まあ、人間なんてえのはこんなもんなのです。
昨日の真夏日から一転して、例年通りの気候に戻ったような気がする。
こう寒暖差が大きいと、ジジイはこたえるのです。
まあ、人間なんてえのはこんなもんなのです。
昨日の真夏日から一転して、例年通りの気候に戻ったような気がする。
こう寒暖差が大きいと、ジジイはこたえるのです。
昨日は群馬県の高崎で、気温が三十五℃以上の猛暑日であったという。
まあ、御殿場では暑いといっても部屋の中で、ひたすらジッとしていれば、室温が二十五℃前後なのでそれほど辛くはないのだが、下界の沼津や三島ではそうはイクマイ。
ここから先の毎日は「御殿場で良かった」と思う日が何日かあることだろう。(冬の寒さに対するご褒美ですな。)
第一位は蒲田。
駅をでてすぐにパチンコや消費者金融があり、お世辞にも街並みは綺麗とはいえません。大田区で最も犯罪発生率が高い場所は蒲田の東口エリアとなりました。住所でいうと東京大田区蒲田1~5丁目にあたります。人口2万3千人に対し、犯罪認知件数は591件、犯罪発生率は2.62%。100人におよそ2~3人がなんらかの犯罪に巻き込まれる計算になります。
と、コメントにあった。
因みに、二位以下は池袋、竹ノ塚、赤羽、豊洲、北千住と続く。
ベストテンに北千住が入ってきたのは意外だったなあ。
このことについて、「チコちゃん」の番組ではこのように答えていた。
泣くと涙が出るのは、「泣くことが究極のリラクゼイションとなるから」であった。
泣くことは一種の興奮であり、その興奮を抑える副交感神経(車で言えばブレーキにあたるもの)が涙腺を刺激するので涙が出てくるということである。
人間はと興奮すると、その興奮を抑えるために副交感神経が作動、この作動により涙腺が刺激されて涙が出るということだ。
へー、知らなかったなあ。
これがなかなか美味いのである。今日のように急に温度が上昇し、雨降りからの湿度も高くなった時にはなお一層の美味さが感じられる。
この蕎麦の特徴が「石臼挽きそば粉」であり、「青森県産長芋」であり、「千葉県産大和芋」である。とろろが「青森」と「千葉」と両方書かれているので、これはどちらも使用しているのであろうか。
まあ、そのようなことはどうでも良い。
何はともあれ美味いのである。
最近、若者の音楽を聴く傾向として、楽曲の途中に入るギターソロなどが早送りされてしまい、あまり好まれないのだと。
記事は次のように続く。
ギターソロを飛ばして聴く若者がどれほど多いのかは分からないが、そこに注目が集まることは示唆的である。それはこの半世紀の間、ロックを中心としたポピュラー音楽に支配的であった、ブルース的な美学の退潮を意味するからだ。楽器のサウンドを歌として聴く美学が退潮するばかりではない。社会的抑圧に対する抵抗、マイノリティーの自意識、そして(男性中心主義的な)性愛のロマンチシズム、といったブルース的な美学を象徴するのがギターソロの存在である。ギターソロを必要としないヒット曲の増加は、ブルース的な美学の系譜とは異なるものとして、現代ポピュラー音楽を眺める必要を示唆している。
フムフム、最近の若者に欠如するのが、ブルース的美学の「抵抗と自意識とロマンチシズム」なのですね。何となくこの記事に同調してしまうなあ。ワタシなんぞは、カルロス・サンタナの「性愛のロマンチシズム」にどっぷり浸かっておりましたものね。
シトラス?ん?
ホップ?ん?
