2024年10月31日木曜日

写真展の紹介・最初は「踊る」

さて、本日より今年の写真展の紹介をして行こうと思う。

今年も八つの壁に、それぞれ三枚づつの写真を掲げるというスタイルをとった。

さらに壁ごとに解説を添えているので、解説の部分も拡大して見ていただけると幸いである。

また、全体の「コンセプト」も下に掲げたので、それも併せて見ていただきたい。

それにしても今回の写真展は疲れた。

年齢からくる「疲れ」も勿論なのであるが、それ以上に今年は例年に比べ、来場してくださることが多く、日によっては、ほぼ切れ目なく説明をしていたような気がする。

実に有難いことです。

特に復活したジョイントコンサートの日は、下の事務所にうかがうと、当日の来場者は八十人だという。

やはり、ライブの力は大である。




 

2024年10月30日水曜日

天候の回復

先週雨天により出来なかった水曜テニスであるが、今日も早朝は雨ということで、実施が心配された。

ただ、九時過ぎには日も射す天気となり、久しぶりにラケットを握ることが出来た。

やはり、野外で動くことは気分が良い。

したがって写真展の整理は、明日以降に持ち越しなのである。
 

2024年10月29日火曜日

片付け

五限の授業終了後に沼津我入道の芹沢光治良記念館まで。写真展の片づけである。

ここ土曜、日曜、月曜、火曜と毎日のように通った記念館も今日で通い納めだ。

生憎の雨天で少々気が滅入ったのであるが、高校の友人T君が片づけを手伝ってくれたので、いつもなら二時間以上かかるところを、一時間ちょっとで済ませることができた。

もつべきものはトモダチなのである。

さて、明日からやっと余裕のある生活が出来そうなので、明日からは写真展の総括をすることにしよう。


 

2024年10月28日月曜日

懇話会

実は(実はでも何でもないのだが)ワタシ「芹沢光治良記念館懇話会委員(何だか知らないうちに決まっていた)」なのです。

で、今日は令和6年度第1回懇話会の会合ということで、午前の授業終了後、記念館での会合に参加してきた。

昨日やっと自分の展覧会が終わり「総括」でもしようと思っていたのだが、それはトンデモナイことだった。

おかげで今は背中が痛いのです。(これは疲労の蓄積か)

なにはともあれ、今日もナンヤカンヤと忙しかったのです。
 

2024年10月27日日曜日

最終日

充実した一日であった。

朝八時から町内会の清掃、其の後最終日の写真展会場へ。

本日も多くの方においでいただいた。

F高の同僚であったMさん、T高の教え子Mさん親子、テニス仲間のH先生、T高の同僚Iさん親子、そうそうワタシの記念館到着前にはT高のU先生もお見えになっていたとか(お会いできなくて残念)。

さて、写真展終了後には衆議院選挙へ。

今日も疲れたなあ。
 

2024年10月26日土曜日

本日もご苦労様

写真展は本日も多くの 方に来ていただきました。

s最初に中学の同級生Yさん、ご夫婦でありがとう。続いてN東で兄、N西で妹と縁があった兄妹の御両親、さらにF高の同僚大先輩のO先生。

昼過ぎからはF高で担任した四人娘、遠くから有難うございました。さらにテニス仲間のTさん、N東の同僚0さんをはさんで、最後にN西の同僚だったYさん。

実に楽しいが実に疲れた一日であった。

さあ、あと一日何とか頑張ってみよう。

2024年10月25日金曜日

ドラフト会議

昨日は日本のプロ野球のドラフト会議があったわけだが、今回は我らがT高の野球部の選手もその俎上にのった。

残念ながら指名選手の中には入らなかったが、育成選手の一番目に名前があったので、ボーダーギリギリのところにいたと思われる。

それにしてもドラフト会議というのは、悲喜こもごも、いろいろなドラマを作り出すようだ。
 

2024年10月24日木曜日

きんぴら

昼の情報番組に「きんぴらレンコン」が出てきた。

ハテ?「きんぴらレンコン」の「きんぴら」とは一体なんだろう。

早速ネット検索をしてみた。

まず「きんぴら」とは、ごぼう、レンコン、大根、うど、人参などを油で炒めながら酒、醤油、砂糖、みりん等で味つけして程よく煮詰めた炒め煮のことで、仕上げに唐辛子を振り混ぜてピリリとした辛さを加えるところが特徴だという。

