今日も依然として暑い。
一昨日は兵庫県丹波市柏原というところで、過去最高気温の41.2℃を記録、この記録は2018年に埼玉県・熊谷、2020年静岡県・浜松の41.1℃を上回り歴代最高気温を更新したそうだ。残念ながら(残念であるかどうかはチョイと疑問であるが)我らが静岡県の浜松が歴代一位の名誉?は消えてしまったのである。
今日も依然として暑い。
一昨日は兵庫県丹波市柏原というところで、過去最高気温の41.2℃を記録、この記録は2018年に埼玉県・熊谷、2020年静岡県・浜松の41.1℃を上回り歴代最高気温を更新したそうだ。残念ながら(残念であるかどうかはチョイと疑問であるが)我らが静岡県の浜松が歴代一位の名誉?は消えてしまったのである。
昼のテレビ番組は各局とも津波の特番に変更され、海沿いを走る鉄道は軒並み運休となってしまった。
昨日の暑さに対する警報といい、今日の津波警報といい、日本列島は異常が続いている。
今さら何が起こっても驚かないぞ、である。
基本的に涼しいはずの御殿場もその例にもれず、この夏最高の暑さであり、ほぼ一日中クーラーをつけっぱなし、これから先が思いヤラレル日でもあった。
夏休み前に実施される高原教室で、志賀高原の湿原を歩いている生徒達だ。前方に見える山は何という山か忘れてしまったが、深い霧の中をひたすら山に向かって歩いている。
この時のワタシは還暦チョイ手前であり、よくぞ毎日毎日山に登ったものだと、今は自分を褒めてあげたいのである。
ワタシの人生ナンテ、所詮こんなものさ。
学校の方は夏休みに入って、ワタシ自身の時間は有り余っているのだが、人間(というかワタシという人間)は、余裕があればあるほど何だか前に進めなくなってしまうのです。
これを「余裕がもたらす奇妙な停滞」と言います。
そもそも北海道という所はクーラーの必要ないところであった、それがここ数年の暑さで、今年はクーラーの需要に供給が追い付いていないのが、現状であると言う。
冬しか(冬の北海道はもう40回以上経験している)行くことのなかったワタシとしては、夏の北海道はあまり実感がなかったのであるが、これが今の北海道なのだ。
そう言えば我らが御殿場でも、かつてはクーラーの必要性などあまり感じていなかったのですがね。
北海道で40℃ですぞ。
ネット検索をしたところ、北海道の過去の最高気温は、2014年に十勝の音更町で観測された37.8℃だというのだから、これは驚きの高温である。
やはり、地球はオカシクなってしまったのだろうか。
このところ、雨天だったりメンバー不足だったり、まともにテニスをすることが出来なかったのであるが、今日は漸く身体を動かすことができた。
しかしながら、今日は晴天、炎天下のテニスコートはジジイにとって、一歩間違えると死の危険がある場所でもあるのだ。
と言うワケで、今日は正味一時間半のプレイであったのです。
ヘビメタのロックバンド「ブラックサバス」のボーカル、オジー・オズボーンが亡くなった。「ブラックサバス」と言えば、学生時代に何だかすげえ名前のバンドだなあ、と思った記憶がある。
なんてって、ファーストアルバムが「ブラックサバス=黒い安息日」、セカンドアルバムが「パラノイド」なのだから。
例年九月に実施していた講座であるが、ここ数年の暑さゆえ、今年は十一月にスライドすることとなった。
十一月ともなると、富士に行くために通過しなければならない十里木街道が凍結する可能性があったので、今まで避けていたのだが、今年は十一月十五日が最終日となるので、多分大丈夫だろうとの判断をしたからである。
因みに今日の十里木街道は、途中の温度表示を見ると、二十五℃だったのです。
御殿場でも三十℃を超しているのに、さすがですなあ。
人によっては、彼の演奏をいつもピッチが怪しく、そこが彼の魅力だと言い、さらにピッチが云々というクラシック的な価値観をジャズという異なる音楽の文脈に持ち込んでも、それは論じること自体がナンセンスだと言う。
彼にとってジャズとは、「スイングしなけりゃ意味ないね」なのである。
さあ、今日は暑いので、ジャッキー・マクリーンのアルバム「スイング・スワング・スインギン」でも聴くことにしよう。
このような暑い時に聴講者の皆さま、ご苦労さまでした。
いつも三月に開催している講座を七月に変更して実施したわけだが、やはり七月の暑い時期の講座は、いくら御殿場といってもやはりツライのである。
取り敢えず終わって「ホッ」である。
しかしながら、最近はスマホで写真を撮ると、撮った花の名前を教えてくれるという便利なアプリがあり、そのアプリによると、この花の名前は「コムラサキ」らしい。
当たっているのかどうか不安であるが、今日は「コムラサキ」ということにしよう。
番組のはじめには「知恩院」の巨大な山門が登場する、実は山門は三門とも表記するのであるが、ワタシ自身「三」の意味についてここで初めて知ることが出来た。。
「三」とは仏教でいうところの「空」「無相」「無願」を意味(諸説あるらしいが)しているのだと。
すなわち、悟りに至るために通過しなければならない三つの関門、「空=物事にこだわらない」「無相=見かけで差別しない」「無願=欲望のまま求めない」ことである。
