2021年1月31日日曜日

テレビ出演

紅梅と富士山である。

やや寒さが厳しいので、「おおー見事」という訳にはいかないが、梅の花は可憐な姿を見せ始めている。

昨日の土曜日より「古典無責任講座(今年は伊勢物語)」を始める。例年、図書館の講義室で実施する講座であるが、今年はコロナ騒動の余波により、御殿場市民会館での開講となった。

さて、今回特筆すべきは、この講座にケーブルテレビの中継(録画)が入って、フルサイズ(60分程度)で県下に流されることになったことだ(イヤハヤ恥ずかしいことです)。

ワタシのテレビデビュー、いやいや、芹沢光治良記念館での写真展取材があったので、実質的には二回目のテレビ出演である。

放送日はまだ知らされていないが、講義中の自分の姿を想像すると、恐ろしささえ感じられる。


2021年1月30日土曜日

富嶽百景

 昨日の富士山である。

チョイと高いところまで行くと、富士山は裾野をしっかり見せる。

ワタシ自身、富士山を写真に撮ることはあまり好きではない。まともに撮ると何か妙な気恥しさを感じるからだ。

ワタシのボンヤリした記憶によると、太宰治の「富嶽百景」という小説にも、同様なことが書かれていたような気がする。




 

2021年1月29日金曜日

音楽をモノで所有する

今、若者の間でアナログのレコードが人気であるとの報道がなされていた。

これは単なる「物珍しさ」からくることなのか、それとも音楽媒体にプラスされたレコードのジャケットも、ひとつの「音楽」として認識されたことなのか、ここに興味が惹かれた。

ワタシなんぞは勿論、後者のレコードはジャケットも含めた「音楽」なのだが(よくジャケ買いをしたものだ)、最近の音楽シーンではインターネットなどから「曲」を取り入れるシステムが主流となっているような気がする。

果たして、ここのところのレコード人気というやつは、「音楽をモノとして所有」していた過去の復活なのだろうか。


 

2021年1月28日木曜日

明日のテレビ番組

時々、この写真は「いつ、何を撮ったんだろう?」というものがあるのだが、右の写真がそれである。

「山を撮ったのか、雲を撮ったのか、何故撮ったのか、いつ撮ったのか?」すべて分からない写真である。

新潟の友人からメールがあり、明日のテレビ番組「マツコ&有吉のかりそめ天国」に、彼のところで製造している「えび千両ちらし」という駅弁が登場するとのこと。

友人であるワタシが言うのもなんだが、この「駅弁」最高です。番組も是非見てくださいな。


 

2021年1月27日水曜日

前科

水曜テニスが降雨のため中止となってしまった。

週に一度の、貴重な運動の機会を奪われてしまうのは、聊か応えるのである。

さて、今日になって気づいたのだが、昨日のブログ更新をウッカリしていて忘れてしまった。理由は単なる物忘れであり、体調不良ではありません。

有難いことに、当ブログを毎日閲覧していらっしゃる方もあり、ブログが途絶えると「コイツ何かあったのでは?」と、心配していただいている。

ワタシには今から四年前の二月に「硬膜下血種」という、思い出したくもないケガ?があり、その時に数日間ブログが停止して、色々な人に御心配いただいた前科があるのです。
 


2021年1月25日月曜日

白い富士山

本日の富士山である。

学校帰りに御殿場の農道からスマートフォンで撮ってみた。

昨日降った雪で裾野まで真っ白、今シーズンでは初めての姿となる。

今回の雪、御殿場地方は微妙に雪のゾーンからハズれ、積雪にはいたらなかったのであるが、山一つ越えた箱根だとか、山梨県の山中湖あたりでは、そこそこの積雪があったようだ。
 

2021年1月24日日曜日

ONE OK ROCK

昨日の夜の情報番組を見ていると、森内寛樹のデビューアルバム「Sing;est」について触れていた。

ん? 森内寛樹?

