先日沼津に行く際に黒瀬橋を渡りながら考えた。
沼津には中心を流れる狩野川があり、そこには河口に近い方から港大橋、永代橋、御成橋、三園橋、黒瀬橋と続く。
港大橋、三園橋、黒瀬橋は、橋のある場所からの命名であるのだろうが、永代橋と御成橋は何となく皇室が関係しているような気がする。
何といっても、沼津には御用邸があったのだから。
先日沼津に行く際に黒瀬橋を渡りながら考えた。
沼津には中心を流れる狩野川があり、そこには河口に近い方から港大橋、永代橋、御成橋、三園橋、黒瀬橋と続く。
港大橋、三園橋、黒瀬橋は、橋のある場所からの命名であるのだろうが、永代橋と御成橋は何となく皇室が関係しているような気がする。
何といっても、沼津には御用邸があったのだから。
午前中にパソコンショップでバーゲン品の記録メディア等を購入しようと出かけたのであるが、会計の際にどうも金額が違うなと思いながらも支払いをしてしまった。
額がやはり大きく異なっているので、もう一度レジに戻って確認すると、やはりバーゲンの値段になっておらず、余分に支払った分を返却してもらった。
まあ、そこまでは仕方ないのであるが、その時の店員の態度がどうも気に入らない。「値段を間違えた申し訳なさ」が少しも感じられないのだ。余程文句を言ってやろうかと思ったのだが、ここで怒っては「カスハラ」になるのだろうと、何事もなかったように帰ってきた。
うーん、ナンカ納得がいかないなあ。
寒くもなく、かと言って暑くもなく、一年を通してこのような天候であれば、身体も非常に楽になるのに。
夕方のニュースで、1500万円を横領した男が、横領したその1500万円を「キャバクラ」のシャンパンタワーで使っていたことを告げていた。
横領は犯罪であり悪いことなのだが、一晩で1500万円を使い切る「キャバクラ」のシャンパンタワーなるものも、ワタシからすれば極めて恐ろしいものである。
富士霊園は紅葉が綺麗なところなので、ついでに写真をとの思いもあったのだが、実際霊園に着いてみると曇が一面に広がり、光の加減がよろしくなく、結局所用だけで帰ってきてしまった。
富士霊園はがっかりだったのだが、家に帰ってくると天候も回復、自宅の紅葉がちょうどピークを迎えていたのでので、写真のような紅葉の写真が撮れた。
やはり、写真というのは「光」なのです。
水曜テニスは雨天のため中止となった。
週に一度の運動の機会を奪われるのはなかなかツライのであるが、その分は今日は「晴球雨聴」の「雨聴」の方を楽しんだ。
ジャズを聴き始めて五十余年のワタシであるが、今年になって初めて意識したピアニストが左のカーク・ライトシー(1937年生まれ)というピアニストだ。
左の写真のような、スキンヘッドの大男が唸りながらピアノを弾くという、かなり悍ましいプレイスタイルであるのだが、その演奏はスウィンギーでありグルービーなのである。
さて、今日聴いたアルバムは上の写真のアルバムではなく、「Everuthing happens to me」と言うアルバムであるが、「Everuthing happens to me」はジャズのスタンダードナンバーであり、和訳は「いろんなことが僕に降りかかるものだ」の意らしい。
ジャズの曲のタイトルといのはなかなか面白く、かつてフランク・シナトラも歌っていたこの曲も「常についていない私」のことをテーマにしている。
(参考までに歌詞の一部を表示してみる。)
ゴルフに出掛ける予定を入れたら
賭けても良い、必ず雨になるから
もしパーティの準備をすれば
上の部屋の住人に苦情を言われる
風邪を引くとか電車に遅れるのは
僕の人生ではまだマシなほう
いろんなことが僕には降りかかるものだ
本来であればこの時期は、徐々に気温が下がっていくのであろうが、今年は「イキナリ」なのである。
おかげで、冬用の衣服にチェンジしなければならないのだが、それが直ぐに見つからず、右往左往したワタシなのであった。
昨日投開票があった兵庫県の知事知事選挙は、ニューメディアとオールドメディアの戦いであった、ということである。
