ワタシの身近から二人の人間が世を去り、またワタシのテニスの師匠も「水曜テニス」から引退してしまった。
ワタシが歳を取れば取るほどそこに付随する、これは「しょうがないこと」であるのだろうが、それにしてもワタシの「寂寥感」は、どんどん増幅するのである。
ああ、来年は是非とも良い年になりますように。
ワタシの身近から二人の人間が世を去り、またワタシのテニスの師匠も「水曜テニス」から引退してしまった。
ワタシが歳を取れば取るほどそこに付随する、これは「しょうがないこと」であるのだろうが、それにしてもワタシの「寂寥感」は、どんどん増幅するのである。
ああ、来年は是非とも良い年になりますように。
昨日のテレビ番組で、ベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調作品125『合唱』について特集していた。
いつも思うのだが、「第九」の面白さ(というか妙なところ)は、合唱が始まるまでの約一時間、合唱を歌う歌手たちはじっと待機しているところである。
よくも一時間我慢できるなあと、感心してしまう。
ところで、年末に何故「第九」なのかということをチョイと調べてみた。
これには諸説あるそうだが、次の二つの説が有力なのだそうだ。
日本で年末の「第九」が定着した由来は諸説ありるが、有力なのは以下の2説でである。ふーん、そういうことかあ。
「おお、この冬は心配なしですな。」と素人は思うのだが、実際はどうなんだろうね。
今回の冬、寒波が何回か襲来しそうなので、そう考えるとこれでも足りなくなるのだろうか?
何れにしても、ストーブでの暖房は一度は憧れるものだ。(実際はかなり管理が大変だということだが。)
ワタシも世間に倣って毎年「年越し蕎麦」を食べているのであるが、ン?「蕎麦」と金運とは。
チョイと気になったので、早速インターネットで検索してみると、次のようなことが分かった。
その昔、金銀細工師が、飛び散った金粉を集めるために蕎麦粉を使っていたそうだ。(金のついた蕎麦粉を水につけると、蕎麦粉は溶けてしまい、金だけが抽出することができた。)
そこからお金を集める縁起の良い食べ物として、新しい年に向けての「金運アップ」を願うために食べられるようになったのだと。
ふーん、そういうことか。
来年は賀状を交わすことができないので、近況報告をしてくれたのであるが、家族で活躍している様子がよく分かり、ワタシも幸福を少し分けて頂いたような気がした。
それにしても、思い出すのは球技大会でのKさんの活き活きした姿、普段おとなしいKさんが、まるで「飛燕」のようにバスケットコートを駆け回っていたのである。
さらに振り込み票には「フリガナ」の欄があり、そこには「ジェイエイシズオカコウセイレンリハビリテーションナカイズオンセンビョウイン」と表記しなければならない。
必死の思いで振り込み票を書いてJAの窓口に持っていくと、「JAからJAに振り込む場合は、最初のJAの文字は不要」とノタマウではないか。そして、その部分には訂正のハンコを押してくれと言う。
だって、病院から送られてきた文書には「お振込みは下記指定口座までお願いします」とあり、そこの講座名義には「JA静岡」としっかり書いてあるではないか。
ワタシは、もう一度振込先を書き直すか、駐車場の車までハンコを取りに行くかを迫られたのであった。(当然、ハンコを取りに行ったのですがね。)
Wikipediaによると、一遍は時衆を率い遊行(ゆぎょう)を続け、民衆(下人や非人も含む)を「踊り念仏」と「賦算(ふさん)」=「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札」とで極楽浄土へと導いた とある。
番組では、この一遍の「踊り念仏」がどのようなものであったのかを、「一遍上人絵巻」の踊りの描写から現代テクノロジーで再現していたのであるが、これが大変面白かった。
何とこの踊りは、1970年から80年に活躍したイギリスのロックバンド「ポリス」の曲に合わせて踊ると、ドンピシャの踊りになるのだと。
へー、時代を超しても人間の身体が受け入れる音楽は一緒なんだね。
高知県なども、坂本竜馬像の肩に雪が積もっている映像がニュースで流れていた。
誰の歌だったか失念してしまったが(ペギー・葉山だったかなあ)、「南国土佐を後にして・・・」というフレーズがあって、高知は「南国」の意識だったのですがね。
もっとも最近は、どこでどのような天候になってもオカシクナイ状況なので、これもあり得るのだろう。
という質問が、「チコちゃんに叱られる」に出てきた。
答えは、「戦って勝てそうな動物」が「匹」であり、「勝てそうもない動物」が頭であった。「猫」は「戦って勝てそう」なので「匹」だが、「ライオン」は勝てないから「頭」なのだと。
ふーん、言語学の専門家が言っていたので、これは信頼できそうな解答だ。
これは書くための環境が無かっただけで、「書く意欲」が失われたためではないのです。
今年もいよいよ最終月になったわけで、年内にやらねばならないことに追われているワタシなのです。
これから日本列島のあちこちで、大雪になりそうだという予報、雪国の人にとってそれは大変だろう。
どうか最小限の雪で済みますように。