何はともあれ「知恩院」に参拝するために、ワレワレはまずこの「三門」の下を通らなければならないのである。
晴れたかと思うと雨、雨かと思うと晴れ、朝から何だか訳の分からん気象状況であった。
また、その雨の強さが尋常ではないため、窓を開けたり閉めたり、これも何だか訳が分からないのであった。
ここに来てこんなに気象に悩まされるとは。
そして今日からワタシは夏休み、夏休みと言っても、この歳になれば普段から休んでいる日も多く、特段の「休み感」もないのであるが、授業がないということは精神的には随分楽である。
学期末テスト(どうでもいいことだが、今年からは一学期総合考査ということである)が終わり、答案返却が終わっている今日であり、言ってみれば消化試合のような時間であったのだが、生徒諸君はワタシが提供した演習問題を一生懸命にやっていた。
感心・感心である。
相変わらず「詐欺メール」と思われるメールがパソコンやらスマホに数多く入ってくる。
毎日、毎日削除はしているのだが、キリがないし鬱陶しいのである。
やはり、これはナントか出来るものがナントかすべきものだろうに。
今日の講義は「古本説話集」の中から「平中が事」という、いわゆる「色好み」の男、平貞文(たいらのさだふん)の話である。
「色好み」とは、今でいう「好色な男」という意味ではなく、「恋愛の情趣を解する男」の意味である。
話はこの恋愛に命をかけているプレイボーイが、浮気性ゆえ自分の妻からこっぴどいお灸をすえられる話だ。
話の内容も分かりやすく、聴講の皆さんも納得のいく時間を過ごすことが出来たのではなかろうか。
今日は「注意」の「注」について、ハタと気がついた。
「注」は「そそぐ」ことである。したがって、「注意」とは「意」を「そそぐ」ことだ。では「そそぐ」とは何だ。「そそぐ」とは「水をそそぐ」のように「流しこむ」ことである。では「注意」とは「意を流しこむ」ことか?
いやいや「意を流しこむ」ではチョイと変だ。
慌てて辞書を引いてみると、「心血をそそぐ」のように「そそぐ」には「傾ける」とか「向ける」の意もある。これでやっと腑に落ちた。「注意」とは「意(気持ち)を向ける」ことなのだ。
今日もその例にもれず、夕方五時前から急に雨降りなのです。
テスト返却最後のクラス有、これですべて返却を終えたので、まずは一段落である。
それにしても何だかんだと学期末は忙しいのです。
とても美味しいおむすびなのだが、パッケージには「うなぎのタレ使用 (うなぎは入っておりません)」と表記されている。
おおー、流石に128円ではウナギは入っていないだろうと思うのだが、それでも尚且つ「入っておいません」とあらためて表記しているところに、ワタシは何故か感動したのである。
前回が先週の火曜日であったので、一周間ぶりだ。
久しぶりに下界に行くと、やはり下界は暑いのです。ニュースでも連日「猛暑、猛暑」と連呼していることも、精神的な暑さに繋がっているような気もする。
せめて写真だけでも涼しい写真にしようっと。
ワレワレの住んでいる静岡県も「東海地方」に入るのだが、「北陸地方」に新潟県が入るのと同様、何か違和感のようなものもある。
「東海」には「東海三県」、すなわち愛知県、岐阜県、三重県を表す言い方があるが、そこにもうひとつ静岡県も加えて「東海四県」という言い方もあるのだ。
きっと、どこかの何かが「都合よく」するために「三県」となったり、「四県」となったりするのだろう。
一瞬、何事だろうと思ったのだが、
ひょっとすると、アメリカに滞在しているMさんが、一気見でもしてくれたのだろうか。
午後は激しい雨とかッとした晴天の繰り返しが何度かあった。
やはり、御殿場地方は「高原特有」の天気なのです。
本来ならば来年の三月に初回を実施するのであるが、今年度は新図書館の開設に伴い、三月実施が不可能のため七月の開講となったのである。
暑い(特に今年は暑い)中での講座であったが、多くの方に参加していただき、聴講者の皆さんには感謝である。
明日からは晴天の日がしばらく続きそうなのだが、晴れれば晴れたで困るのが、予想される猛暑だ。
よって、老人にとって、晴れれば良いというものではないのです。
これからは毎日熱中症に注意しなければならないのである。
一体、これは何だと近くに寄ってみると、これは「ヒメボタル」の鑑賞者に対する注意情報であった。
右の写真では分かりにくいのだが、ここには蛍の出現情報も書かれている。
情報に曰く。(写真をクリックすると拡大されます。)
七月二日の出現は午後十時ころ、場所は竹林と書かれている。
蛍鑑賞のために、夜十時に竹林に入って行く人がいるのですなあ。
現金でもカードでもなく、あるいはスマホ決済でもでもない、自分の「顔」で決済の出来るスーパーマーケットが有るとか無いとか。
これは実に便利だろうなあ。
財布も携帯も持たず、自分の顔だけ持って行けば買い物が出来るのだ。
特に大事なものを忘れるワタシのような人間は、極めて便利である。
記念館の職員さんとはもう十年以上の付き合いになるので、お顔を拝見すると何かホッとした気持ちになるのです。
もうすぐ夏休み、考えてみるに夏休みの間に作品の整理や案内状の作成と発送の準備をせねばならない。
もうウカウカしてはいられないぞ。