雪の降る日が休日のなので、少しは救われるだろう。平日に降られてしまうと、あまり雪の降ることの無い静岡県は大混乱してしまうからだ。
火曜日に埼玉県の八潮市というところで、道路が陥没し、さらにその陥没した穴にトラックが落ちてしまうという、きわめて悲惨な事故があった。救助は難航していて、今日現在まだトラック運転手は救助されていないそうだ。
八潮市といえば学生時代のの友人が住んでいるはず、ニュースを見ていると、水道関係にかなり影響が出ているとのこと、友人は大丈夫だろうか。
雪の降る日が休日のなので、少しは救われるだろう。平日に降られてしまうと、あまり雪の降ることの無い静岡県は大混乱してしまうからだ。
火曜日に埼玉県の八潮市というところで、道路が陥没し、さらにその陥没した穴にトラックが落ちてしまうという、きわめて悲惨な事故があった。救助は難航していて、今日現在まだトラック運転手は救助されていないそうだ。
八潮市といえば学生時代のの友人が住んでいるはず、ニュースを見ていると、水道関係にかなり影響が出ているとのこと、友人は大丈夫だろうか。
今日、たまたま近所のスーパーで二種類の「バターチキンカレー」を見つけ、それを購入し、手元にあった「無印」のものと一緒に撮ってみた。
まだ実際に食していないので、何とも言えないが、食した折には「食レポ」でもしてみたいと思う。
軟式テニスのボールほどの影響はないのであるが、風の強い日はかなり苦労するのがテニスなのだ。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、ボールの着地点の判断が難しい。
まあ、これがテニスなのですがね。
写真は自宅近くの公園から撮った富士山。
御殿場から見ると、雪はかなり下の方まできているようだ。
本日より三年生は自宅学習となった、よって今日のワタシは(火曜日は三年生の授業のみ)、休日となってしまった。
授業もあると、それはそれなりにタイヘンなのだが、なければ結構サミシイものである。
そう言えば、今シーズンはまだ積雪を記録するような雪は降っていない。これほど雪の降らない御殿場も珍しいのではないか。
夕方、フジテレビの「やり直し会見」を見た。
報道機関であり、常に「報道している」ところが一旦「報道される」側にまわると、実に「危うい」ところを見せてしまうようだ。
「生徒のことをより丁寧に評価する」という趣旨は悪くないと思うが、ワタシのように週に二回しか授業をやっていない講師にとって、どれほど生徒のことを理解しているのかは、チョイと不安なのである。
昨年の「光る君」に続いて評判の良いドラマであるようだが、ハテ、「べらぼう」とは何ぞや?
他人を罵ることば「べらぼうめ」の「べらぼう」の意味は「筋の通らないこと」「馬鹿げていること」、あるいは「並外れてひどいこと」である。
また語源は諸説あるらしいが、「へらぼう」つまり「箆(へら)の棒」であり、「箆棒」とは「穀物を潰す棒」=「穀(ごく)つぶし」なのだそうだ。
「ごくつぶし」とは「飯を食うだけ食って何もしない人」のことを言う。
三年生との顔合わせはこれで終了、オーバーな話ではなく、彼らの中にはもう一生顔を合わせることがない生徒がいるのかもしれない。
そう思うと何かサミシイ気もするのです。
しかしながら、今日は比較的寒さも和らいでおり、写真を撮るには絶好のコンディションと考え定番の「秩父宮記念公園」散歩に出かけた。
写真は「記念公園」の蝋梅である。
まだ、一輪ほどしか咲いていなかったのであるが、ナンカその存在価値は極めて強いものであった。これから一輪一輪と咲いて、その分春が近づいてくるのであろう。
こんな日の運動は気持ちが良い、願わくば、これからもずっとこのような天気であって欲しいものだ。
ただ、肩の痛みは相変わらずであって、強いスイングはすることが出来ず、ストレスの残るテニスなのである。
帰りがけに、自己採点を終えた生徒にあったが、「悲喜こもごも」であった。
数日すると、受験業者から大学別の判定データが提示されるので、生徒たちは二回目の「悲喜こもごも」を体験するわけである。
さてさて、どんなことになるのやら。
さて、その中の(どうでも良い話なのだが)映像に映り込んでいたのが大型スピーカー(写真のスピーカーとは関係がない)であった。
はっきり、断定はできないが、あれはおそらくJBLかアルテックのスピーカーである。そしてこれらのスピーカーは、これもおそらくジャズを聴くために揃えたものなのであろう。
ということは、佐々木投手の元コーチはジャズ好きのコーチなんだろうと、勝手に想像した次第である。
