朝の良い天気に誘われて、前から気になっていた場所に、ウォーキングを兼ね、カメラを持って出かけてみた。
写真はその場所であるが、手前に田植えをしたばかりの田んぼがあり、田んぼの向こうにはかなり目立つ色をした民家。
さらにその向こうには富士山、という所謂絵に描きたくなるよう風景の場所である。
ワタシがその場所に到着した時には、富士山は半分雲で隠れてしまっていたのだが、これはこれで趣きがあるように感じられた。
2020年5月7日木曜日
2020年5月6日水曜日
神の思し召し
今の日本、戦争を体験していない人間がほとんどを占めるようになってきたわけだが、その人間が体験する最大の厄災が今の新コロナウィルスによる騒動だろう。
少なくとも、二月初めには「まさかここまで」とは思っていなかった。
それがあれよあれよという間に、日本国民(日本国民と言うより全世界の人々と言ったほうが良いのかもしれぬ)のほとんどすべてが影響を受けてしまう厄災となってしまったのだ。
イッタイこれは何なんだ。
ワタシには信仰というものはないが、「神の思し召し」なのか。
少なくとも、二月初めには「まさかここまで」とは思っていなかった。
それがあれよあれよという間に、日本国民(日本国民と言うより全世界の人々と言ったほうが良いのかもしれぬ)のほとんどすべてが影響を受けてしまう厄災となってしまったのだ。
イッタイこれは何なんだ。
ワタシには信仰というものはないが、「神の思し召し」なのか。
2020年5月5日火曜日
こいのぼり
子供の日には「こいのぼり」であるが、「こいのぼり」について、何年か前に「沼津朝日」という地方紙に投稿した原稿があったので、今日は怠慢をこいて、それを再びここに載せてみる。
(江戸っ子は言葉が荒いが、腹の中には何もなく、さっぱりとしている。)という川柳がある。この川柳でもわかるように、江戸時代に生まれた「鯉のぼり」、当時は「鯉の吹流し」であった。それが今では「鯉のぼり」、これは一体どうしてなのだろう。
「鯉のぼり」の「のぼり」は「幟」である。
沼津にも「幟道(のぼりみち)」の地名があるが、その「幟」だ。
「幟」というのは、「吹流し」ではない。「幟」は日本における旗の形式のひとつで、長辺の一方と上辺を竿に括りつけたものを指す。本来は神を迎える招代(おぎしろ)として立てられたが、後に標識として用いられるようになったという。「幟」の代表的なものは、大相撲の本場所などに建物の外に力士の名前を書いて立てられるアレである。
一方「吹流し」とは、布などでできた筒を高所からぶら下げ、風向きや風速を目視で確認するための設備、とある。一般的には道路や空港などに設置されているものだ。
したがって、その形状からいうと、五月の日本の空にあがる鯉は、「鯉の幟」ではなく、「鯉の吹流し」と言うべきなのだ。(まあ、「べきだなのだ」とここで主張しても何の意味もないが。)現在では「鯉の吹流し」などとは、まず言わない。
さて、長年の「悩み」を解決すべく、今回この理由をじっくり調べてみた。そしてたどり着いた答えが、「鯉の滝登り」との混用であった。つまり、「幟」と「登り」の混用だ。
中国の「後漢書」によると、黄河の急流にある「龍門」と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが、鯉のみが登り切り、龍になることができた。これにちなんで「鯉の滝登り」が立身出世の象徴になったのだと。
要するに、本来「鯉の吹流し」というべきところを、「鯉の滝登り」という縁起の良い故事をふまえ、さらに「幟」の意味も加味した「鯉のぼり」にしたのだろう。
これが、民俗学の「み」の字も知らない私の、乱暴な推測である。
(写真は四月に御殿場の平和公園で撮った「こいのぼり」)
2020年5月4日月曜日
獅子と狛犬
須走の浅間神社にある「岩の上の親獅子」である。
写真には写っていないが、「親獅子」があるからには、「岩の下の子獅子」も当然存在している。
「獅子は自分の子をがけ下に突き落とす」の話を、ここでは現出しているのだ。
(何故ここにこんなものがあるのか、よくわかりませんが。)
獅子といのは中国の想像上の動物らしい。
また、「親獅子の子落とし」は、「石橋」という能の物語をもとにした歌舞伎が元だという。
ところで、「獅子」と「狛犬」はどう違うのか?
