
件(くだん)のキャスターは、明らかに「油断ができない」の意味で使用している。
これは「置けない」を「置くことができない」と、考えているからである。
すなわち、「気を置くことができない(緊張している気持ちを、その辺に置いてしまうことはできない)」、したがって「油断ができない」となるのである。
しかしながら、本来「気を置く」とは、「気を使ってしまう」という意味である。
「気が置けない仲間」は「気を使うことのない、気楽な仲間」のことだ。
つまり、ニュースキャスターの言葉は明らかに間違っているのである。
さて、今私は「間違っている」と書いたのだが、実はこの言葉「揺れている」のである。
言葉の「揺れ」とは、ある言葉が本来の意味とは異なった意味に移行している状態。
この状態が進むと、言葉は異なった方の言葉で定着してしまうのである。
その典型的な言葉が「負けず嫌い」である。
「負けず嫌い」の意味は「負けることが嫌いな人」という意味として、何の疑いもなく使用されているが、よく考えると「負けず」つまり「負けない」ことが「嫌い」なのだから、「負けることが好き」な人のことを、「負けず嫌い」というべきだろう。
意味は完全にひっくり返ってしまったのだ。
このことを考えると、将来的には「気が置けない」は、「油断できない」に変化してしまう可能性は大なのである。
文化庁が調査している「国語に関する世論調査」では、平成14年の「気が置けない」の意味は、本来の意味「気を使わなくて良い」が44.6%、「気を使う」が40.1%なのに対して、十年後の平成24年の調査においては、「気を使わなくて良い」が42.7%、「気を使う」が47.6%と、逆転をしており、「気が置けない」が「油断できない」に定着するのは、時間の問題なのかもしれない。
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