英語の試験が終了するのが、十八時二十分、遅くまで本当にご苦労様。
この三年間の努力が試される二日間だ。
さてさて、ワタシの教え子君たちはどうだったろうか。
当時、衝撃的だったのが「高速道路から今にも落ちそうになっている大型バス」と、まるで都市が爆撃を受けたように、「ところどころから立ち上る煙」であった。
これは現実なのか?目を疑ったものだ。
今日再び番組で同じ映像が流れた時、あらためて大地震の恐ろしさを認識し、さらにもう三十年も経つのだと、月日の過ぎていく速さにあらためて驚いた次第である。
何が「揺り戻し」たかというと、これは勿論「寒さ」である。
昨日・一昨日と、比較的暖かい日が続いて、これはもう春も近いぞと思わせたのであるが、これは「期待はずれ」というべきもので、結局再び冬にしっかり戻ったのである。
ただし、肩の痛みはかなりあるのでハードヒットというか、思い切りラケットを振ることはできなかった。
「ラケットを振らないこと」、これを楽しいと思うかどうかはワタシ自身の意識の問題なので、今日は取り敢えず「楽しい」ということにしたのである。
現在ワタシが通勤しているルートでも、急に道路工事が始まったところが三か所、「それほど傷んでいない」ような気がしていたんだが、道路工事は不意に始まるのである。
おそらく「予算の年度内消化」?なのだろうが、この悪しき習慣はいつまで続くのだろうか。
老人は、一度休むとそこから復活するエネルギーが、結構必要なのです。
今日はあまり風もなく、比較的過ごしやすい日中であったのだが、外出する気力もなく、また身体のコンディションも良くなかったので、引きこもりを決め込み、ラグビーの大学選手権とサッカーの高校選手権で午後を過ごした。
まあ、こんな日があっても良いのです。
ワタシにとって困った時の「記念公園」であり、何回訪れても写真の素材には事欠かないのが「秩父宮記念公園」である。
さすがにこの寒さでは人も少なかろうと、出かけた。
案の定ワタシ以外にはほとんど人影は見られなかったのであるが、咲いている花もまず見かけることもない状況では仕方があるまい。
水耕栽培というと聞こえはよいが、単に買ってきた根付きの野菜を、水を入れた容器に入れておくだけの「超簡単」栽培である。
これで必要な時に必要な量の「葉っぱ」を「むしり取れば」良いのです。
例えば、連休明けの火曜日は「月曜授業」だったり、次の二十日の月曜日はセンターテストに伴う「自己採点」のため、三年生の授業が無くなったり、二十二日からは卒業試験が始まり、三年生の授業はすべて終了したりするのです。
こりゃ大変だ。
ところで「床屋」は何故「床屋」なのか。
諸説あるようだが、次のような説をひとつ紹介する。
江戸時代、板や竹を組んで簡易な床を張っただけの仮設の店や移動できる屋台 (車輪が付いているわけではなく、折り畳み式。)のようなところで髪結いは仕事をしていた。このような商品を売るだけで人の住まない簡単な仮設の店のことを「床店」といった。
やはり、これは「寒さ」と連動する「痛み」なのだろうか。
テニス終了後にYさん宅で新年会を催す。
Yさんが搗きたての餅を振舞ってくれたのであるが、肩の「痛み」が勝ってしまい、あまり楽しむことは出来なかった。
まあ、こんな日もあるのです。
授業のあった三年生は二クラスとも「欠席者ゼロ」で、現在世の中を騒がせている「インフルエンザ」の影響はそれほどないように感じられる。
もっとも、「インフルエンザ」の本番は、学校が動き出したこれからの日々であって、「インフルエンザ」はまだ不気味に密かに、隠れているのかも知れない。
そんな時は、もう「神頼み」しかないですな。
写真は年末から年始にかけて過ごしてきた、「山形県上山市」にある「栗川稲荷」の鳥居である。
まず、喉の痛みと咳、そして寒さからくる肩の痛み、肩の痛みはここしばらく現われていなかったのであるが、寒さには敏感なようで、以前の痛みが再び出てきてしまった。
イヤハヤ、歳はとりたくないものだ。
G南の時に同僚だったA先生から電話、ずいぶん長々と話してしまった。A先生は今は山口県の方に引っ越して、ずっとお会いすることはなかったのだが、話してみるとそれほど違和感なく話すことができた。
さて、能登の地震から始まった波乱の2024年であったが、年が明け2025年はどのような年になるのであろうか。
ちなみにワタシが引いた御神籤では
願い事 思う通りになる。
待ち人 音信なく来る
学問 安心して勉学せよ
病 軽し、なおる
とあった。