と思ったのだが、彼が我々世代には馴染みのある歌手、森進一と森昌子の子息であるということで、がぜん興味が湧き、YouTubeで検索してみた。

「Sing;est」は、他の歌手のカバーアルバムであるが、うーん、歌は上手い。さすがのDNAである。

彼のもう一つの顔が、ロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカルで、こちらの方もなかなかだった。

ところで、彼には六歳年上の兄、森内貴寛がおり、こちらも日本ではトップクラスの人気を誇るロックバンド、「ONE OK ROCK」のボーカルだという。

ここまできたら、ということで「ONE OK ROCK」もYouTubeで検索すると、おおー、良いではないか。ワタシのようなジジイにも分かりやすい、伝統的なスタイルのロックである。

ロックはいつの時代でもロックなんだなあ。


 

2021年1月23日土曜日

一休ちゃん

今日は雨降りだが、今晩から明日にかけて御殿場地方は雪となる予報が出ている。

最近、au(正確には移動体通信事業のauというらしい)のテレビコマーシャルに「一休ちゃん」なる人物が登場している。

勿論これは、トンチの「一休さん」をモデルにしているのだろうが、そのキャラクターがなかなか面白い。

坊さんなのに、今っぽい若者で、基本的にガンバったりしない。とんちは、昔好きで得意だったが、今はそうでもないらしい。桃ちゃんとは昔ながらのトモダチで、三太郎よりちょっと年下の甘えん坊さん。クセは頭をかいて「てヘヘヘヘっ」と笑うこと。

うーん、「基本的にガンバったりしない」ところが、何か心惹かれるなあ。
 

2021年1月22日金曜日

繋がりの日

今日は繋がりの日であった。

昼休みに福祉科のH先生(今日に至るまでまったく接点のない先生であった)がやってきて、「沼津の『T寿司』という寿司屋を知っていますか?」と質問された。

T寿司はワタシの実家の近くにある寿司屋で、(大将がワタシの父親の教え子であったことから大変懇意にしてもらっている)よく知った寿司屋である。

話によると、H先生もT寿司にはよく顔を出しており、何かの話でワタシのことが話題になったということであった。

次に、最近連絡をほとんどとっていなかった、高校時代の友人K君からラインでの連絡があった。おそらくここで携帯をスマホに代えてラインを始めたのであろう。

最後に、卒業生のMさんともラインが繋がった。ワタシにとっては孫のような年齢であるが、生き様がしっかりしていて、とても好感の持てる人物である。Mさんこれからも宜しく。
 

2021年1月21日木曜日

痛(いた)気持ち良い

冬でも結構青い葉があるもので、写真の葉は何という木の葉っぱなのかよく分からないが、一部色が変わっているものの、完全に落葉はしていないようだった。

このところ世の中は異変続きであり、それこそ「何が起こっても不思議ではない」時代に突入したのかもしれない。

昨日は水曜テニス。

やはり身体を動かすのは気持ちが良い。動かした後の筋肉痛も「痛(いた)気持ち良い」と言うのだろうか、妙に快感を感じるのである。
 

2021年1月20日水曜日

仏像の色

 昨日のブログに対して、新潟の友人からダメ出しが出てしまった。

彼の言う通り「今年の四月」はマチガッテおります。今は「一月」で、四月はまだ来ておりません。ここに謹んでお詫び申しあげます。

さてそれはそうと、昨夜テレビで仏像のことを取り上げていたのだが、その番組では「仏像が制作された当時の色」が話題となった。

ショックなのは、ほとんどの仏像が制作当時は極彩色であり、ワタシの感覚から言えば、とても拝む気になれないのである。

やはり、年月がその仏像に重さを加えるのでしょうかね。

写真は、作られた当時を再現した「阿修羅像」である。






2021年1月19日火曜日

精神的滑走路

授業のない日が続いてしまった。

人間というもの、急に生活のリズムを壊されると、何らかの精神的ダメージを受けてしまうようだ。

今年の四月、五月にコロナ騒動のため授業がなくなった時にも鬱々とした日が続き、再開するときには「よいしょ」と、自分自身を鼓舞しながら通勤したものだ。

ジジイには、飛び立つまでの精神的滑走路が必要なのです。
 

2021年1月18日月曜日

時代の裂け目

昨日は鬼の話の中で、「時代の裂け目」という言葉が登場したのであるが、昨今のいろいろな出来事(大地震や大洪水、異常気象そして今回の疫病=コロナ)を考えると、どうも我々は現在「時代の裂け目」に突入しているような気がする。

