2012年5月14日月曜日

「心」という字

車の点検を午前中にせねばならず、ディーラーまで出かけた。終わるまでには、一時間以上かかるということだったのだが、待っている間に「今日はフルーツゼリーをサービスしております。」と、どこかのしゃれたケーキ屋のフルーツゼリー。「おう、しめしめ。」一緒にでてきたアイスコーヒーも堪能。「これは何かいいこことありそう。」、近くにあった新聞を取る。そこに載っていた記事がこれである。(これは果たしていいことなのだろうか。)
 「心」という字は「うら」とも読む。広辞苑によると「うら」は「(おもてに見えないものの意)こころ・おもい」と意味が書き記してある。「うらさびしい」は心がさびしい。「うらさびれる」はどこか活気なく衰えていること。
 なかなか面白い記事であった。また「心」という字も、何か意味深長な言葉である。「表情」というのが「おもて」に出る「情」なら、「心」というのは、「おもて」に出ない「情」なのだろう。人間の裏の部分でもあるし、隠す部分でもあるのだろう。「心変わり」いう言葉があるが、「心」いうものは、もともと表に現れないものだとすれば、変わったのか、変わらないのか、わからない。従ってこれは意味のないことばなのかもしれない。(これが果たしていいことだったのだろうか。)

2012年5月13日日曜日

学校祭

N東の学校祭に行ってきた。みんな親切にしてくれるのだが、「去る者は日に疎し」とは、よく言ったもので、なかなか居場所が見つからず、「これは、もうここに来てはいかんな。」という感を強く持った。まあ仕方がないことなのだろう。私自身が学校離れをしなくてはいけない。
 それはそうと、ギタ・アンの「ビートルズ特集」はなかなか良かった。やはりビートルズというのは不滅である。今までもこれからも、ずーっと輝き続けるのだろう。十代も六十代も一緒に楽しめる音楽などそれほどないのでは。ギタ・アンの諸君の歌に関する解釈も素晴らしいものがあった。

2012年5月12日土曜日

温泉に行ったこと

今日はお休みの日、このところ何だかんだと忙しく、なかなか行くことができなかった御贔屓の温泉(山中湖畔の紅富士の湯)まで出かけてみた。御殿場からは、車で三、四十分の距離なので割と気軽に行くことができる。さすがに連休明けのウイークデイ、温泉は空いていて、のんびりお湯につかることができた。極楽極楽。一人で露天風呂に浸かって青空をながめると、いやなこと(考えてみると私には、今いやなことなど一つもなかったのだが。)はみんな忘れることができる。この季節、暑くも寒くもなく、吹いてくる風も実に心地良い。日本人に生まれたからこそ味わえる気分であろう。またまた極楽極楽。

2012年5月11日金曜日

昔の詩集

先ほどまで昔の物を整理していたのだが、1976年5月に書かれた自分の詩集が出てきた。詩の内容を見ると、どうもアヴァンギャルド(前衛芸術)に挑戦したかったみたいである。詩と詩の間にイラストのようなものまで入れている。恥ずかしながら、ちょっとだけ紹介してみる。
  
  強制連行されたケチャップ付きのオムレツが
  最高に悲しげな顔をしたみたいだ

  さりととて、オレは
  軍隊式の敬礼など
  おかしくて できやしねえ

といった具合である。
私もまだ若かったなあ。ああ恥ずかしい。でも見たい人には見せてあげるぞ。

2012年5月10日木曜日

忽せ

七時のニュースを見ていると、自民党の谷垣総裁が、小沢一郎民主党元幹事長の裁判の件に関して、面白い言葉を使っていた。これは勿論民主党批判であるのだが、総裁曰く「民主党は裁判のことをゆるがせにしている。」
 以前から語っている内容はともかく、谷垣総裁というのは見事な言葉を使う人だと思っていたのだが、今日の言葉も事実にピッタリの言葉であった。「忽せ(ゆるがせ)にする。」とは、「大事なこととは考えずに、いいかげんにしておくこと。」まさに「忽せ」である。

2012年5月9日水曜日

六十三段補足

昨日の「枕草子」六十三段の補足を聊(いささ)か。清少納言はこんなことも言うのだ。「人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。」「人はやはり明け方に(女の家から)帰ろうとする様子が、趣深いものでなければならない。」
 男が女の家で、帰ることに気が進まずグズグズしているのだが、そんな男に女が言う、「夜が明けました。みっともないですよ。」すると男はわざとらしく溜息をつく。ここがポイントなのだ。いかにもいかにもの「帰りたくないポーズ」を男はとっているのだが、女はそれを百も承知で、「早く帰りなさい。」と言うのだ。すべてが芝居のように進行することを、清少納言は「をかし(趣深い)」と書くのである。男女の関係というのは、芝居の繰り返しなのかもしれんね。

2012年5月8日火曜日

枕草子 六十三段

今日はRー18(Rー18のRとはRestricted 制限・規制の意味)の話。学校の授業ではなかなかできない話をしよう。枕草子の六十三段に「暁に帰らむ人は」という話がある。「明け方に女の家から帰ろうとする人は」の意味となるのだが、以下このように続く。「装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒、元結かためずともありなむとこそ、おぼゆれ・・・・・誰か見知りて笑ひそしりもせむ。」同様に意味をいうと、装束などをたいへんきちんと(整えたり)、烏帽子のひもや髪を結うひもを結び固めなくともいいだろうと思われる。・・・・・誰が見知っていて、笑ったり非難したりするだろうか(いや、誰もそんなことはしない。)
 当時の貴族は基本的に自由恋愛(一夫多妻)なので、これは当たり前のことであるのだろうが、女の家に行って、一晩女と過ごした男が、だらしない服装で、自分の家へ朝帰って行く場面を、肯定して表現している段である。さらに清少納言はこう言う。朝別れる時の男はこうでなくてはいけないと。