授業自体は楽しいのであるが、「早起き」は苦手である。
ここ何年か「遅寝遅起き」の怠惰?な生活を送ってきた老人にはこれはツライのです。
これからいつまで続くかは分からないが、当分このような生活が続きそうだなあ。
授業自体は楽しいのであるが、「早起き」は苦手である。
ここ何年か「遅寝遅起き」の怠惰?な生活を送ってきた老人にはこれはツライのです。
これからいつまで続くかは分からないが、当分このような生活が続きそうだなあ。
ものを作り売る側の主体性を滅却した点で、コンビニは日本文化の到達点である。戦後の日本の教育では主体性や個性が重視された。破産も恐れず技術革新に突き進むビル・ゲイツやイーロン・マスクのような個性が生まれないことは日本経済の宿痾であるかのように言われた。その一方で獲得したのは、主体性を消去する文化だった。コンビニは日本そのものの似姿である。
うーん、そうだ、その通りだ。コンビニの最大の特徴は、モットーなどを持たず、「理想や思想を持たない点」にある。そして徹底した「顧客データの収集と分析」から商品を仕入れ販売する。
販売する方も購買する方もここにハマったのである。
昨日の大雨から考えると、これはなかなかツイているぞと思わざるを得ない。
まあ、こんな時もあるのです。
今日の写真を含め、続いて載せている写真は「こでまり」の花である。
ワタシはこの白い花の「透け感」が好きなのです。
ワレワレ静岡県もその影響をもろに受け、ワタシの勤務する学校も午前中で授業を切り上げ、午後は放課となった。
比較的遠方からの通学者がある学校なので、これは賢明な措置なのであろう。
御殿場地方は今のところ大した雨ではないが、夜になってからの雨は心配される。
また、そのあとも台風1号が接近北上しており、台風の影響を受けることが予想されるのだと。
昨日の知事選挙は、争点があまりはっきりしない、何だか分けが分からない選挙だったなあ。
実質的には、静岡県西部出身の候補者と、中部出身の候補者の戦いになったと思うのだが、有権者数が多い西部出身候補の勝利となったようだ。
悩むことは次の水曜テニスをキャンセルするかどうかということ。現時点の沼津地方の水曜の天気は午前中雨なのだ。明日以降のキャンセルは料金が発生してしまうので、ここが悩みどころなのである。
午前中、県知事選挙の投票に行く。
時間帯のせいかどうか、投票する人の姿はあまり見られなかったなあ。
芸術新潮という月間雑誌において「源氏物語」を特集しており、そこに書かれていた文言である。
つまり、「日本書紀」のような正史は、時の為政者に都合の悪いことは省かれている。一方、物語には歴史家が書けない裏事情、詳しい真相が書かれているということだ。
うーん、これはなかなか含蓄のある言葉だ。
今までのワタシの常識から言うと、まったくの逆であるが、どうもワタシの常識は考え直さなければいけないようだ。
授業を行なったのは、男子ばかりのスポーツ専攻のクラス、はるか昔にやはり男子だけのクラスを受け持ったことがあるが、これも実に久しぶりであった。
男子だけというのは独特の雰囲気があって、かなりムサクルシイのであるが、ワタシ自身それほど嫌いではない。
おおー、昔が懐かしくなってきた。
また、そのあとは沼津の芹沢光治良記念館へ今年度の写真展開催の申し込みに。
記念館では今年度から少しルールが変わりましたということで、注意書きをわたされたのだが、「会場での飲食の禁止」というやつがあった。
確かに作品を展示してある会場での飲食は禁止して然るべきであるが、ワタシの場合そこでの来場者との「和み」が重要なので、これはチョイとつらいなあ。
最近はプレイ云々よりも、何のケガもなく終了出来ることが第一なのである。
京都の大徳寺の近くに雲林院(うりんいん)というお寺があり(現在あるものは江戸時代に再建されたものであるという)、そこに紫式部の墓所があるのだそうだ。
紫式部は謎に包まれた人物であり、実在したかどうかも疑われている。
その紫式部の墓所なので、これも怪しいのだが、さらにこの隣に小野篁(おののたかむら =地上と地獄を行き来できると言われていた人物)の墓もあるのだと。
彼らの生きた時代はまったく異なっているのだが、一説によると紫式部は「源氏物語」を書いてウソばかりついていたので(確かに「源氏物語」はウソっぽいところはある)、篁を介して閻魔大王に地獄に落ちないようにお願いしたのだと。
何だかすごい話になってきたなあ。
ん?窃取?