投票の内訳を見ていると、十代から三十代の票は当選した前知事に流れている。そしてこの世代というのは、新聞やテレビをあまり見ない世代である。
では主な情報源は何かというと、SNSだ。
しかし、ここに問題があってオールドメディアの新聞やテレビは表現には「縛り」があるのだが、SNSはその「縛り」がそれほどなく、「フェイクニュース」であってもそれを堂々と流してしまうということだ。
これがすべてはなかろうが、アメリカの選挙といい、今回の選挙といいワタシは「ふーん成程」と思うことしきりであったのである。
天気も良かったので、「秩父宮記念公園」まで出かける。
「晴歩雨聴」=「晴れた日には散歩、雨が降った日は部屋でジャズを聴く」を最近の信条としているワタシにとって、本日は「晴れの散歩」であった。
写真は秩父宮邸の前に立つ「宮の銅像」横から撮った富士山である。
いよいよ御殿場の冬が始まる。
沼津の市立図書館において、「芹沢光治良文学講演会」という行事があって、毎年「芹沢光治良記念館」にお世話になっているワタシとしては、是非とも参加をということになったのである。
講演会は、新潮社の社員でかつて芹沢光治良の担当編集者だった北村暁子さんが、編集者でなければ知ることのできない裏話など、非常に興味ある講演会であった。
これは利用しない手はないなと、このところ金曜日にTUTAYAまで出かけているのだが、複数本借りて、そのうちの一本が無料と言う形で借りるのはまだ良いとして、単に一本だけ借りるとなると、(ワタシは小心者なので)これが結構度胸がいる。
つまり、お金をまったく払わずに借りることになるし、応対している店員さんに「このジジイケチだなあ」とも思われたくないのだ。とは言え、観たり聴いたりしたくないものを無理に借りてもそれは意味はないこと、これは恥を忍んで一本にするしかない。
ということで、ワタシは今日も無料のCDを一本借りてきたのである。
言い方を変えれば、「自分の評価は自分自身で(他人の評価はあくまでも他人の評価である)」ということになるのだろうが、これはなかなかスカッとした言葉であった。
よく、SNS等で「炎上」とか「誹謗中傷」という言葉を聞くが、この問題も「自分の評価軸」をしっかり持つことにより、多少は跳ね返すことができるのではなかろうか。
沼津の愛鷹にあるテニスコートは天気が良いのに今日はガラガラ、何故だろうと疑問に思ったのであるが、何となく原因が分かった。
先週の水曜日に「どこかのテニス団体(ジジイ・ババア率の極めて高い団体であった)」の大会があったのだが、おそらく今日も「どこかのテニス団体」が大会の予備日として、コートをおさえていたのだろう。
というのも、愛鷹のテニスコートは三か月前に予約するのだが、その三か月前にワタシが予約しようとしたところ先週も今週もコートは、ほぼおさえられていて、ひとつだけ空いていたところを予約したのである。
したがって、「どこかのテニス団体」の大会が終了した今週は、「どこかのテニス団体」はコートを使用せず、ガラガラになってしまったという次第である。
まったくケシからん話なのである。
迷惑メールを削除しても、或いは迷惑メールであるということを申告しても次から次へと入って来る。
これは今を生きている人間の道徳心?の欠如を物語っているものだろう。
イヤな世の中になったものだ。
もっとも、この「迷惑メールの話」は今日の「ブログネタ」になったので、それはそれで感謝するしよう。
ただし、一部のモミジは少しだけ紅葉しており、来週あたり(予報ではまた暖かくなるような雰囲気はあったが)見事な姿を見ることができるかも知れない。
これはなかなか良い「思いつき」と考えられるのであるが、布に書かれている文面には何か違和感がある。
「我が家は無事です」は良いとしても、そのあとに「御殿場市」が付いているのは、どうも妙だ。
これでは「我が家は無事です」と「御殿場市」が言っていることになってしまうのではないか?
