2025年12月9日火曜日

マシュマロ

青森で震度6強の地震、御殿場でも多少揺れた。今回の地震で亡くなった人はなかったようだが、青森の友人に連絡をとってみると、その揺れはかなり大きかったようだ。

先日、生徒から「マシュマロ」をもらった。「マシュマロ」というお菓子は何となく可愛らしいお菓子であるのだが、「マシュマロ」の正体とは一体何だろう?こんな時、向上心旺盛なジジイはすぐ調べるのです。

さて、ネット検索によると

ウスベニタチアオイのエキスと蜂蜜を混ぜたのど飴から、19世紀フランスの菓子職人が砂糖を加えて菓子として完成させた。これは植物エキスの粘りを利用したものだったが、19世紀後半にはゼラチンと泡立てた卵白の粘りで代用する現在のかたちに変化している

日本においては、1892年に風月堂が初めてマシュマロを販売、その際に「真珠麿」の漢字が当てられたと当時の新聞で報じられている。しかし、1887年(明治20年)創業の岡山県の下山松壽軒(つるの玉子本舗)が創業と同時に日本初のマシュマロ菓子「つるの玉子」を発売したとする説もある。

とあった。

ふーん、「真珠麿」かあ。

2025年12月8日月曜日

すさまじきもの

 最近、古典の授業で枕草子の「すさまじきもの」を講義している。

「すさまじきもの」とは現代語でいうところの「唖然とすること」とは異なり、「興ざめな心情」を表す言葉である。

また、「不調和なもの」とか「期待外れで不快な気持ち」を表している。

さて、件の「すさまじきもの」では最初に「昼ほゆる犬」とある。

おそらく当時は「夜の泥棒対策」として犬を飼っていたのだろうが、その犬が昼間からワンワンとウルサク吠えるので、「不快なもの」として挙げているのだろう。

このことが何か現代とよく似ているので、思わずニタリとしてしまった。
 

2025年12月7日日曜日

江戸走り

寒いが穏やかな日が続いている。

昨日情報番組を観ていると、「江戸走り」なる走り方が若者の間で流行っているのだと言っていた。

「江戸走り」とは江戸時代の飛脚の走り方であり、昔流行った「欽ちゃん走り」の変形のような走り方である。

実に妙な走り方であるのだが、飛脚が走った実用的な走り方であり、長距離を走っても疲れない、理にかなった走り方でもあるそうだ。

若者得意の「インスタグラム」で火がついたようだが、この先世の中にどこまで浸透していくのだろうか。


 

2025年12月6日土曜日

カレンダーの大きさ

年賀状を購入したところ、来年のカレンダーを頂いた。

写真は左が来年のカレンダー、右が今年のカレンダーである。特に遠近法を使っているわけではないが、大きさが随分異なる。来年のものはハガキサイズであるのだが、今年はその半分とは言わないがかなり小さい。

去年郵便局で貰った時に、「この大きさは老人泣かせだ。」と郵便局の局長に文句を言った(局長はひょんなことから仲良くなった人だったので)ことをよく覚えている。

そのワタシの声が届いたのかどうかはわからないが、今年は常識的なサイズとなっていたのである。
 

2025年12月5日金曜日

知ったかぶり

昨日二年生のクラスで雑談をしていて、ワタシがエラそうにスマホの「ギャザリングを知っているか」と言ったところ、生徒に「それはテザリングではないか」とダメ出しをされてしまった。

「テザリング」とは、スマートフォンをモバイルのルーターとして利用し、他のデバイス(パソコンなど)をインターネットに接続する機能だという。

知ったかぶりはするものではありません。

(写真は自宅の紅葉)

 

2025年12月4日木曜日

感動あんぱん

以前スーパーで購入した「あんぱん」であるが、そのネーミングが面白かった。

なんと商品名は「感動あんぱん(つぶあん)」である。

おそらく、この商品を食べた人は、間違いなく「感動」するだろうというコンセプトで作られた商品名であろうが、どうも「感動」の対象があまり明確ではない。

「パン全体」をもって「感動」するのか、それとも中に入っている「つぶあん」に感動するのか、そこが明確ではないのだ。また「感動」は人に押し付けるものではないような気もする。

