江戸の鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者、シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。したがって、ここで紫陽花が日本から持ち出されたのであろうか。
さらにこのあたりが境目なのかどうか、ヨーロッパに渡った紫陽花は、「東洋のバラ」と、もてはやされ、熱狂的な愛好家を生み出した。そして、日本に逆輸入され、現在は「ハイドランジア」とか言って脚光を浴びているのだそうだ。
ふーん、今我々のまわりにある紫陽花は、逆輸入の種が結構あるのだろうね。
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