ここは、「我が家は無事です 家主」となるべきなのだろうが、「御殿場市」の方が分かりやすかったのでしょうかね。
それは、「ワタシの敬愛するテナーサキソフォン奏者、ジョン・コルトレーンは、アルトサックスでなく何故テナーサックスなんだろう。」ということである。
コルトレーンの演奏を聴いていると(特に彼の演奏するバラードなどは)、音自体が自分に何か語りかけてくるような気がするのであるが、評論文によるとそれはコルトレーンのテナーサックスの音色が「高域成分」が多いからなのだそうだ。
高音を出すにはテナーサックスより小型のアルトサックスを使用すればよいのだが、彼はあえてテナーを使っている。その理由はテナーはアルトより大型なので豊かな「倍音=基音と呼ばれる元になる周波数の整数倍で振動している音」を含み、それが音色のふくよかさに繋がるのだと。
(そうなんだ、「倍音」なんだ。)
つまり、コルトレーンは「語りかける」ために、「豊かな倍音」を作り出すためにテナーサックスを吹いていたのだった。
さあ、今日はコルトレーンの「SAY IT」でも聴くことにしよう。
臨時の休業日となったので、沼津の実家まで行って少々片づけをしてきた。
御殿場と沼津はやはり温度差があるようだ。
このところ、御殿場は急激な温度の低下がみられ、いよいよ冬という感じであった。つい先週まで夏ムードもあったのに。
やはり、日本は夏と冬の二種類の季節しか存在しなくなってしまうのか。
映画のアイデアを提供、かつ「パリのアメリカ人」からの「花屋」を選んでくれた教え子からすれば、この作品が一番イメージから遠かったのではなかろうか。
それはワタシが「花屋」を「花」に変えて、さらに「コスモスの花びらのアップ」という暴挙に出たからである。教え子には申し訳なかったがワタシには、この方法しかなかったのです。
さて、来場していただいた方は延べ150人を超え、ここ数年において一番多い人数となった。
心から皆さんに感謝である。
今年はいつもと異なり、かつての教え子から「テーマ」を貰って、そこに合わせる写真であったのだが、「なかなか大変だわい」というのがワタシの本音である。
さて来年はどうなることやら。
最近の映画でいうと「「トップガン」のような映画だという。写真展来場者の中にもこの映画を観たという人が何人かいた。残念ながらワタシは観たことは無かったのだが、「トップガン」は観ていたので、凡その見当はついた。
さて、実はこの「バイク」の写真が一番困った。バイク単体の写真などほとんどない上に、身近にも存在していない。ある意味これはワタシに対する「無茶ぶり」であったのだが、そこはそれ何はともあれ写真を提供しようと覚悟、自転車や人力車にも「車輪」はついているぞと、こちらが「無茶こじ付け」したのである。
映画ではエーゲ海の明るい海が舞台となっているが、ワタシの海は、右から我入道浜・千本浜・新潟と三つの海を挙げてみた。
新潟の海は、新潟の友人の家を訪れた時のものであるが、友人の家からほど近い日本海は季節のせいかどうか、かなり荒れていて「おおー、これが日本海か」と思ったことを覚えている。
無いようで意外と「手持ち」の写真があったのが「飛行機雲」だった。
というのも御殿場というところは、東京から関西や九州に飛行する際に、飛行するコースに入っているのか、頭上をジェット旅客機が通過していくことが多く、「飛行機雲」はよく見かける現象だったからだ。
掲示した二枚は御殿場上空の「飛行機雲」であり、もう一枚は北海道からの帰りに自分の乗っている旅客機の真
横を通っていったジェット機の「飛行機雲」である。
「これから先発の右腕(うわん)としての活躍が期待される」というべきところを、「これから先発の右腕(みぎうで)として」と言ってしまったのである。
うーん、あまり野球には興味のないアナウンサーなのだろうが、これには流石にオジサンも吃驚してしまったのです。さて、今日の写真は「枯れ葉」である。