国語の教科書には一年生で「羅生門」という教材を扱うのであるが、この「羅生門」が平安末期の荒廃した世の中を描いている。

地震、疫病、台風などによって都は見るも無残な状況となる。そして、引き取り手のない人間の死骸を「羅生門」に捨て去るのだ。

平安末期と令和初期、結構似ているのではなかろうか。
 

2021年1月17日日曜日

鬼退治

昨日の夕刊の文化欄に面白い記事があった。

見出しは、「鬼滅と鬼退治と日本人」である。

今、流行りのアニメに「鬼滅の刃」があるが、鬼退治の物語は古くから日本では形を変えて語り継がれてきた。長期的な視点でみると「鬼滅」もそれに連なる。

「鬼滅の刃」は、鬼が人間社会に恨みを持っていて、人間に復讐しようと攻撃を仕掛けてくるという想定だが、古い日本の人間起源の鬼として「酒呑童子」や「橋姫」の話がある。酒呑童子は源頼光により首をはねられ、橋姫は渡辺綱によって片腕を切り落とされてしまう。これが鬼にならざるを得なかった理由だ。

さて、それはそうとして、この記事には民俗学者小松和彦氏のつぎのようなコメントが述べられている。

振り返ると、鬼退治の物語が注目を集めるのは、時代の裂け目である。古いところでは『今昔物語集』に鬼退治の話が、また南北朝から室町時代には酒呑童子の絵巻が、そして、室町から江戸時代初めにかけては『御伽草子』に登場する鬼が登場する。先が見えない時代だが、世の中は変わらざる得ない。そのような矛盾を抱えている時代に、鬼退治でカタルシスを得ているのではないか。

うーん、新型コロナと「鬼滅の刃」、なんとなく繋がったか?

 

2021年1月16日土曜日

センター試験

チョイと気温があがったせいか、道を歩いている人の姿が目立った。

やはり、コロナ騒動による巣籠生活の反動だろうか。

さて、本日はセンター試験の第一日め。T高校の三年生、頑張ってくれたかな。「頑張ってくれたかな」というのも変な話か。別にワタシのためにセンター試験を受けているわけでもないのだから。

それはそうと、第一日めには国語がある。

なんだかんだと言っても、その出来は気になるのである。
 

2021年1月15日金曜日

田方郡

またまた伊豆市のことであるが、色々調べてみると、かつてのワタシの認識には「田方郡」という郡があり、その中に現在は伊豆市となってしまった修善寺町、中伊豆町、天城湯ヶ島町、土肥町も含まれていた(今は「田方郡」には函南町しかない)。

またややこしいのは、伊豆市の他に伊豆の国市という市もあることだ。

伊豆の国市は、これもかつては「田方郡」であったのだが、そこから韮山町、大仁町、長岡町が離れて、あらたに伊豆の国市となったということである。

うーん、遠く御殿場というところにあっては、何がなにやらさっぱり分からないのである。
 

2021年1月14日木曜日

土肥②

写真は昨日に続いて土肥の清雲寺の木彫である。

さて、土肥という所は、伊豆半島の西海岸にあるのだが伊豆市なのである。(かつては田方郡であったような気もするなあ。)

伊豆市そのものも、ややこしくて、御殿場に住んでいるワタシになんぞは、伊豆市がどこで、伊豆の国市がどこなのか、未だによくわからない。

 

2021年1月13日水曜日

龍の彫刻

故あって土肥まで出かける。

写真は、土肥の伊豆市土肥支所隣にあったお寺(清雲寺)の本堂入口付近の彫刻である。

龍二匹が格闘をしているような彫刻だが、なかなか迫力があった。

伊豆の西海岸では、松崎というところが、伊豆の長八の漆喰細工で有名だが、ここ土肥も木彫で有名なのだろうか。


 

2021年1月12日火曜日

御殿場に雪

御殿場地方に雪。

ワタシが帰宅したときには、写真の程度にしか雪は見受けられなかったが、昼前後にはソコソコの積雪もあったようだ。

今が寒さのピークなのか、はたまた、これからもっと凄い寒波がやってくるのか、まだ分からないが、今シーズンの冬は気をつけた方が良いみたいだ。

何と言っても何年か前には積雪が八十センチを超えたのだから。
 

2021年1月11日月曜日

ソース・コロッケパン

ソース・コロッケパンを食べてみた。

ソース・コロッケパンには、大会社「ヤマザキ」のパンや、「セブンイレブン」のパンもあるのだが、ワタシの舌には、この「フジパン」のソースコロッケ(ブルドックソース)というやつが、一番馴染むようだ。

