以前にも書いたが、施術担当の理学療法士は、なかなか好感の持てる青年である。そしてそれと同時に、施術中の会話から、その人柄の真面目さも窺い知れる。
今日の彼の話は、「昨日、ドキリとしてしまいました。」から始まった。
何でも昨日車を運転中に、横断歩道を横断しようとしていた老人に気づかず、ウッカリ通過してしまったとのこと。
その老人はまだ横断歩道には出ておらず、渡る雰囲気があったそうなのだが、この雰囲気だけで反省してしまうのは、ワタシにはチョイと真似できませんなあ。
以前にも書いたが、施術担当の理学療法士は、なかなか好感の持てる青年である。そしてそれと同時に、施術中の会話から、その人柄の真面目さも窺い知れる。
今日の彼の話は、「昨日、ドキリとしてしまいました。」から始まった。
何でも昨日車を運転中に、横断歩道を横断しようとしていた老人に気づかず、ウッカリ通過してしまったとのこと。
その老人はまだ横断歩道には出ておらず、渡る雰囲気があったそうなのだが、この雰囲気だけで反省してしまうのは、ワタシにはチョイと真似できませんなあ。
紅葉は左の写真のように一歩手前の感じであった。紅葉の盛りは、あと二週間くらいだろうか。
天気の良さに誘われたのであろうか、神社周辺には散歩をする人の姿が多くみられる。
皆考えることは一緒なのですね。
JR御殿場駅の駅前広場にはSLが置かれている。ここにあるのは、いわゆる「デコイチ」ではなく、「デコニ」、D52というやつだ。
ところで、童謡の「汽車ポッポ」の歌詞は、1937年(昭和12)に御殿場市で小学校教諭をしていた富原薫氏が作詞したそうである。
汽車汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
僕等をのせて シュッポシュッポシュッポッポ
スピードスピード窓の外 畑もとぶとぶ家もとぶ
走れ走れ走れ 鉄橋だ鉄橋だ たのしいな
ワタシは日本の「首都」は東京と思っていたのだが、NHKの「歴史探偵」という番組を見ていると、どうもそうとは限らないようだ。
明治維新の際に、新政府は千年あまり都であった京都から東京に都を移そうとしたが、京都の人たちの強い反対があり、それを納得させるために「奠都(てんと)」という言葉を使用したのだそうだ。(一義的には「奠都」は都を定める事を表すのに対して「遷都」は都を移すことをいう。)
つまり、都を東京に移すのは「遷都」ではなく「奠都」なのだと。
法令上「首都」と「みやこ」との関係(とりわけ皇居との関係)の規定はなされておらず、日本における従来の「みやこ」(都・京)と「首都」との関係について定かになっているわけでない。
ということで、法令上、「東京」が「首都」であることはどうもアヤフヤであるようだ。
これはラッキーである。
コンスタントに運動をしているわけではないワタシにしてみれば、これからいつどこの「痛み」が出てきても不思議ではないだろう。
この先は、神様に祈るしかないですね。
毎回こんな状態だったら言うことがないのに。
昨日は脇腹の筋肉?が、つってしまったように痛く、これでは明日のテニスは出来まいと思っていたのだが、今朝起きてみると、痛みがほとんど無くなっていて、今日は無事テニスをすることが出来た。
神様に感謝である。
写真のように、かなり下の方まで雪が来ている。
いよいよ冬の到来なのだろうか。
今年は御殿場ではまだ紅葉の知らせを聞いていないのだが、紅葉をあまり見ないまま、このまま「いきなりの冬」となってしまうのだろうか。
現在では「姑息」が誤用されているという記事である。
「姑息」とは「しばらく」という意味の「姑」と、「休む」の意味の「息」を合わせた言葉で、本来「一時しのぎ」の意味を持つ。ところが今は「卑怯である」とか、「ずる賢い」の意味で使用されることがほとんどであると。
確かにこの新聞記事の言う通り、「姑息」を「卑怯」の意味とするのは明らかな誤用であるのだが、言葉が人と人とのコミュニケーションのツールだとすれば、むしろ「姑息」を「一時しのぎ」として使用する方が「誤用」となってしまうのではなかろうか。
朝七時前であったが見事な「かさ雲」がかかっていた。
(かさ雲とは、孤立した頂をもつ山の山頂付近に発生する笠状の雲。山岳が原因で生じる特殊な雲の一種。富士山の笠雲はとくに有名で、秋から初冬にかけてしばしばみられる。)
「かさ雲」は雨の降る前兆だと思っていたのだが、今日に限っては「雨」の「あ」の字もなかった。これは明日降るのだろうか?