「枯れ葉」の在庫はいっぱいあったので、苦労はしなかったのであるが、「紅葉」のことを「枯れ葉」に入れるかどうかは大分迷ったのです。
さらに壁ごとに解説を添えているので、解説の部分も拡大して見ていただけると幸いである。
また、全体の「コンセプト」も下に掲げたので、それも併せて見ていただきたい。
それにしても今回の写真展は疲れた。
年齢からくる「疲れ」も勿論なのであるが、それ以上に今年は例年に比べ、来場してくださることが多く、日によっては、ほぼ切れ目なく説明をしていたような気がする。
実に有難いことです。
特に復活したジョイントコンサートの日は、下の事務所にうかがうと、当日の来場者は八十人だという。やはり、ライブの力は大である。
ただ、九時過ぎには日も射す天気となり、久しぶりにラケットを握ることが出来た。
やはり、野外で動くことは気分が良い。
したがって写真展の整理は、明日以降に持ち越しなのである。
ここ土曜、日曜、月曜、火曜と毎日のように通った記念館も今日で通い納めだ。
生憎の雨天で少々気が滅入ったのであるが、高校の友人T君が片づけを手伝ってくれたので、いつもなら二時間以上かかるところを、一時間ちょっとで済ませることができた。
もつべきものはトモダチなのである。
さて、明日からやっと余裕のある生活が出来そうなので、明日からは写真展の総括をすることにしよう。
で、今日は令和6年度第1回懇話会の会合ということで、午前の授業終了後、記念館での会合に参加してきた。
昨日やっと自分の展覧会が終わり「総括」でもしようと思っていたのだが、それはトンデモナイことだった。
おかげで今は背中が痛いのです。(これは疲労の蓄積か)
なにはともあれ、今日もナンヤカンヤと忙しかったのです。
朝八時から町内会の清掃、其の後最終日の写真展会場へ。
本日も多くの方においでいただいた。
F高の同僚であったMさん、T高の教え子Mさん親子、テニス仲間のH先生、T高の同僚Iさん親子、そうそうワタシの記念館到着前にはT高のU先生もお見えになっていたとか(お会いできなくて残念)。
さて、写真展終了後には衆議院選挙へ。
今日も疲れたなあ。
s最初に中学の同級生Yさん、ご夫婦でありがとう。続いてN東で兄、N西で妹と縁があった兄妹の御両親、さらにF高の同僚大先輩のO先生。
昼過ぎからはF高で担任した四人娘、遠くから有難うございました。さらにテニス仲間のTさん、N東の同僚0さんをはさんで、最後にN西の同僚だったYさん。
実に楽しいが実に疲れた一日であった。
さあ、あと一日何とか頑張ってみよう。
残念ながら指名選手の中には入らなかったが、育成選手の一番目に名前があったので、ボーダーギリギリのところにいたと思われる。
それにしてもドラフト会議というのは、悲喜こもごも、いろいろなドラマを作り出すようだ。
ハテ?「きんぴらレンコン」の「きんぴら」とは一体なんだろう。
早速ネット検索をしてみた。
まず「きんぴら」とは、ごぼう、レンコン、大根、うど、人参などを油で炒めながら酒、醤油、砂糖、みりん等で味つけして程よく煮詰めた炒め煮のことで、仕上げに唐辛子を振り混ぜてピリリとした辛さを加えるところが特徴だという。
そして、「きんぴら」の語源は、仕上げに加える唐辛子の辛味を、江戸時代の初期に流行した金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の登場人物である「金平」の剛勇(ごうゆう)さになぞらえたことから、この名がついたということである。
(なお、ここでいう剛勇(ごうゆう)とは、勇気があって強く、ものおじしない様子やそのような人物を表す言葉で、名の由来になっている金平は、童話として有名な金太郎の主人公「坂田金時(さかたのきんとき)」の息子のことである。)
