2013年11月30日土曜日

岡林信康というフォークシンガー

報道ステーションというニュース番組に、かつて「フォークの神様」といわれた「岡林信康」が出演していた。
彼の話は、なかなか考えさせられるところがあった。
なかでも印象深い話は、彼の「友よ」にまつわるエピソードである。
東京では左翼の学生が、この歌を自分たちのテーマソングのように歌っていた。
一方、北海道の自衛隊の隊員も「友よ」を自分たちの仲間で歌う歌にしていたというくだりである。

人間のイデオロギーなんてえものは、根底のところでは大差はないのだろう。

さらに岡林は言う。
政治に幻想を抱くな。
そのようにしてしまったのは、自分自身なのだと。

2013年11月29日金曜日

「野球は年齢でするものではない。」

スポーツニュースに、今年大リーグのボストン・レッドソックスで活躍した上原投手が出演していた。
印象深かったことは、彼の「野球は年齢でするものではない。」という言葉であった。
39歳のピッチャーは、自分のことを「まだまだ発展途上だ」という。

この言葉を借りれば、「教師も年齢で」するものではない。」ということになる。

よーし、明日も老体にムチ打ってやるとしようか。

2013年11月28日木曜日

ここ数日で一気に冬らしくなってきたようだ。

冬には「最後」とか「終わる」とか「冬ごもりする」という意味がある。
また「冬」の字体は、糸の両端が結ばれたさまの象形であるという。

「結ばれたさま」、これによって、のちには、一年の終わりの季節の意味でも使われるようになったという。

今は西洋式に合わせて、11月から1月までまでが「冬」であるが、字義でいうならば、やはり一年の終わりまでが「冬」、つまり10月から12月までが「冬」なのだろう。

10月が「冬」とはどうも言えないが。


2013年11月27日水曜日

取り違え

今日のニュースの中に、六十年前に別の新生児と取り違えられ、貧困を強いられたとして、病院に対して60歳の男性が損害賠償を求めた訴訟の判決(3800万円の支払い)が東京地裁であった。
私自身この男性には同情するし、いい加減な措置をした病院に怒りを禁じ得ないのであるが、この話には何かもう一つ合点がいかないところがあるような気がする。

確かに、過去の取り違えがなければ、経済的に豊かな家庭で育てられ人生も変わっていたかもしれない。
しかし経済的に恵まれることが、イコール幸福であるかというと、どうも、そうではないようにも思えるからだ。
勿論「貧困を強いられた」は裁判上の已むを得ないフレーズかもしれない。

男性のコメントの中には、育てられた家庭の兄弟には可愛がられた云々という部分があった。
育てられた家族には男性も感謝しているに違いない。
もし、そうであるならば「貧困を強いられた」という理由は、やはり、育てられた家族に対して聊か馴染まない言葉ではなかろうか。

当事者でない人間がこんな事をいうこと自体が馴染まないかもしれませんがね。

2013年11月26日火曜日

埴生の小屋

放課後補習の教材の中に、小林一茶の俳文「我春集」が出てきた。
上総の国のある老婆が自分の田んぼを、奉行所に良い条件を提示され、制収容されそうになるが、頑固に抵抗する。
これに関して一茶は、老婆のことを強情な愚か者と評しつつ、共感を覚える、といった話だ。

「いつの時代にも強制収容ってえのはあるもんだ。」と思いつつ、この文の中の一つの言葉が気になった。
「埴生の小屋(をや)」という言葉である。
この言葉の意味は設問としても使われている。
「埴生の小屋」、意味は「粗末な家」である。

さて、「小屋」は「家」なのだろうが、「埴生」が何故「粗末」なのか。
「埴生」は「はにふ(はにゅう)」、「はに」は「粘土」のことだ。
「ふ」は一面それを産する場所のこと。
「柳生」は「柳」のいっぱいあるところ、「麻生」は「麻」、「竹生」は「竹」、「萩生」は「萩」のいっぱいあるところである。
つまり「はにふ」は、「粘土」のいっぱいある土地の意となる。

「粘土のいぱいあるところの小屋」が「埴生の小屋」の意味となるはずなのだ。
それが何故「埴生の小屋(埴生の宿の方がポピュラーかもしれない。)」の意味が「粗末な家」なのだろう。
ここが今ひとつ納得がいかないところである。

うーん、後日また考えてみよう。




2013年11月25日月曜日

顎関節症

近所のスーパーで正月用の「お飾り」の販売が始まった。
もう、そのような時期になったのかと、聊か焦り始める自分。

最近どうも左側の顎(あご)が、おかしいような気がする。
食事をしようと、口を開けようとすると、耳の下あたりが痛いのだ。
今までこんなことはなかったので、気味が悪い。

ひょっとしたら、これは今流行の「顎関節症」なのだろうか。
流行にのれるのは、何となく誇らしい?気もシナイではないが、やはり痛いのは困る。

ウィキペディアには次のように書かれていた。

顎関節症(がくかんせつしょう,Temporomandibular joint disorder)とは、顎関節部や咀嚼(そしゃく)筋等の疼痛、関節音、開口障害ないし顎運動異常を主要とする慢性疾患群の総括的診断名であり、その病態には咀嚼筋障害、関節包・靭帯障害、関節円板障害、変形性関節症などが含まれる。

症状 一般に、顎運動障害、顎関節痛や関節雑音が単独もしくは複数合併して発現する(これを顎関節症の主要3症状と呼ぶ)。疼痛は主に顎運動時に生じる。 雑音には、ゴリゴリという低い音のcrepitusと、カクンという弾撥音であるclickingとがある。その他にも、耳の痛み、耳閉感、難聴、めまい、眼精疲労といった眼や耳の症状、頭痛や首、肩のこり等のさまざまな症状を呈するとも言われている。








2013年11月24日日曜日

好み

「丸亀うどん」という讃岐うどんのチェーン店で、うどんを食べた。
「丸亀うどん」は何度か食べたことはあるのだが今日は何だかいつもよりヤワラカイような気がした。
うどんの命はコシであるのに。

もっともこのコシ、人によって好みが異なるから始末が悪い。
考えてみれば、うどんのコシだけでなく、「甘い辛い」から「熱い温い」、あるいは「硬い柔らかい」まで、食べ物に関しての好みは違う。
それが「好み」というものなのだろう。

「うどんがヤワラカイ」なんてぇーのは大した問題ではないか。