窃盗とどう違うのだろう?
早速、ネット検索してみるとこのように書かれていた。
窃取とは「他人の財物などをこっそり盗み出すこと」。窃盗と意味するところはほとんど変わらないが、一般的にはほとんど使用しない言葉である。法律の条文に言葉が使われているが、それ以外の場面で使用することはほとんどなく、そもそも窃取という言葉を知らない人も一般の人の中には多いと思われる。強いて言えば、窃取は「こっそり盗み出すこと」を強調することばであり、窃盗よりも隠密性が高いと言える。
うーん、分かりにくい。
そもそも一般的に使用しない言葉を、なぜ新聞記事に使うのだろう。
漫才が面白いかどうかは置いといて、ワタシはコンビ名の「ガクテンソク」が気になった。
「ガクテンソク」は漢字で表記すると、「学天即」となる。
Wikipediaによると、このコンビ名は、1928年の大礼記念京都博覧会で大阪毎日新聞が出品した東洋で初めてのロボットである「學天則」が由来であるそうだ。実物でなく、映画『帝都物語』に登場した「學天則」に影響を受け、コンビ名につけようと考えたが、M-1グランプリのエントリー用紙に記入したコンビ名の字が汚すぎて「学天則」を「学天即」に間違えられたということである。
「學天則」とは「天則(自然)に学ぶ」という意味であり、なかなか良いフレーズなんだがね。
ネットで検索してみると、網戸の張り替えは、業者に頼むと、一枚につき二千円(材料費込みで)だという。
今日は三枚半の網戸を張り替えたので、七千円の仕事をしたということだ。
出来は、プロの仕上げとはいきませんでしたがね。
先日テレビを見ていると、このことが話題になっていた。
考えてみれば不思議である。
そして、このことの研究が今盛んに行なわれており、この理由がはっきりすることによって、われわれがウィルスに感染しても大丈夫な日がやってくるのだと。
ここのところ勘違いが多いのであるが、今日も大きな勘違いをしてしまった。
五限からの授業だと思って準備をしていたのだが、実際は四限の授業ということで、急遽七限の授業に切り替えてもらった。
たまたま七限が空いていたからいいものの、もし空いていなかったらアウトである。
すべての原因はワタシの「思い込み」にあったのです。
その中で「ウン、成程な」と思った意見は、「手を抜くこと」に「手を抜かない」、すなわち「手を抜くときには思い切って手を抜こう」というものであった。
ところで、ワタシのように「いつも手を抜いている」人間は一体どのようにしたらよいのだろう。
しかしながら、こんな時には思いもよらぬアクシデントがやってくるのである。
今日のアクシデントは試合中に仲間のAさん、チョイと足がもつれて転んでしまった。
そして転んだ拍子にどうも膝を捻ったようで、その後のテニスができなくなってしまったのである。
ワタシも他人事ではない。
次のテニスは用心することにしよう。
理由は定かではないが、このタイミングは、チョイと微妙なタイミングであって、十一時三十五分からの授業は何か間が抜けた感じなのである。
つらつら考えるに、朝起きてからの待ち時間が長すぎるからなのであろうか。
生活のリズムというのは大切なんだなあ。
代休で一日休み。
そして今日は一日雨。
日本列島全体が雨のような一日であった。
昨日のニュースでは「オーロラ」が日本で観ることが出来たということを、盛んに報道していた。
「異常気候」が最近の注目ワードになっているが、まさか「オーロラ」がその注目ワードになるとは。
日本は外来種の雑草に苦しめられているとばかり思っていた自分の頭を、ここで少々変えねばならない。
というのも、昨日のテレビ番組では日本の雑草?が外国へ進出して行って、外国の植物を苦しめていることを紹介していたからだ。
例えば、虎杖(いたどり)という雑草はイギリスに上陸、その後イギリスでは相当やっかいなものとして嫌われており、葛(くず)はアメリカに上陸、同様に迷惑をかけているとのことであった。
へー、日本の雑草は結構強いのですね。
そう言えば、何日か前にスリランカからの電話があった。
この電話の電話番号には国名が明示されていたので、スリランカなどに縁のないワタシは、その怪しさで電話に出ることはなかったのだが、もし国名が明示されていなかっら、電話に出てしまったかもしれないなあ。