先週から今週にかけて、中間テスト・採点から授業、土曜日・日曜日は写真展の会場詰め、昨日・一昨日は再び授業、そして今日は「南庭会」の集まり(南庭会というのは、現在そして過去のテニス仲間の集まりなのです)。
自分でもこの歳になって、よくこれだけの日程を熟(こな)したと思う。(誰も褒めてくれないので自分で褒めることにしたのです。)
まあ、疲れはしたが今日の集まりは楽しかった。久しぶりに気の置けない方々と話をすることが出来て、心は満足である。それにしても疲れたなあ。
おそらく、切手なんてえのは、それほど利益はないのだろうが、思わず「おいおい、お前んところは『コンビニエンスストア』だろう。『消費者に便宜を与える店』だろう。いつからそんなに高飛車になったんだ。」と、言いたくなってしまったのです。
気候が暑くもなく寒くもない、これまで相当苦しんだが、やっと「それなり」の気候になってきたのである。
今朝は何だか分らぬが五時半ごろに目が覚める。最近こんなに早い時間に起きたことhがなかったのに。
これはやはりジジイになったからか。
最初に現われたのがF高校の時の教え子H君、かつての悪ガキが、今は静岡県西部にある進学校の校長、三島に所用があってわざわざ会場を訪れてくれた。四十年ぶりの再会であった。
次がN西の同僚だったHさん、さらにFさん、Fさんはご夫妻でお見えになった。続いてワタシが初めてN西で教えた時の教え子、JさんSさん、さらにT高のこの春の卒業生SさんにAさんともう一人のSさん、最後はG南とN西の同僚だったMさん、イヤハヤ今日もご苦労さまでした。
さて、写真展の方も来週で終了するのであるが、今日も何人もの来場者があり、感謝である。
実家の近所のオネエサンだったYさん、N西の卒業生WさんとYさん、そして以前この会場でいっしょに写真展を開催したS先生、さらにG南の講師仲間だったMさん、富士の富士文庫館長だったAさん、さらに現在勤務しているT高で昨年教えていたTさんの御両親。
皆さんご来場有難うございました。
そこでワタシは今までの切手(すでに購入してあった切手)に付け足すための切手をと、コンビニに行って一円切手を購入しようとしたのである。
驚いたことに(別に驚かなくてもよいのだが)、二十円出せば一円切手がナント二十枚購入できるのだ。
ただそこにはひとつハードルがある、それは十円玉をふたつ持ってコンビニのレジに行き、「一円切手を二十枚ください」と言う勇気が持てるかということである。
まあ、そこはそれ、ワタシは恥も外聞も捨て(別に悪いことをするわけではないので、これは見当ちがいだが)、レジに向かった。
「一円切手を二十枚」
レジの女性店員は案の定、やや不機嫌そうな顔で(別にニコニコして欲しいとは思っていない)、切手のシートから二十枚を切り離し、ワタシに渡したのである。
そして、ワタシは一円切手二十枚を「裸のまま」(いつもは切手を買うと小さなビニール袋に入れてくれる)受け取ったのである。
「人間は忘れる生き物である。」
十九世紀のドイツの心理学者、エビングハウスが実験で忘却の程度を調べたことから導き出されたことは、「忘却は急速に進むが、その速度は徐々に落ちていくこと、一定の期間を経ても覚えていることは、長く記憶にきざまれるらしいこと」である。
これを「エビングハウスの忘却曲線」というらしい。
コラムでは政治家がよく使う「記憶にありません」を批判しているのだが、ワタシにとって「人間は忘れる生き物である」は、最高の福音なのである。
自分の担当しているクラスの答案を受け取るため、水曜テニスは学校経由で。
久しぶりのテニスは、雨が心配されたが、プレイ中は殆ど影響なく、終了近くなってポツポツと降り始めた。
写真は昨日の夕方、近くの公園まで「夕焼け富士山」を撮りにでかけたのだが、綺麗な夕焼けとはならず、ごく普通となった富士山。