ここの桜は、写真に撮るタイミングが難しい、咲いているのかどうか、その年によって咲く時期が異なるのである。
さらに左のしだれ桜と右のピンクのより濃い桜?が同時に咲いている時期をおさえることもなかなか難しいのである。
明日はおそらく天候が崩れるだろうと、曇りの状況で行ってみたのだが、今日は運よく両方の花を撮ることが出来た。欲を言えば空の青さが際立つ時であれば申し分ないのである。
ここの桜は、写真に撮るタイミングが難しい、咲いているのかどうか、その年によって咲く時期が異なるのである。
さらに左のしだれ桜と右のピンクのより濃い桜?が同時に咲いている時期をおさえることもなかなか難しいのである。
明日はおそらく天候が崩れるだろうと、曇りの状況で行ってみたのだが、今日は運よく両方の花を撮ることが出来た。欲を言えば空の青さが際立つ時であれば申し分ないのである。
まだ時間が経っていないので、肩を動かした影響は分からないが、今のところ大きな変化はないように思われる。
それにしても、野外で運動できるということは素晴らしいことだなあ。
帰りがけに御殿場「時之栖」の「ありがとう寺」に寄ってみる。
「春に三日の晴れなし」という諺があるが、正にそのような天気である。
「春に三日の晴れなし」とは、本州付近が移動性高気圧に覆われると「晴れ」となるが、春は日本列島の上空を流れている偏西風が強くなり、高気圧や低気圧の移動速度が速く、高気圧に覆われることがなくなる。
このため、春の天気というのは晴天が三日と続かず、天気の変化が速いのだそうだ。
さてさて、調べたのはよいが「ヤッホー」には諸説あるようである。
ドイツ語説 もともとはドイツ語の「johoo(ヨッホー)」という掛け声で、ヨーロッパ・アルプスの登山家が口にしていた。それが昭和の初めに日本に伝わり、「ヨッホー」が「ヤッホー」になった。
山伏説 日本の修験道から来たという説、山伏が山での修行を達成したとき、先輩たちがお祝いの意味で「ヤッホー」と唱えた。
ヘブライ語説 昔、あるドイツのキリスト教宣教師が大変な思いをして高い山に登った。ようやく着いた頂上で、目の前に広がる景色に感動し、思わず旧約聖書に出てくる神様の名前を「ヤハウエー」と叫んだことから始まる。
へー、色々な説があるものだ。
写真はミツマタの花、枝が三つに分かれているのでミツマタ、解りやすい名前である。
ミツマタは高級和紙の和紙の原料として、その樹皮を使っているそうだ。
またミツマタで作る和紙は丈夫であり、紙の表面に光沢がある、さらに水濡れにも強いということで、日常生活で使う紙幣もミツマタを原料としているそうである。
公園は新型コロナの感染増加のため、しばらく閉園していたのだが、最近やっと再開したようである。
現在見事なのは「梅の花」であるが、右の写真のように「何だか分からない花(一体何だろう?)」の開花後の姿も、なかなか良いものである。
それにしてもワタシの期待を裏切らないのは、いつもの「秩父宮記念公園」なのだ。
「鰓呼吸」は東京の海鮮居酒屋の店名であるのだが、「鰓(えら)呼吸」とはまたユニークな店名を付けたものだ。
何故このような命名をしたのかは、よく分からないのであるが、インパクトだけは十分であった。
御殿場東山にあるこの研修施設は、YMCAというミッション系の施設であるゆえ、敷地内に小さな教会(礼拝堂)を備えている。
そしてこの教会(礼拝堂)には大きな窓があり、その窓からは正面に大きな富士山を眺めることができるのである。
この施設については、N西高校時代に何度もお世話になっており、施設内を熟知していたワタシは、何人かの生徒にこの魅力ポイントを案内したという次第。
全国的な冷え込みのため、昨夜の雨は富士山に多くの雪をもたらした模様である。 まるで真冬ののような景色となっていた。
T高校の二年生が御殿場の東山荘という合宿施設で英語合宿。せっかく近くで合宿しているのだからということで、顔を出してみた。
二年生は、もう二週間ほど顔を見ていなかったのだが、みな元気そうで良かった。
この間、テレビで漫才を見ていると、この「アレ」が話題になっていた。