そして、「きんぴら」の語源は、仕上げに加える唐辛子の辛味を、江戸時代の初期に流行した金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の登場人物である「金平」の剛勇(ごうゆう)さになぞらえたことから、この名がついたということである。

(なお、ここでいう剛勇(ごうゆう)とは、勇気があって強く、ものおじしない様子やそのような人物を表す言葉で、名の由来になっている金平は、童話として有名な金太郎の主人公「坂田金時(さかたのきんとき)」の息子のことである。)

 

2024年10月23日水曜日

疲れたなあ

身体がよほど疲れていたのか、テレビを見ながらクイット寝てしまった。

先週から今週にかけて、中間テスト・採点から授業、土曜日・日曜日は写真展の会場詰め、昨日・一昨日は再び授業、そして今日は「南庭会」の集まり(南庭会というのは、現在そして過去のテニス仲間の集まりなのです)。

自分でもこの歳になって、よくこれだけの日程を熟(こな)したと思う。(誰も褒めてくれないので自分で褒めることにしたのです。)

まあ、疲れはしたが今日の集まりは楽しかった。久しぶりに気の置けない方々と話をすることが出来て、心は満足である。それにしても疲れたなあ。



 

2024年10月22日火曜日

五円切手

この間、コンビニで一円切手を購入した時にイヤな思いをしたことをブログに書いたのだが、今日は同じコンビニで五円切手を購入しようとしたところ、うちには八十五円切手と百十円切手しか置いてありませんと、拒否されてしまった。

おそらく、切手なんてえのは、それほど利益はないのだろうが、思わず「おいおい、お前んところは『コンビニエンスストア』だろう。『消費者に便宜を与える店』だろう。いつからそんなに高飛車になったんだ。」と、言いたくなってしまったのです。

 

2024年10月21日月曜日

早起き

午前中で授業が終了したゆえ、帰りがけにスーパー弁当を購入、二の岡神社の石段下に車を止めて食べてみた。

気候が暑くもなく寒くもない、これまで相当苦しんだが、やっと「それなり」の気候になってきたのである。

今朝は何だか分らぬが五時半ごろに目が覚める。最近こんなに早い時間に起きたことhがなかったのに。

これはやはりジジイになったからか。
 

2024年10月20日日曜日

切れ目なし

本日も切れ目のない来客、有難いやら疲れるやら、結局お昼を食べ損ねて帰りの車の中で、朝購入した「おむすび」をパクつく次第であった。

最初に現われたのがF高校の時の教え子H君、かつての悪ガキが、今は静岡県西部にある進学校の校長、三島に所用があってわざわざ会場を訪れてくれた。四十年ぶりの再会であった。

次がN西の同僚だったHさん、さらにFさん、Fさんはご夫妻でお見えになった。続いてワタシが初めてN西で教えた時の教え子、JさんSさん、さらにT高のこの春の卒業生SさんにAさんともう一人のSさん、最後はG南とN西の同僚だったMさん、イヤハヤ今日もご苦労さまでした。


 

2024年10月19日土曜日

今日も感謝

 夕暮れの写真を三日間載せたが、三枚とも微妙に異なっているのです。

さて、写真展の方も来週で終了するのであるが、今日も何人もの来場者があり、感謝である。

実家の近所のオネエサンだったYさん、N西の卒業生WさんとYさん、そして以前この会場でいっしょに写真展を開催したS先生、さらにG南の講師仲間だったMさん、富士の富士文庫館長だったAさん、さらに現在勤務しているT高で昨年教えていたTさんの御両親。

皆さんご来場有難うございました。


2024年10月18日金曜日

一円切手

十月からハガキと封書の郵便料金が値上がりしたのであるが、それに伴い今までの郵便切手はそのままでは使用出来なくなってしまった。

そこでワタシは今までの切手(すでに購入してあった切手)に付け足すための切手をと、コンビニに行って一円切手を購入しようとしたのである。

驚いたことに(別に驚かなくてもよいのだが)、二十円出せば一円切手がナント二十枚購入できるのだ。

ただそこにはひとつハードルがある、それは十円玉をふたつ持ってコンビニのレジに行き、「一円切手を二十枚ください」と言う勇気が持てるかということである。

まあ、そこはそれ、ワタシは恥も外聞も捨て(別に悪いことをするわけではないので、これは見当ちがいだが)、レジに向かった。

「一円切手を二十枚」

レジの女性店員は案の定、やや不機嫌そうな顔で(別にニコニコして欲しいとは思っていない)、切手のシートから二十枚を切り離し、ワタシに渡したのである。

そして、ワタシは一円切手二十枚を「裸のまま」(いつもは切手を買うと小さなビニール袋に入れてくれる)受け取ったのである。



 