と、散々「ケチ」をつけてしまったが、この「あんぱん」は「感動」は別として、確かに美味いのである。

 

2025年12月3日水曜日

コケた。

御殿場の朝は小雨がポツリ、今日の水曜テニスは無理だろうかと思われたが、十時近くになると天候もやや回復、無事テニスをすることが出来た。

週に一度の運動ゆえ、貴重なテニスであるのだ。

最近チョイと疲れがたまっていたせいか、それともジジイになってしまったせいか、プレイ中にコケてしまい、膝の上をすりむいてしまった。

久し振りの擦り傷である。
 

2025年12月2日火曜日

「ポール・スミス」と「セシル・マクビー」

「ポール・スミス」と「セシル・マクビー」、実はこのふたつの名前はファッションブランド名でありジャズマンの名前でもある。

ジャズで言うと「ポール・スミス」はピアニストであり、「セシル・マクビー」はベーシストである。

以前、「セシル・マクビー」のことを若い女性と話していたのだが、途中から何か話がかみ合わなくなってきて、よく聞いてみると、ワタシの好きなベーシスト「セシル・マクビー」はファッションブランドにもあることが分かった。

何だか紛らわしいのである。



 

2025年12月1日月曜日

タイヤの積み込み

ディーラーで車の点検のついでにノーマルタイヤから冬用のスタッドレスタイヤにタイヤを交換してもらったのであるが、その準備としてタイヤを車に積み込む作業を行なった。

以前はナンナク積み込んでいたのだが、最近はタイヤを持ち上げるのもツライ。

それだけ筋力が衰えてきたのだろう。

果たしていつまでこの作業をすることが出来るのであろうか。

うーん、歳は取りたくないのである。
 

2025年11月30日日曜日

優先席

昨日、所用があって沼津まで御殿場線を使って行った。

さて、帰りも電車でということで沼津駅から電車に乗った。比較的すいていたので空いている座席に座ったのだが、電車が走りだしてから気づいたことがあった。

ワタシの座った席には「優先席」と書かれていたのだ。

「優先席」とは、幼い子供や妊婦、老人が優先的に座ることが出来る席なのだが、果たしてワタシは「老人」に該当するのだろうかと少し悩んでしまったのである。もう少しすると「後期高齢者」となるワタシは立派な「「老人」であるはずなのだが、いざ「優先席」に堂々と座れるかということになると、これがなかなか踏ん切りがつかない。

ワタシは一体何者なんだ。
 

2025年11月29日土曜日

透ける

今年の紅葉はキレイである。

無茶苦茶な温度差のせいか、はたまたそういう年なのか、何はともあれキレイである。

写真は御殿場の二の岡神社鳥居前のモミジなのだが、ちょうど日が差すタイミングだったので、太陽光によって透けるモミジが撮れた。

秋桜でも紅葉でも透けることにより、発色がよくなり、ワタシ好みの写真が撮れるのである。

 

2025年11月28日金曜日

夜ふかし

「月曜から夜ふかし」という番組がワタシは結構好きでよく観るのであるが、今週のこの番組では、ファミリーレストランの「ジョナサン」には、「ジョナサンという名前の従業員は在籍しているのかどうか」がテーマになっていた。

結論は「複数存在する」であった。

最近の日本には外国人労働者も多く、当然考えられることでもあったのである。

ちなみに、「ジョナサン」には「ガスト(これもファミリーレストランである)」という名の従業員は在籍しているのかどうかについても調べたようだが、こちらの在籍は認められなかったようだ。
 

2025年11月27日木曜日

いよいよ冬か

自分が担当しているクラスの試験が有った為、学校まで出かける。

試験中に各クラスを回るのだが、生徒の反応が面白い。

「これはちょっと難しすぎます」とか「ここはバッチリやってきましたよ」とか目でコメントしてくるのである。

これが教師の醍醐味でもあるのですがね。

帰り道に途中から冷たい雨、いよいよ冬が始まるのか。


 