ただし、今回気に入らないのは、現在販売されているソース・コロッケパンのパッケージには、ウルトラマンの文字と写真が印刷されていることである。

まあ、どうでもいいことだが、いい歳をしたジジイが、いまさらウルトラマンでもあるまい。
 

2021年1月10日日曜日

立ち往生

寒いのです。

思いきり寒いのです。

ここに来て、こんなに寒くなるとは思っていませんでした。

もっとも、今、北陸地方で大雪のため高速道路や国道で、立ち往生を余儀なくされているドライバーの皆さんに比べたら、贅沢は言えないのです。

ワタシも大雪によって、車が立ち往生した経験があるので、痛いほど気持ちは分かるのです。
 

2021年1月9日土曜日

感染力のすさまじさ

東京は毎日のように、2000人を超しており、とうとう静岡県でも100人を超えるコロナウィルスの陽性患者が出た。

まあ、この数字には、昨年暮れあたりの、それぞれの地域への人出が反映しているそうなので、当たり前と言えば当たり前の数字なのかも知れない。

恐ろしきは、その感染力のすさまじさである。
 

2021年1月8日金曜日

授業の再開

ウーッ、寒いである。

今朝、出勤しようと思い車に乗ると、車内の温度はマイナス4度であった。今までが暖かく、今年の冬はこんなものかと思っていたのが大間違い、どうやら今年は寒冬になりそうな気配だ。

久しぶりの授業であった。

かれこれひと月近く授業と離れていたので、授業に上手く復帰できるかどうか、聊か不安であったが、ナントカ乗り切れた。

復帰授業に協力してくれたT高校の生徒諸君に感謝である。
 

2021年1月7日木曜日

新潟県を含む北陸地方

天気予報を見ていると、「新潟県を含む北陸地方」なる言葉が出てきた。

今まで「新潟県」はマチガイなく「北陸地方」だと思っていたのだが、どうもそう簡単ではないらしい。新潟に友人が居ながらこれはチョイと認識不足であった。わざわざ「新潟県を含む」と断られているのはなぜだろう?

ウィキペディアによると「北陸地方」とは

  本州 中央部に位置する 中部地方 のうち 日本海 に面する 地域 . 新潟県 富山県 石川県 福井県 4 、あるいは富山県、石川県、福井県の3県を指す  区別のため前者を「北陸4県」「新潟県を含む北陸地方 」、後者を「北陸3県」などと表現することがある。

とある。

では、何故「新潟県」は、北陸地方から仲間はずれにされてしまったのだろうか。他のネット記事にはこのように書かれていた。

有名な「箱根の山は天下の険」という唱歌を一度はお聞きになったことがあるのではないでしょうか。この歌詞に含まれている「天下の険(てんかのけん)」という言葉は、地形的に超えがたい難所を意味しています。

現代の静岡県と神奈川県の県境に位置する箱根は、相模湾に面しているものの海沿いは断崖絶壁。陸側は陸側で人が歩いて通るにはあまりにも険しい山々がそびえ立っているため、現代の静岡県と神奈川県の間の往来は困難を極めました。実はこの箱根の山に匹敵するかそれ以上の「天下の険」が、富山県と新潟県の間に立ちはだかっています。新潟県の最西端、富山県との県境近くにある「天下の険」、親不知(おやしらず)海岸、子不知(こしらず)海岸です。この日本海に面した天下の難所の存在が、北陸から新潟を分断し、新潟を文化的に北陸とは異なるエリアと認識させているという説があります。新潟県は北陸地方から仲間はずれにされるのは、「天下の険」の影響が小さくないようです。

ふーん、ホンマカイナの領域ではあるが、一応理解は出来たのである。

2021年1月6日水曜日

カエルのように転んだ

久しぶりの水曜テニスであった。

久しぶりを理由にするわけでもないが、テニスを始めて間も無く、ネットの前に落とされたボールを取りに行こうとして足が滑ってしまい、まるでカエルが泳いでいるような姿で、前のめりに転倒してしまった。