2024年10月17日木曜日

最高の福音

昨日の朝刊のコラムに、こんなことが書かれていた。

「人間は忘れる生き物である。」

十九世紀のドイツの心理学者、エビングハウスが実験で忘却の程度を調べたことから導き出されたことは、「忘却は急速に進むが、その速度は徐々に落ちていくこと、一定の期間を経ても覚えていることは、長く記憶にきざまれるらしいこと」である。

これを「エビングハウスの忘却曲線」というらしい。

コラムでは政治家がよく使う「記憶にありません」を批判しているのだが、ワタシにとって「人間は忘れる生き物である」は、最高の福音なのである。


 

2024年10月16日水曜日

ヒドイ雨は降らず

中間テストで二日目。

自分の担当しているクラスの答案を受け取るため、水曜テニスは学校経由で。

久しぶりのテニスは、雨が心配されたが、プレイ中は殆ど影響なく、終了近くなってポツポツと降り始めた。

写真は昨日の夕方、近くの公園まで「夕焼け富士山」を撮りにでかけたのだが、綺麗な夕焼けとはならず、ごく普通となった富士山。
 

2024年10月15日火曜日

臨時休業日

二学期中間試験の初日であった。

ただし、ワタシ自身本来は出勤日であったのだが、自分の担当する授業が四限と五限だったため、試験時間に当たらず休業となってしまった。

まあ、こんな日が偶にはあって良かろう。

展覧会により、昨日までの三連休は休みがなかったので、この休業日はたいへん有難かった。

おかげ様で、昨日までの疲労感がなくなってきたような気がするのです。
 

2024年10月14日月曜日

今日も四十年ぶり

事前の来場予定は入っていなかったのであるが、十時時前からすでに二組の来場者。

これは有難いことです。

ひと組めは、四十年前に担任したF高の生徒(生徒と言っても、もう六十前立派な大人なのです)、そして二組めが九月に古典講座を開催した富士文庫の職員の方、いづれも富士から来ていただきました。

三組めがご夫婦で高校の事務職員だったHご夫妻、ご主人はG南、奥様はN西でお世話になりました。

四組めはG南の同僚Sさん、親子で御殿場から、そして最後がN西でも現在のT高でもお世話になっているW先生、皆様有難うございました。
 

2024年10月13日日曜日

充実

今日も充実した時間を過ごすことが出来たのであるが、その分疲労も蓄積された。

午前中、かつてG南の教え子の母上がお見えになり、お花を頂いた。

本人は愛知県在住であり、たびたび展覧会に姿を見せてくれたのであるが、今回は学会出席のためこちらに来ることがでなかったということであった。

午後からはN西デー、Sさん、Wさん、Yさんと続けてN西の卒業生が姿を見せてくれた。
 

2024年10月12日土曜日

連休初日

連休の初日、今日も展覧会に多くの人が見えた。

N西の同僚Wさん、テニス仲間のNさん、F高校の教え子Oさん、その後はテニス仲間のYさん、Oさん、そしてG南高校の同僚IさんとTさん。

午後からはG南高校の教え子で、毎年来ていただいているOさん、皆さんどうも有難うございました。
 

2024年10月11日金曜日

取材

学校祭関係の休みプラス自分の休業日ということで、久しぶりの勤務であった。

ただし、明日からは三連休さらに三日間の中間テストがあり、 再び授業のない日が続く、老人には有難いやら悲しいやら、何だか分けの分からない状態なのである。

今日、写真展を開催している芹沢光治良記念館の方から電話があり、沼津朝日の記者が取材に来ていて、いろいろ質問があるとのこと。

ワタシの方は授業を控えているゆえ、電話での取材となった。

さてさて、どのような記事になることやら。

2024年10月10日木曜日

だらしない

今日も一日中グタグタしていたので、溜まっていた疲れが抜けてきた感じである。

それにしても、だらしがないワタシだ。

ところで「だらしがない」の「だらし」とは何だ?