ところがである、いざ到着してみると、ナント実家の庭の草はすでにきれいになっていたのだ。
隣のお宅のTさんがワタシのダラシナサを見かねたのであろうか、草取りをしてくださっていたのである。
Tさん御迷惑をおかけいたしました。次はナントか頑張ります。
やや寒い感じであるのだが、今週はまた夏のようながやってくると、天気予報で告げていた。
何たる気温の変化、これで老人はコンディションを狂わせてしまうのである。
昨日は久しぶりの水曜テニス、二週続けて雨天中止となってしまい、お顔をみることが出来なかったのであるが、皆さん元気でよかった、よかった。
よく見ると、「紫式部」がチラッと登場している珍しいお札なのだが、残念ながら最近は(いや最近でなくても)見たことはほとんどない。
これはつまり、世の中に流通していないということなのだろうが、その理由が
紙幣取扱機器の対応状況は十分と言えるものではなかった。金融機関の現金自動預け払い機(ATM)や自動販売機での利用環境が整わず使用できなかったことや、一般商店のレジにも二千円紙幣を収納する場所が存在せずつり銭として払い出されなかったことなどが二千円紙幣の普及を阻害する要因となったとされる。
とあるのは残念だ。
昨日の天気予報には「警報級の雨」と脅されたが、実際にはそこまでいかないようであった。
昼の情報番組では連休明けに、仕事や勉学の意欲を失う「五月病」のことを盛んに取り上げていたが、「五月病」かどうかを判定する材料は、「体重が減ったか、睡眠がとれているか」であるそうだ。
「五月病」は、どうもワタシには関係ないようだ。
やっと平常の生活に戻れるようだが、明日の天気はかなりの荒れ模様になりそうだ。
こういうのを「出鼻を挫かれる」と言うのだろう。
尚、「出鼻を挫く」の「でばな」には「出端」と「出花」の漢字を当てはめることも出来、何れも「物事をし始めたばかりのところを妨害して、中断させたり意欲をなくさせたりすること。」と言う意味ではマチガイないということだ。
さて、今日の朝刊のコラムにもあったが、最近一般家庭から「こいのぼり」の姿が見えなくなってなってきた。
やはり、「こいのぼり」をセットするのは、かなり面倒であることだろうし、苦労してセットしたところでそれに見合う評価が得られないということなのだろうか。
「雛人形」とは異なり、「こいのぼり」をセットするにはしっかりしたポール?を立てなければならないだろう、またセットしたポールを一年中立てておくにはそれなりの敷地の余裕もなければならないのだろう。
こう考えると、やはり庶民にはなかなか困難なことであるのかもしれない。
休みはもういいよ、と言う感じがしないでもないが、やはり休みはいいなと言う感じもしている今日この頃である。
特に今回の連休は、水曜テニスが雨天のために二回連続中止されており、身体のストレスがだいぶ発散できていないのである。
写真は今日も藤の花であるが、藤は平安時代から鎌倉時代にかけては、松の緑を背景として、そこに絡まって咲く藤の花が鑑賞の基準されたようだ。
「枕草子」の八十四段には「めでたきもの(賞美すべきもの)」として「色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とあるようだ。
最近のワタシの典型的な姿である。
まあ、順調に頭の方も老化していると言えばまさにそうなんだが、悲しいことだ。
全国的には良い天気ということで、ゴールデンウィークの休みを満喫している人も多いことだろう。
「急激な円安が進む昨今だけに思わず独りごちた。」
国語の教師をしているのに何だが「独りごちた」とは何ぞや?言葉の雰囲気からして、それとなく意味は想像できるのだが、正確な意味はシカとは分からない。
さて「独りごちる」とは、昭和期の文壇の小説などで使用されていた古語・文語的表現であり、 「独り言を言う・自分一人でぶつぶつと何かをつぶやく (特別誰に聞かせるわけでもない独り言を言う)」 という意味を持っているという。
うーん、なかなかシブい言葉だ。この記事を書いた記者はよっぽどこのフレーズを使いたかったのだろうな。