2025年11月26日水曜日

西洋タンポポ

今日も暖かい、この暖かさいつまで続くやら。

左の写真の植物の名前はよく分からないのであるが、このような時にはスマホにインストールされている「レンズ」というアプリを活用する。

さて、「レンズ」で調べてみると、「西洋タンポポ」なる名が出てきた。

これはチョイと疑問は残るのであるが、今日は取り敢えず「西洋タンポポ」ということにしておこう。
 

2025年11月25日火曜日

リテラシー

授業が一時間、テスト監督が一時間という落ち着きのない一日であった。

三限のテスト監督終了後、気温が急に下がってきており、雨も今にも降りそうな雰囲気になってきたので、急いで御殿場まで直帰。

試験監督の折に教室にあった受験雑誌を見ると、「リテラシー」なる用語が盛んに使ってあった。「リテラシー」?

監督後に検索してみると、リテラシー(英literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった、とある。

「読解記述力」と表現すれば分かり易いのに、最近は横文字を並べて、わざわざ分かりにくくしているように感じられるなあ。

2025年11月24日月曜日

今日も小春日和

小春日和が続く。

今日も十一月下旬とは思えない暖かさで、今も暖房器具を使用しない時間を過ごしている。

あの七月から九月までの「異常な暑さ」から一転しての心地よい気候は、これから来るかもしれない「異常な寒さ」の前触れなのであろうか。

大相撲は昨日、安青錦というウクライナから来た青い目の力士の優勝で幕を閉じた。

彼の言動や立ち居振る舞いは、本当に好感が持てる。日本人が忘れてしまった何かを彼は間違いなく持っているのである。


 

2025年11月23日日曜日

写真

昨日のブログの流れからもう少し写真について述べてみる。

「写真」の「写」の意味は

①なぞらえて描く。②もとの形のままに絵を描く、などいくつかの意味があるが、その中に「内にあるものを出し尽くす」の意がある。

また、「写真」の「真」には

①本当のこと、まこと。②本質。とある。

つまり、「写真」という語を少し恰好をつけて言うならば、「内にあるもの(本質)を出し尽くす」のが「写真」なのだ。

 

2025年11月22日土曜日

写真展総括

そろそろ十月に開催した写真展の総括したいと思う。

芹沢光治良記念館での写真展も十回を越してきたのであるが、ワタシの頭の中には次回の写真展の展示イメージは出来上がっている。何故ならここ数回は展示がパターン化してきており、後は「タイトル決め」さえすれば良いのである。(何だか横柄になってきている自分を感じるなあ。)

というのも、会場には八つの壁面があり、そしてその一つの壁面に展示する作品は各々三作品(スペースからしてそれ以上は無理)である。したがって、まず全体のタイトルを決め、そのタイトルに添った小タイトルの作品を三点ずつ展示するという訳だ。(歳を取るとパターン化ということは大事なことなのです。)

さて、いよいよ肝心な総括であるが、私にとっての写真とは何かを考えてみる。以前ブログにも書いた(1912.2.11)文章を引用すると、このような感じであろうか。

ワタシにとって写真とは「普通のモノを普通に撮る」ことである。従って、「シャッターチャンス」などという言葉はありえない。写真を撮る対象とか、時間が問題なのではなく、写真を撮る自分自身の心が重要なのである。「どのような気持ちで、どのように撮るのか」が私にとっては、最も大事なことなのだ。
 素人が偉そうなことを言っているように思えるかもしれないが、今のカメラというのは、技術的なことはほとんどがカバー出来てしまう。写真技術だけに限って言えば、素人でも玄人と遜色ない写真が撮れてしまうのだ。いやらしい言い方をするなら、お金さえかければ、技術的なことはなんでもできてしまうのである。だからこそ、心が大切・・・・・なんですがね。