ネット検索してみると、同じ意味の「しだらない」の音節順序を入れ替えた言葉だという。

「しだらない」の「しだら」は「自堕落(じだらく)」が訛ったとする説や「ふしだら」の「しだら」とする説があるが未詳だと。

イマイチはっきりしないが、「自堕落」や「ふしだら」はどう考えてもマイナスの言葉である。
 

2024年10月9日水曜日

なんなら

本日の水曜テニスは雨天のため中止。

さて、最近気になる誤用の言葉に「なんなら」がある。
この言葉、正しい言葉を使うことを生業としているアナウンサーまでが使用していることがあるのだ。

例えば「私は納豆が大好きで、なんなら毎日食べています。」のような使い方だ。

「なんなら」とは副詞であり「何なら」の音変化である。
国語辞典では
①相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す。(もしよければ)
②相手がそれを希望しないことを仮定する気持ち表す。(気に入らないなら)
とある。

すなわち、「なんなら」とは「相手のために何かを提案する」という文脈で使うのが、これまでの使い方だ。
したがって、最初に挙げた文に当てはめてみると、「もしよければ毎日食べています」や「気に入らないなら毎日食べています」となる。

これでは明らかにオカシイのである。

もっとも言葉は「生き物」ゆえ、オカシイ方で定着してしまうかもしれませんね。



 

2024年10月8日火曜日

連休が続く

学校祭の代休ということで今日もお休み。

明日の水曜日、明後日の木曜日はワタシ自身の休業日なので、ワタシの連休はまだ続くのです。

ただし、いつもなら飽きてしまう連休も今回の連休はとても嬉しい。

というのも、九月の土曜日が富士の古典講座で休むことが出来ず、十月からは土曜、日曜と展覧会のために沼津通いが続くので、この連休はやっと一息なのである。

昔はもっとパワーがあったのですがね。


 

2024年10月7日月曜日

疲れが残る

昨日の疲れがまだ残っている。

やはり、寄る年波には勝てないのである。

こういう時は妙なもので、今日は夜明け前に目が覚めてしまって(最近このようなことはまず無かったのであるが)、そこからあとは 目がパチクリパチクリまったく眠ることが出来なくなってしまった。

意外にも、ワタシ自身が興奮してしまっていたのだろうか。
 

2024年10月6日日曜日

ジョイントコンサート

写真展とコラボしたコンサートを開催した。

一体、どのくらいの人に来場してもらえるのだろうかと、不安いっぱいであったが、これは杞憂に終わった。

いざ蓋を開けてみると、五十人以上のお客様、これはひとえに演者のK先生のお陰です。

K先生来年も是非お願いいたします。
 

2024年10月5日土曜日

展覧会初日

展覧会初日であった。

F高の教え子M君、N東の同僚Kさん、G高の教え子Tさん、有難うございました。

そうそう、今日は中学の同級生が一人、新聞記事を見たと言って来場してくれた。

五十数年ぶりである。

何れにしろ初日は疲れるのである。


 

2024年10月4日金曜日

準備完了

明日から始まる展覧会の準備。

これはしょうがないことであるが、年々準備にかかる時間が長くなる。

今日はそれを見越して、高校の友人T君に応援を依頼してあったのだが、二人でやっても所詮ジジイ二人、時間はかかるのである。

何はともあれ、準備は終わった。
 

2024年10月3日木曜日

搬入

明日、写真展の作品を搬入予定だったのだが、天気予報によると「明日の降水確率が90パーセント以上」ということで、急遽今日の搬入ということとなった。

いよいよ展覧会の始まりである。

ワタシの最初の展覧会は2012年、沼津仲見世の「マルサン書店」の地下催事場であった。さらに、2014年に現在の「芹沢光治良記念館」に場所を変更して10年、紆余曲折はあったが、まさかここまで続くとは、自分でも思っていなかった。

協力していただいた方に只管感謝である。


 

2024年10月2日水曜日

夕刊が無くなる

昨日十月一日より夕刊が無くなってしまった。

これは静岡県や、その他いくつかの県のことであるらしいのだが、書店やCDショップが日本各地から消えていくことと、同様なのであろう。

少々大胆な考え方ではあるが、夕刊や書店が滅びていく理由は、日本の文化(特に文学)が衰退していくことに他ならない。

文学を軽視する傾向は、センター試験にもはっきり表れている。今年度から実施されるセンター試験のモデル版を見たが、あのような試験では、ワタシは良い点など決して取れないのである。
 

2024年10月1日火曜日

冬の準備

本日は勤務校が創立記念日ということで仕事はお休み。

朝からのんびりすることが出来た。

こんな時には、まもなくやって来る冬の準備(今年は秋がほとんどないような気がするので、イキナリ冬の準備なのです)。

ただし、準備と言っても、まだ半袖短パンで過ごしているワタシは、ほぼ冬が来る実感はなく、冬の準備は気持ちだけの準備に終わってしまったのである。