昨日、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えた。
三谷幸喜という脚本家はあまり好みではなかったのだが、この「鎌倉殿の13人」だけはとても面白く観ることが出来た。
これは俳優の魅力にもよるのだろうが、エラそうに言えば、三谷幸喜のふざけ方が程よく止まっていて、過去の作品よりもバランスがよかったからではなかろうか。
「嬲」と「嫐」は、中国で1700年以上前に作られた俗字なのだそうだ。
成り立ちは字のままであり、「男が二人して女をいたぶっている様子」あるいは「女が二人して男をいたぶっている様子」からこの字が生まれたということである。
また「なぶる」は方言としても使われていて、「いじる。 触る」という意味で「なぶる」を使う場合は名古屋弁だと言われているそうだ。
それにしても妙な文字だ。
これから暫くの間、声を張り上げることもないので、授業再開時の声が心配である。
午後、時間に余裕があったのでガソリンスタンドで洗車をした。
洗車後の車は気持ちよさそうであったのだが、天気予報を見ると、明日の午後から日曜日にかけて、しっかり雨が降るようだ。
何故か分からないが、ワタシが洗車をすると、時間を置かずに雨が降るのです。
逆光なので左側がつぶれてしまっているが、葉っぱは紛れもなく薔薇なのである。
特定検診結果の個人面談のため、御殿場市の保健センターまで出かける。
要注意事項は血圧と尿蛋白のようだ。尿蛋白は慢性腎臓病につながるということである。
慢性腎臓病の原因は加齢をはじめ様々なのだそうだが、原因が何であれ治療法は規則正しい生活、食事管理、血圧管理だという。また、生活習慣病があると腎機能の低下が速く進むので体重を適正に保つ、塩分や糖分の過剰摂取を控えることが肝心なのだそうだ。
うーん、これはなかなか難しいぞ。
今日は強風のため、ボールの行方が極めて定まらず、追いかけるのに苦労をした。
まあ、こんな日も時にはあるのだろう。
テニス終了後、修善寺の市役所まで出かける。
最近は修善寺もそれほど遠く感じられなくなってしまった。
そういえば、まもなく冬至なんだよな。
以前にも書いたのだが、最近、沼津の西浦ミカンの中に、「由良ミカン」という早生の甘いミカンが登場した。
ふつう、早生ミカンは「酸っぱい」のが当たり前であり、沼津の西浦ミカンも「酸っぱかった」のであるが、この「由良ミカン」はワタシの概念を変えたのである。
という話を、先日車のディーラーに行って顔なじみのOさんとしてきたのです。
お茶の生産量の日本一は、我が静岡県ではなく、鹿児島県だとか。さらにウナギの出荷量も鹿児島健県なのだそうだ。
ウナギは兎も角、お茶のトップの座を鹿児島県に奪われるとは。
では何が静岡県のトップかというと、ネーブルオレンジだとか、コンタクトレンズの購入量ということである。
うーん、両方ともインパクトはないなあ。
やはり、寒くなると「痛み」が出てくるようだ。
自分の中ではかなり良くなったイメージがあったのだが、ここのところ少し前に戻ってしまったようで、酷い「痛み」ではないが、やや「痛み」を感じる。
何だか「妙な」時代になってしまったようだ。
原因は「振り込み詐欺」の多発による「防止の手立て」らしいが、「振り込み詐欺」とは何の関係もない人間にとっては、この上なく不便なのです。
最近のブログは、ワタシ自身の心がどこかに行ってしまって、内容の無いものが続いている。
まあ、こんな時期もあるのだと諦念しているのだが、それにしてもこんなに心が何処かへ行ってしまうとは思わなかった。
サッカーフィーバーがやっと鎮静してきたようだ。
何はともあれ、日本チームはよく戦った、PK戦というのは技術というよりも、「運」に左右される収束の仕方だと思う。
従って、今回は「運」が悪かったのだ。
そうに違いない。
皆、勉強してきただろうか。
採点が楽しみである。
写真は御殿場の平和公園から撮った紅葉超しの富士山である。手前には平和公園にあるナントカというお寺の屋根。
てっぺんには「宝珠」という飾りも見える。
室温が十℃以下にになると、やはり冬を感じるのである。
昨夜「チコちゃんに叱られる」を観ていると、「心が折れる」の語源が話題になっていた。
「心が折れる」は、女子プロレスラーの神取忍が最初に言った言葉なのだそうだ。
ある程度のプロレスファンなら常識の話であるとのこと、知らなかったなあ。
この時期の三年生は、推薦入試のことでかなり敏感になっている。気持ちはわかるのであるが、ここは強い気持ちで乗り越えて欲しいものだ。
昨日何気なくテレビを観ていると、「冷え性」への対処法として、「肘を温める」という方法を紹介していた。
これはチョイと意外でしたな。
やはり、このまま冬に突入なのだろうか。
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、SNSでつぶやかれているのが「史実と違う」ということらしいが、そもそも我々が知る「史実」が本当に正しいのか、これも考えなければなるまい。
「史実と違う」という意見は、鎌倉時代後期に成立した歴史書「吾妻鏡」を念頭においているのだろうが、そもそも北条氏に都合のいいように書かれたのが「吾妻鏡」なのだと思う。
「日本書紀」を筆頭に、為政者はいつも自分たちを中心に歴史書を作らせているのだから。