シトラスは柑橘を意味するので「酸味」であり、ホップは「苦味」、カルピスソーダというのはそもそも「甘い」ので、これは「酸味」と「苦味」、さらに「甘味」も加えたとても不思議な味だ。
アサヒ飲料の商品コマーシャルには次のように書かれている。
『カルピスソーダ シトラスと香るホップ』は、レモンとオレンジ由来の柑橘ピールとホップの爽快な香りが特長の『カルピスソーダ』です。鼻にぬける軽快なアロマとほのかな苦味がもたらす爽やかですっきりとしたのどごしをお楽しみいただける、リフレッシュしたい時にピッタリの新商品です。
何だかよく分からないが、「すっきり」はチョイと言い過ぎではないでしょうか。
富士には昭和54年(1979)から昭和61年(1986)まで住んでいたので、土地勘はあるはずところであったのだが、36年の月日はその土地勘をすっかり奪ってしまった。
たぶんこの辺だろうと目的地を目指したのだが、目的地近辺をウロウロ、結局5分遅れの到着となってしまったのである。
過信は禁物なのである。
気温は二十二℃前後で気持ちが良いはずなのだが、ここのところ、その気温が極端に上がったり下がったりしていて、その変化に身体がついていけないのだ。
T高校は中間テストの初日であった。
二年・三年とそれぞれ授業に行っているクラスの監督をしたのだが、両クラスとも欠席者がなかったので、まずホッとしている。
どれどれ、生徒諸君は試験勉強を一生懸命やってきただろうか。採点をするのが楽しみである。
考えてみれば、いづれも切り立った壁を持つ山であるのだが、何故このような山にインパクトを感じるのかというと、それは富士山をいつも見ているからだろうという結論に達した。
富士山はどの角度から見ても、非常になだらかな「裾」を持っており、女性的な穏やかな感じがする。
それに対して先にあげた三つの山は、極めて男性的な厳しい感じがするのである。(別に女性が穏やかで男性が厳しいというわけではないが。)
(写真は群馬県の妙義山)
富士の図書館、富士文庫からTELがあり、九月からの「古典講座」の具体的な日程が決まった。
まあ、今年は御殿場の「古典講座」がコロナのために中止となってしまったので、こちらの方をしっかりやることにしよう。
以前、予約してあった「撥水コート」をしてもらうため、車のディーラーまで出かける。
過去に二回ほどこの「撥水コート」をしたことがあったのだが、どういうわけかこの「コート」をすると大雨となり、その効果がどの程度かよく分からなかった。
今回は初めて晴天の日の「コート」であり、これからやってくるだろう雨降りの日の効果が期待される。
なお、ディーラーの宣伝文句はつぎのようにある。
気軽にできる撥水コート!雨の日の運転が楽しくなる!
家に帰ってインターネットで検索してみると、ホトトギスと言うのは「トウキョウ、トッキョ、キョカキョク」のように、昔からよく例えられていたあの鳴き声であった。
どうもワタシには「鳴いて血を吐くホトトギス」の故事が頭にあり、このように言ってしまったのである。
その故事をウィキペディアから引用してみる。
ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづく。
長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。
水曜テニスであった。予想に反して肩の痛みはなかなか治らない。
肩のあたりの筋肉というのは余程複雑にできているのだろう。最初の頃の痛みの箇所と現在の箇所が変化しており、「痛みが移る」と言った感じなのである。
何はともあれ、早く治ってくれ。
まず、「獅子」とは何か。
「獅子」とは「語源辞典」によると、獅子はライオンのことであり、ライオンに似た想像上の獣でもある。
また、日本では獣のことを「しし」と呼び、イノシシやシカが「しし」と表現されていたこともあり、これらと区別するため、中国から伝わった想像上の動物としての獅子は「唐獅子」とも呼ばれる。
一方、「狛犬」であるが、古代インドやエジプトで守護神として獅子(ライオン)の像を置いたのが起源と言われる。それが中国・朝鮮半島を経て日本に伝わったことから、「高麗(高句麗)」の犬ということで「高麗犬(こまいぬ)」呼ばれるようになったというのが定説となっている。