幸い大きなケガには至らなかったが、小学生が運動会で転んだ時のような傷が、ヒザ小僧に出来てしまった。

長らく運動を怠っていた結果なのだろう、気持ちは完全にボールを拾っているのだが、身体の方がそれに伴わなかったということですな。

 

2021年1月5日火曜日

マスクの効用

人が大勢いるところでは、マスクをすることが義務となってしまったような世の中であるが、都合の良いところもあって、外に出る時でも見えないことを良い事にして、ワタシは無精ひげを伸ばし放題にしている。 面倒くささがそうさせているのだろう。

ところで、女性の口紅も(無精ではなかろうが)同様の都合の良さで、されてないことがあるという。何でも口紅の売れ行きが昨年と比べるとだいぶ落ちたそうだ。(昨年4月の売り上げは、前年と比べて6割超の大幅減ということである。)

2021年1月4日月曜日

横浜歴史博物館

写真は横浜の馬車道にある歴史博物館である。何年か前に、近くにある結婚式場を訪問した際に撮影したものだ。
流石に歴史ある街「ヨコハマ」、石で出来た頑丈そうな建物である。

そういえば、ここのところ(ここのところの「ここ」はもう一年以上になるかも知れない)、都会の空気に触れていないような気がする。

ツラツラ考えるに、コロナ騒動が始まる前、一昨年の十二月、北海道に行くために羽田空港まで出かけたのが最後だ。
うーん、なんという世の中になってしまったのだろう。

 

2021年1月3日日曜日

米津玄師のインタビュー

新聞にミュージシャン米津玄師(よねづけんし)のインタビュー記事が載っていた。米津玄師と言えば、セールス300万超の「Lemon」とか、昨年流行った「パブリカ」を楽曲提供したミュージシャンである。

インタビューアーの「普遍性とは多数に届くということであるが、そのことについての意見を」について、彼はこのように答えている。

「普遍性があればあるほど、何かを取りこぼす可能性があるわけです。広く大きくなればなるほど、そこからはじき出された人間というものの色が大きくなっていく。例えば、今の社会は、右利きの人の数が多いから、左利きの人を無視したデザインになっている。それは音楽にしても同じです。そうした取りこぼしていくものに対して、どれだけ自己批判を絶やさずにいられるかというのが、これからの政策において大事ではないかと思います。」

彼が言っているのは、「聴く人がいなければ音楽は成立しない」、そこに普遍性というものが出てくるのだが、普遍性を求めると、今度はそこからはじき出される人も出てくる、そこが難しいということなのだろう。

うーん、ワカルナア。
 

2021年1月2日土曜日

フランスが面白い

今日のネットニュースを見ていると、フランスで二千人超の闇パーティーという記事があった。

十二月三十一日、政府の自粛政策に反発して、フランス西部のリユロンで、使われなくなった倉庫におよそ二千五百人が集まり、ダンスパーティーが開かれた。さらに集まった若者がこれを取り締まろうとした警察車両を放火するなどして抵抗した。

さすが自由を大事にする国、フランスである。

一方、日本に目を向けるとこのような記事があった。「箱根駅伝を応援する人達に対するネットでの批判」という記事である、そして目立つのは否定的な意見だ。

「ステイホームで応援しましょうってあれだけ言っているのに沿道で大はしゃぎして応援している人を見ると、こういう人たちがいるから感染が収束しないんだろうなあ・・・と思ってしまう」 

「箱根駅伝の沿道応援してる人いっぱいいるじゃん。医療従事者が見たらどう思うんだろうね

イヤハヤお国柄ですかね。

 

 

2021年1月1日金曜日

不安の年明け

年が明けた。

今年ほど不安を伴う年明けはあるまい。

原因は、はっきりしたコロナウィルスという敵がありながら、その敵が目に見えず、敵がどこにいるのか分からないところにある。

これは始末が悪い。

我々が、外界と関わる以上、手の打ちようがないのだ。外部との接触を断つことなど、よほどの手段がない限り無理だろう。

さらに始末が悪いのは、敵の攻撃を受けた時に、年齢によって、あるいは個人の病歴によって、ダメージが異なるところである。

これにより、個人個人においては不安の度合いが異なってしまい、敵と戦う真剣さに差が出来てしまうことだ。

ホントニ「コロナ恐るべし」なのである。

(写真は何年か前に行った「出雲大社」の注連縄)