とても身近にある割にはその正式名称が分からない、この「アレ」も典型的な「ソレ」であろう。
この「アレ」、正式名称は「バック・クロージャー」というらしい。ネット検索をすると次のようにある。
アメリカのクイック・ロック (Kwik Lok) 社の創業者であるフロイド・パクストンが発明した製品で、包装機械事業を営んでいたパクストンが、1952年に顧客のリンゴ生産者からリンゴを詰めた袋の口を簡単に閉じる方法はないかという依頼を受け、バッグ・クロージャーの原型を発案した。
この器具はリンゴ生産者の間で広がり、さらに製パン業でもオーバーラップ包装に代わって袋詰めが広まるにつれて使われるようになった。
1960年代にはクイック・ロック社の従業員が自動袋詰め装置を発明した。クイック・ロック社はこれに対応したバッグ・クロージャーの自動結束機を開発し、市場は飛躍的に拡大した。
ふーん、そういうことか。
会場でもらったパンフレット「接種後、数日以内に現れる可能性のある症状について」によると、
「接種部位の痛み・疲労・頭痛」50%、「筋肉痛・関節痛・悪寒・リンパ節症」10~50%、「38℃以上の発熱・接種部位の腫れ・硬結・紅斑・発赤」1~10%
の症状を挙げているが、今のところワタシに感じられるのは、「接種部の痛み」程度で、あとはあまり感じられない。
このような日を繰り返しながら、暖かい春に向かって行くのだろう。
考えてみれば、今日はもう三月十八日、三月もあっという間に終わってしまうようだ。
「ネットニュース」を見ると、「宮城、一万二千戸断水、復旧のめど立たず」の見出しがあった。今回の地震も、東北新幹線にしろ、断水にしろ、関係地域には大きな損害を与えているようだ。
昨夜といっても、夜の十一時半過ぎに発生したので、その詳細が報道されてきたのは、日を跨いだ本日零時過ぎである。
御殿場も揺れが大きかったので、東日本大震災が想起されたが、幸いにも津波自体がほとんど発生せず、不幸中の幸いであったと思う。
ただし、停電やインフラの被害が各所であり、東北新幹線では脱線事故もあった。脱線事故は人的被害がなかったものの、復旧にはかなりの時間がかかる模様である。
これから春の連休を迎える直前に起こったこの地震は、またぞろ観光関係の仕事に大きなダメージを与えてしまうのだろうか。
ん?
「キヨスク」? ワタシは、今の今まであの場所は「キオスク」だと思っていた。
慌ててどちらが正しいのか、インターネットで検索してみると、次のようにあった。
「キオスク」とは、JRグループの駅構内にある小型売店である。名前は簡易構造物一般を指す英語「kiosk」に由来する。東日本旅客鉄道系列のJR東日本クロスステーションのみ「キオスク」、他は「キヨスク」と呼ばれる。
「Kiosk」(読みは「キヨスク」または「キオスク」)の名称およびロゴは、日本国有鉄道時代に運営していた鉄道弘済会から引き継ぎ、JR東日本クロスステーションの登録商標となっている。このため私鉄の駅売店は「キヨスク」とは称さず、各社それぞれの名称を付けている。
うーん、そういうことだったのか。
何という勇気、この後彼女は当然拘束されたようだが、下手をすれば死刑となるかもしれない勇気ある行動に、最大の賛辞を贈りたい。
裏を返せば、心あるロシア国民は、それだけ切羽詰まった状態にいるのだろう。
直接関係のない遠く離れた国から、このようなことを言っても何のためにもならないことは百も承知ではあるのだが。
どこの県か失念してしまったが、気温が二十八℃超えのところもあったようだ。
二十八℃と言ったら、もうチョイトで「真夏日」ではありませんか?
この気温ゆえ、積雪時に使用する雪かきのスコップ等、いくつかの道具を片付けた。このあと雪は降らないだろうな、大丈夫だろうな。
彼女は三才からドラムのスティクを握っていたのだと言う。それは素晴らしい演奏なのだが、興味が惹かれとのは、小学生時代、中学生時代、さらに高校生時代と、そのドラムを叩き、成長していく様子が映像として残っていることだ。
それぞれの時代のパフォーマンスを、映像として見ることができるのは、現代ならではのことであろう。
そして現在十九歳?