八時より町内の清掃。おおー、たしかにそう思う。
どうも最近の若者は、フォーク(もう、死語になってしまったか?)は勿論、ロック(特にハードロック)にも興味はないように思える。
若者を象徴するような音楽のロックは、もう消えてしまったのだろうか。
最初に浮かんだのが御殿場の「あぶらや」という蕎麦屋だったのだが、この時間(十二時過ぎ)では御殿場に着くころには肝心の「蕎麦」が無くなってはいないかと思い、却下。
次に、某持ち帰り弁当屋の「から揚げ弁当」(今日は何だか唐揚げが食べたかったのです。)、ところが実際弁当屋に行ってみると、ワンサカ人がいる、これはタマランと却下。
結局、スーパーで「ピザ」「を買って帰ってきたのです。
おお、虚しい。
病院というのは相変わらず「混む」ところであるなあ。
八時半に病院に到着したのだが、終了したのは十時半ということで、二時間ほど病院にいたことになる。
以前、授業の合間にチョチョイと検診を終えた頃が懐かしいのである。
いきなり寒くなってきたので、ジジイが運動する時には細心の注意が必要となってくるのである。
一番ケガをしやすいのが、今日のように急に温度が下がる時のような気がする。身体の動きが頭の動きについていけないのだ。
その意味において、今日のテニスは無事終了できたのである。
愛用しているカシオの腕時計の電池が切れたので、近くの百円ショップまで行ったのだが、購入すべき電池がない。
これはどうしたことだ、大事件だと御殿場にある百円ショップを急いで三軒ほどまわってみた。
しかしながら、今まで山のようにあった目指す電池がどこにもないのである。(もしかすると買い占めかと、ワタシは多少焦ってしまったのです。)
しょうがないので、インターネットで検索してみると、こちらは簡単に見つけることができた。
なーんだ、ワタシの思い込みだったのか。
ワタシの担当する試験が二つあったので出勤、さてさて、これから採点である。
いつものことであるが、テスト作りに苦労した時というのは採点は楽であるし、逆に簡単にテスト作りが終わった時には、採点に苦労するのである。
おそらく、今回は後者であろう。
結果は「吉」。
帰ってくると、腰の痛みはほとんどなくなっていた。
左の写真は紅葉する前のモミジである。
これから徐々に紅葉していくのであろうが、青いモミジもなかなか良いものだ。
土曜の伊豆縦貫道は、エラク混むだろうと思ってでかけたのだが、これが意外と空いていた。
しかしながら、片道二時間は少々シンドイのである。
今日は天気も良く、景色が良く見えて快適なはずなのだが、やっぱりジジイにとってはシンドイのです。
と言っても、一昨日まで随分長い休日があったので、二日間の平常勤務を経ただけで「いざテスト」というのも何だかなあ、という感じである。
昨日は静岡県の小山町須走が一躍有名になってしまった。
ここのところの静岡県は、九月の水害といい、今回のバス事故といい、あまり良くないことでニュースとなってしまっているが、次は是非良いニュースが欲しいものだ。
というのも「マイナンバーカード」による「ポイント」を何とか使用してみよう、といことで恐る恐るコンビニで使ってみたのである。
ワタシのようなジジイにとっては、これはもう冒険なのだ。
スマートホンひとつで、果たして「支払い」ができるのか?もし、使用できなかったら、これは恥をかくことになるぞと、ドキドキの瞬間でもあったのです。
おおー、ドキドキ。
長期休日であったのだが雨天が多く、休日の中では野外で運動することができる貴重な日でもあった。
ところで、最近気になっていた漢字で、「好き」の「好」という字があった。何故「女」偏に「子」なのだろうと。
調べてみると、これは実に当たり前であった。「好」という字は、女性がひざまづく姿を描いた「女」と、幼子の姿を描いた「子」という文字を組み合わせた会意文字なのだそうだ。
甲骨文字を見ると、いかにも母親らしい女性が、子どもを抱きしめている様子が描かれている。
つまり「好き」という漢字はもともと、母親が子供を可愛がることを表したものなのであるのだと。
まだ強く動かすと痛みを感じるのであるが、普通の動きでの痛みは、ほとんど無くなったようだ。
リハビリの施術中は、いつも担当の理学療法士との「オシャベリ」となる。
今日の話題は「地震の大きさを表す数字」の話であった。
他愛のない話であるのだが、若者との会話は楽しいものである。
最近、気になっている言葉に「大舞台」の「読み」がある。ワタシは古い人間ゆえ、「ダイブタイ」と読んでしまうのだが、どうも最近の流れは「オオブタイ」のようである。
これについて調べてみると、「NHK放送文化研究所」は次の見解を示している。