要は、「獅子」も「狛犬」もライオンのことであり、「狛犬」は古代日本人がライオンを見たことがなかったので、これを異様な姿をした犬であると捉えた。そのため異国の犬ということで「高麗犬」と呼ばれ、やがて「狛犬」に転じたのである。
しかしながら、その後の歴史検証番組において、この戦いで源義経が華々しく勝利できたのは、どうも義経の兄である源範頼の援護によるところが大きいことが分かった。
源範頼は遠江蒲御厨(現浜松市)で生まれ育ったため、蒲の冠者(かばのかじゃ)とも呼ばれる。頼朝の代官として大軍を率いて、義仲や平氏追討に赴く。その後鎌倉幕府において重きをなすが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ、伊豆の国に流された。
「源平盛衰記」では凡将、無能というように記述され、さらに、義経同様、頼朝から謀反を疑われ伊豆に流された範頼であるが、我々の知る歴史に反して、彼は実に優秀な人物なのかもしれない。
「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」
私は十五歳で学問に志し、三十で独立した立場を持つ(而立)。四十であれこれ迷わない(不惑)。五十で天命をわきまえ(知名)、六十では他人の言葉を素直に聞くことが出来(耳順)、七十になると思うままにふるまっても道を外さない(従心)ようになった。
さて、「従心」とは自分の行動を完全にコントロールできるようになるという意味なのだろうが、ワタシはどうやら「修行」が足りないらしい。
コントロールなぞまったくできていないぞ。
肩がイカレ始めたのは、これは加齢のせいだと思う。当然と言えば当然である。
考えてみれば、ワタシはもう古稀なのである。古(いにしえ)より稀(まれ)な歳なのだ。アチコチイカレてきてもしょうがないのだ。
うん、そう思うことにしよう。
とは言ったものの、ラケット、早く強く振りたいなあ。
まだ梅雨の時期にはチョイと早いような気がするのであるが、最近の天気は今までの常識が通用しないケースが多いので、これもそのパターンなのかもしれない。
今日の授業は午後の二(ふた)コマ。
これはとても調子が狂ってしまうのです。既に半日終わっている状態から、「ハイこれから授業ですよ。」となるのだ。ワタシの授業に対するモチベーションもかなり低下、気持ちの持って行き方が難しいのです。また、家を出るのが十一時過ぎとなり昼食のタイミングもなかなかなのです。
昨日に続いて「ヤブデマリ」である。
植物図鑑によると、5~6月に葉腋から出る短枝の先に散房花序をつける。写真で大きな花に見えるのは装飾花(無性花)、それに囲まれた小さなつぶつぶが本当の花(両性花)である。花弁は不規則に五深烈し、1~2個の裂片が極端に小さいのが特徴。
花言葉は「年輪を美しく重ねる」、「私をみすてないで」、「今日の幸福」、隠された美」、「覚悟」など。
なかなか面白い花言葉である、「私をみすてないで」はイイナア。
このような気候と写真のストックがなくなったため、いつもの「秩父宮記念公園」まで出かけた。
「秩父宮記念公園」の母屋は、現在屋根の「葺き替え」を行なっており、一部進入できないところもあるのです。
さて、写真は「ヤブデマリ」の花。この時期に咲くワタシの好きな花である。
最近、ピザトーストにハマっており、「逆さ」というところが何か面白そうなので、これを購入してみた。
なるほど文字は「逆さ」であるし、保存も「逆さ」で保存するようだ。また普通のピザソースはほとんど180グラム程度なのに、この「逆さボトル」はなんと470グラムと大容量、このあたりも購入の理由である。
上蓋を開けると、中のシールには半分だけシールを開け、ソースを出すところには「ピュッ」と出るので注意の「注意書き」、「何てことはないさ」とソースを出そうとすると、早速「ピュッ」ソースが飛び散った。
皆さん、「注意書き」には「注意」しましょう。
いくつかの組み合わせがあったのだが、そのうちのいくつかを紹介してみる。
まずは「インスタントラーメンにプリン」、なんとなく洋風のパスタをイメージするが、あっても良さそうに思えた。
次に「ヨーグルトに大根おろし」、これはチョイと勇気がいる。
そして「ご飯(白飯)にミカン」、エッと思ったが愛媛県などでは普通に「ミカン炊き込みご飯」として存在しているそうだ。
まあ、こういうものはイメージだけでなく、実際に食べてみることが肝心なのでしょうね。
ん?「キング・クリムゾン」?
