「百人一首」において、始めの二首と終わりの二首は天皇の和歌である。
これはおそらく全体の構成を意識したのであろうが、始めの二首が天智天皇とその娘、持統天皇であり、いわば「世に名を残した」天皇であるのに対して、終わりの二首が後鳥羽天皇と順徳天皇という「流罪となった」天皇であるのが面白い。
いったい、藤原定家にはどのような意図があったのだろうか?
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