いろいろ調べてみると、「狛犬(こまいぬ)」は日本の獣であり、その語源はいろいろあるようだ。
朝鮮の高麗(こま)から伝わったので「高麗犬」とか、魔除けのために置かれたことで拒魔(こま)犬とか。
一方、「獅子」は前に書いたように、中国から伝わった想像上の動物であり、現在は両方合わせて『狛犬』と認識されているということである。
写真には写っていないが、「親獅子」があるからには、「岩の下の子獅子」も当然存在している。
「獅子は自分の子をがけ下に突き落とす」の話を、ここでは現出しているのだ。
(何故ここにこんなものがあるのか、よくわかりませんが。)
獅子といのは中国の想像上の動物らしい。
また、「親獅子の子落とし」は、「石橋」という能の物語をもとにした歌舞伎が元だという。
ところで、「獅子」と「狛犬」はどう違うのか?
いろいろ調べてみると、「狛犬(こまいぬ)」は日本の獣であり、その語源はいろいろあるようだ。
朝鮮の高麗(こま)から伝わったので「高麗犬」とか、魔除けのために置かれたことで拒魔(こま)犬とか。
一方、「獅子」は前に書いたように、中国から伝わった想像上の動物であり、現在は両方合わせて『狛犬』と認識されているということである。
2020年5月3日日曜日
カップル道祖神
写真は、御殿場の高値地区にあった道祖神。
男女の二対像と思われる。
だいぶ年期が入っていて、しかとは分からぬが、どうも手を繋いでいるように見える微笑ましい道祖神である。
手を繋いだ道祖神というのは、それほど珍しいわけではなく、ワタシもかつて、長野県の安曇野で過去に見ことがあるような気がする。
後ろの網は、隣がゴミ捨て場所であり、鳥よけの網である。
男女の二対像と思われる。
だいぶ年期が入っていて、しかとは分からぬが、どうも手を繋いでいるように見える微笑ましい道祖神である。
手を繋いだ道祖神というのは、それほど珍しいわけではなく、ワタシもかつて、長野県の安曇野で過去に見ことがあるような気がする。
後ろの網は、隣がゴミ捨て場所であり、鳥よけの網である。
2020年5月2日土曜日
ゴールデンウィーク
所用があって沼津まで出掛けたのであるが、沼津では道を歩いている人が半袖であった。
御殿場では夜になると暖房が欲しい温度なんですがね。
相変わらず休みがが続く。
例年であれば文字通りの「ゴールデンウィーク」、風も心地よく、休みを堪能している頃なのに。
さて、ワタシが教えているT高の生徒諸君はどんな生活をしているのだろうか。
いくらなんでも、これだけ休みが続くとストレスもたまるだろう。
先が見えるならば「もうちょっとだ、頑張れ」とでも言えるのだが、今回のこの悪辣なウィルス騒動はチットモ先が見えない。
困ったものです。
御殿場では夜になると暖房が欲しい温度なんですがね。
相変わらず休みがが続く。
例年であれば文字通りの「ゴールデンウィーク」、風も心地よく、休みを堪能している頃なのに。
さて、ワタシが教えているT高の生徒諸君はどんな生活をしているのだろうか。
いくらなんでも、これだけ休みが続くとストレスもたまるだろう。
先が見えるならば「もうちょっとだ、頑張れ」とでも言えるのだが、今回のこの悪辣なウィルス騒動はチットモ先が見えない。
困ったものです。
2020年5月1日金曜日
ラブ・サイケデリコ
「ラブ・サイケデリコ」という男女二人組のロックデュオが昨日の夕刊に取り上げられていた。妙なグループ名だなあと思いつつも、興味があったので早速ユーチューブで視聴してみた。
まず好感が持てたのはその音楽性である。
なんとなく昔懐かしい感じがして、違和感なく聴くことができた。
言ってみれば、「いきものがかり」のシニア版とでも言うべきなのだろうか。
(イヤイヤ、1997年、青山学院大学の音楽サークルで結成だというからまだ四十代なので、シニアは失礼か)
歌っている歌詞は、英語と日本語がゴチャゴチャになっており、なにが何だかよく分からない部分もあったが、ボーカルの女性の英語がきわめて上手い。
これは彼女が帰国子女だからということである。
何はともあれ、ユーチューブで一度視聴することをお勧めします。
「ラスト・スマイル」という曲が魅力的ですぜ。
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