身体もすっかり大人となって、音にも迫力がある。また、ルックスもアイドル並みであり人気も抜群だと言う。
惜しむらくは、ロックのエイトビートでなくジャズのフォービートをもう少し叩いてくれたらなあ、ということである。
不思議なことは、ここのととろ身体の右半身にダメージを受けることが多いことだ。 今回のこと以外には右肩の関節炎、さらに右手親指の切り傷、右手をぞんざいにしている意識はないのだが、何かと右半身に厄災がやって来る。
そう言えば、以前、今とは逆に左半身ばかりダメージを受けることがあった。
最初は左足に魚の目、ここから始まり、左ひざの捻挫、左手薬指の脱臼、左目の網膜裂孔並びに白内障、とどめは硬膜下血種による頭蓋骨の穴あけ、すべてが左半身であった。
もしかすると、今右半身にダメージが多いのは、これで左右のバランスをとるためなのでしょうかね。
本日のハイオク価格はリッターあたり178円である。
最近は出来ることなら車を使わないようにと、心がけているのであるが、それでも年寄りはちょっとしたことに車を使ってしまうのです。
東日本大震災から十一年、毎年この日になると当日のことを思いだす。
あの初めてみたテレビの映像は、今でもしっかり残っているのです。
生徒に対面する日としては、今年度最後の日となった。 これから凡そ、一ヶ月間は、お互いに授業の無い日が続くのである。
ワタシ自身も、これからの一ヶ月間、自分の修行である。
古典講座の中止、テニスというスポーツの禁止など、心の持っていき場所というか、これから先のモチベーションがなかなか保てない中、どのように自分を処して行くのか、イヤハヤ大変だ。
「ようである」というのは、雨降りの時間が夜中に近く、音だけで雨降りを意識したからだ。
午後からリハビリに出掛ける。
肩の痛みは、やや改善しているようには思えるのだが、まだ先は長いのだろうか。 最低でも半年というのだから、長いのだろうなあ。
ワタシが好きな「枝っぷり」は、この「梅の木」と「柿の木」なのだが、両者とも実に良い伸び方をしている。
「枝っぷり」ウォッチャー?としての意見を述べるとすれば、その伸び方が大そう面白いのである。 言ってみれば、「こちらの空間を是非埋めて欲しい」という方向にその枝は見事に伸び、空間のバランスを保っているのである。
何事もバランスなのです。
写真は平和公園から撮ったものであるが、平和公園にはもう「こいのぼり」が見られる。
手前には梅の花がさいており、「梅の花(二月)」と「こいのぼり(五月)」が写っているという、季節感に首をかしげる風景となっている。
昨夜は平和公園では「花火」の打ち上げもあったので、もう何だか分けが分からんですわ。
三月になれば、コロナも少しは落ち着くのではないかと思っていたのだが、少し甘かった。 オミクロン株はやはり強烈なようで、感染者の数がずっと横ばい状態、これでは仕方がなかろう。
2016年の二月から毎年続けてきた「古典講座」も、ここで一息と言ったところだろうか。
どうも今年はこの「古典講座」と言い、芹沢光治良記念館の「写真展」と言い、ピンチが続くのである。
施術時間は大体ニ十五分前後であるのだが、その間、担当の若い男性理学療法士と、よく話をしている。
職業柄、他人の話を聞くことは、比較的苦にはならないし、こちらの話を他人に聞かせるのも得意である。(考えてみればもう四十七年もこんなことをしているのだ。)
因みに、今日は彼の高校生時代の部活の話と、車の話であった。
写真は何年か前に撮った我が家の「男雛」、今年は雛人形を出してきてセットするパワーがなかったので過去の写真を使用してみた。
Wikipediaによると、ひな祭りの起源は、古代中国には上巳の日(3月最初の巳の日)に川で身を清める風習があり、これが日本に伝わって草や藁など作った人形(ひとがた)に穢れや災いを移して川や海に流す風習と融合したとされる。また、貴族の間では幼児を災いから守る「天児と這子」が作られ、後の「立雛」の起源になったということである。
一昨日、ブログに関してボヤキを書いたところ、今日ご褒美をいただきました。Oさん、有難うございました。
何故か分からないが、昨日は特に多くの閲覧があったことは事実である。
ところで、国別の過去の閲覧データを見てみると、今問題になっているウクライナからは、500、そしてロシアからは5944の閲覧があったようだ。
およそ365日の十倍、3600以上のブログを書いた。よく書いたものだ。誰も褒めてくれないので自分で褒めることにしよう。
「継続は力なり」である。
今日はT高校の卒業式。今年関わった卒業生諸君、卒業おめでとう。これからの活躍を期待しています。