「大舞台」の従来の慣用的な読みは[オーブタイ]で、歌舞伎などの古典芸能ではこの読み方が定着しています。しかし、放送で多く使われる「晴れの場」「活躍の場」という意味の「大舞台」は、[ダイブタイ]という人がかなり多くなってきています。
このため、放送での読みは・・・古典芸能の場合は、 ○[オーブタイ]×[ダイブタイ]とし、スポーツなど晴れの場、活躍の場では(1)[ダイブタイ](2)[オーブタイ]としています。
昭和63年と平成3年に行った調査で、「ダイブタイ」と読む人が8割近くいたことなどから、第1121回放送用語委員会(平成5年)で審議し、「活躍の場」の意味では「ダイブタイ」、古典芸能の場合は「オーブタイ」と、意味による読み分けをすることにしたのです。しかし、近年「大舞台」という語がかなり使われるようになった結果、「オーブタイ」が伝統的な読みであり、「ダイブタイ」は誤用であるという意識が広がりはじめ、放送で「ダイブタイ」を使うと「オーブタイ」の間違いではないか、などといった問い合わせを多く受けるようになりました。また、国語辞書も、「ダイブタイ」の読みを載せている辞書はありませんでした。そこで、第1275回放送用語委員会(平成17年)で、再度検討し、推奨の読み方を「オーブタイ」に戻すことにしたという経緯があります。
御殿場というところは「お祭り」が、異常に多いところであるゆえ、これはどこかの神社の「お祭り」なのだろうか。
「まつり」の語源は諸説あるようだが、古語にも使われる「謙譲語」としての「奉る(たてまつる)」から来ているような気もするのです。
休みは嬉しいのだが、これも必要以上に長いと、人間をダメにしてしまうのです。
昨日の東京の寒さは十月としては、八十八年ぶり?の寒さだとニュースが伝えていた。御殿場も勿論寒かったのであるが、夏の暑さも今年はどことかで何十年ぶりというのがあったので、日本の、いや地球の気候はもう無茶苦茶なのでしょうね。
午後、御殿場図書館まで「古典講座」の打ち合わせに出掛ける。いよいよ来年一月の「古典講座」準備が始まる。
縁は異なものというが、今回、御殿場図書館でワタシの「古典講座」を担当していただく方が、N東にいた時の教え子(なかなかユニークな生徒であり、N東の国語研究室では仏像に関してのディスカッションをよくしたものだ。)の母上であったのである。
教員というのは、因果なもので、どこでどう過去とつながるか分かりませんよね。
文面にはこのようにある。
税務署からの【差押最終通知】あなたの所得稅(または延滞金(法律により計算した客勛 について、これまで自主的に納付されるよう催促してきま したが、まだ納付されておりません。
あなたの所得稅(または延滞金(法律により計算した客勛 について、これまで自主的に納付されるよう催促してきま したが、まだ納付されておりません。
もし最終期限までに 納付がないときは、税法のきめるところにより、不動産、自 動車などの登記登録財産や給料、売掛金などの值権など の差押処分に着手致します。
納稅確認番号:****4520
なお、本メールアドレスは送信専用のため、返信を受け付けておりません。ご了承ください。
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発行元:国税庁
Copyright (C) NATIONAL TAX AGENCY ALL
Rights Reserved.
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15:10:38
滯納金合計:100000円
納付期限: 2022/10/05
最終期限:
2022/10/05 (支払期日の延長不可)
イヤハヤ、けったいな世の中になってしまったものだ。
テニス仲間からの疑問、「ベニヤ板」の「ベニヤ」とは何?
インターネット検索をしてみると、こうあった。
煮沸または蒸気で柔らかくした丸い原木を,専用機械のベニヤレース(丸太のかつらむき機)で,くるくる回しながら,鋭い刃物で巻紙をほぐすように削った薄板。これを何枚か張合せて合板とする。ベニヤ板は本来は単板のことであるが,日本では合板もベニヤ板と呼んでいる。
まあ、この歳になると、「ボケ防止のために行なっている授業」の意味合いもないことはないので、「授業無し」が自分にとって良いことなのかどうかは疑問であるが。
取り敢えず「明日から何をしよう」である。
ただ、明日は良い天気が保証されるようだが、明後日以降はどうも天気は良くないようだ。
ここのところ、雨が続いていたので公園に行くチャンスがなかったのであるが、今日は久しぶりであった。
写真は今日撮った「シュウメイギク」である。
夏から秋となって、さぞや秋の草花が、と張り切って行ったのだが、今の「秩父宮記念公園」には、意外と撮る花がないというのが実感であった。