「キング・クリムゾン」とは今からおよそ半世紀前、ワタシがまだ学生だった時に一世を風靡したロックグループである。(右の絵は『キング・クリムゾンの宮殿』というレコードのジャケット)
現在を生きる高校生が、アナログのレコードで「キング・クリムゾン」を聴いているとは、チョイと驚いた。
評論家の河崎直人氏は「キング・クリムゾン」について次のように評している。
ロバート・フリップを中心に、キング・クリムゾンの第1期メンバーが生み出した『クリムゾン・キングの宮殿(原題:In The Court Of The Crimson King)』 は、まさにロックに革命を起こしたと言っても過言ではないだろう。それまでの売れるロックは、どちらかと言えば「踊る」「鬱憤を晴らす」「楽しむ」といった性質を持ち、身体的な動きであったり、感覚的に浸れる部分に重点を置いたシンプルな構成の曲が多かったのだが、クリムゾンは「聴かせる」「考えさせる」「想像させる」といった、リスナーの知性や内向性に目を向けた芸術性と、クラシックやフリージャズを模範にした高い音楽性を提示し、商業音楽というよりは芸術音楽に近いスタンスの作品を創りあげていったのだ。
そうなのです。「キング・クリムゾン」は芸術音楽なのです。
この季節、あまり陽ざしが強いと暑くなる。また、かと言って雨降りであると、湿度が高くなって蒸してしまう。
今日のように、陽ざしや湿度が適度であり、動いても、それ程汗をかかない、こんな状態が「過ごし易い」と言うのだろう。
午前中に授業、午後はリハビリと、もれなく予定をクリアできた。
やはり、身体を動かすのは気持ちがイイナア。
テニスからの帰り、三島の八反畑(はったばた)にある車のディーラーまで出かける。
目的は連休中に行なわれる「人寄せ行事」の抽選である。
こういう抽選など、「当たり」にはまず縁のないワタシなのであるが、なんと今日は予想外の「当たり」であった。
もっとも「当たり」と言っても「駄菓子いっぱいの大袋」というやつで、叫びたいほど嬉しいとは言えないが、何はともあれ「当たり」は「当たり」である。
とは言え御殿場のこと、昨日なんぞ御殿場では結構な寒さを感じ、暖房器具を使用していたのである。勤め先の学校では上着なしのワイシャツ姿でちょうど良かったのに。
昼のニュースを見ていると、この気候のせいかどうか、高速道路が軒並み渋滞であるそうだ。良いことか悪いことか分からないが、これは世の中が以前の生活に戻ってきたことの証拠なんですかね。
コマーシャルでは横顔がアップされるのだが、何という奇跡、皺などほとんどないではないか。「吉永小百合」と言う女優は我々よりもチョイと上の世代のアイドル?なのだが、その美貌は少しも衰えていない。
本当にこれは奇跡だ。
なんてったって、現在七十七歳なのですぜ。
「百人一首」において、始めの二首と終わりの二首は天皇の和歌である。
これはおそらく全体の構成を意識したのであろうが、始めの二首が天智天皇とその娘、持統天皇であり、いわば「世に名を残した」天皇であるのに対して、終わりの二首が後鳥羽天皇と順徳天皇という「流罪となった」天皇であるのが面白い。
いったい、藤原定家にはどのような意図があったのだろうか?