現在では「姑息」が誤用されているという記事である。
「姑息」とは「しばらく」という意味の「姑」と、「休む」の意味の「息」を合わせた言葉で、本来「一時しのぎ」の意味を持つ。ところが今は「卑怯である」とか、「ずる賢い」の意味で使用されることがほとんどであると。
確かにこの新聞記事の言う通り、「姑息」を「卑怯」の意味とするのは明らかな誤用であるのだが、言葉が人と人とのコミュニケーションのツールだとすれば、むしろ「姑息」を「一時しのぎ」として使用する方が「誤用」となってしまうのではなかろうか。
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