このような観点からすると、今回の写真展も十年以上経った今でもコンセプトは変わっておらず、自分を褒めてあげたいのである。

2025年11月21日金曜日

光の具合

予定はしていなかったのだが、天気が良く(このように穏やかな日を小春日和という)、午前中の「光の具合」がとても素晴らしかったので、今日も「紅葉狩り」に出かける。

ワタシの場合、気に入る写真を撮るのにもっとも大事なものが「光の具合」なのである。

案の定、今日の「秩父宮記念公園」は、、そこそこ紅葉しており、「光の具合」もとても良かったのである。


 

2025年11月20日木曜日

帽子と涎掛け

お地蔵様である。

今回の「富士霊園」のお地蔵様には、真新しい赤い帽子と涎掛けが見られた。

「ものごとには意味がある」

このお地蔵様の帽子とヨダレカケ、そして赤い色にも勿論意味があるのである。

お地蔵様というのは賽の河原をさまよう子供たちを救う役割があり、子供を守る仏としての信仰からヨダレカケや帽子を奉納するのだそうだ。また、色が赤いのは、赤い色には魔除けの効果があるということから。

2025年11月19日水曜日

六地蔵

水曜テニスは気持ちよくプレイすることが出来たのだが、右足の腿(もも)の筋肉に痛みを感じている。

この歳になると、身体中すべてが順調であり、痛いところなど無い、ということは殆どないのであるが、それにしても今回の腿の筋肉の痛みは長引くのである。

写真は、富士霊園の六地蔵。

六地蔵の「六」の意味は仏教でいう「六道」を指し、人間が陥ってしまった「六つ道」からそれぞれ救ってくれるのが六地蔵なのだそうだ。では「六道」とは何かというとウィキペディアには次の「六道」が挙げられている。
 

  • 地獄道:もっとも苦しみの激しい世界
  • 餓鬼道:飢えと渇きに苦しむ世界
  • 畜生道:弱肉強食の畜生の世界
  • 修羅道;争いやけんかが絶えない世界
  • 人間道:人間が住む世界で、輪廻を避けられる可能性がある
  • 天道:悩みや苦労がない世界でも極楽浄土ではない             

2025年11月18日火曜日

チョイと冷えてきた

午後からはチョイと冷えてパラパラと小雨も見られた。

明日からは気温もぐっと下がり、いよいよ冬がやってくるようだ。

最近は毎日のように大相撲中継を観ているのだが、次の取り組みを担当する行司が座っている後ろあたりに、毎日必ず映っている着物姿の女性がいる。

気になったのでネット検索してみると、(ウソかかマコトか分からないが)件の女性は東京在住であり、現在相撲が行なわれている九州場所十五日間のチケットを用意しているそうだ。

うーん、凄いなあ。

 


2025年11月17日月曜日

小麦饅頭

先日、富士の「古典講座」の折に、講座を聴講していた方から「小麦饅頭」という饅頭を頂いた。

「近所のお店で購入したものです」ということであったのだが、このお店どうも「小麦饅頭専門店」のようだ。

イマドキ「小麦饅頭(中身の餡はいろいろあるようだが)」一本で営業しているなんて、何となく尊敬してしまうのです。
 

2025年11月16日日曜日

狩り

今日も天気が良かったので「紅葉狩り」に出かける。

今日の「狩り」は二の岡神社であった。

途中一日遅れの「七五三」(一日遅れだろうと三日遅れだろうと、そんなことはどうでも良いのだが、兎も角「七五三」の「お祓い」をしてきただろう)グループに出会った。

二の岡神社というのは、御殿場でも由緒ある神社であり、何でも本殿の配置が、全国的にも珍しい参道を上がって右の配置だという。
 

2025年11月15日土曜日

せねばならぬこと

今年度最後の富士文庫での古典講座、十里木を越して行く富士までの道のりは遠いが、今日は綺麗な紅葉を観させてもらった。

この講座の終了により、ワタシの本年度「せねばならぬこと」は概ね終了なのである。

なかなかシンドカッタなあ。




 

2025年11月14日金曜日

紅葉

朝起きると晴天、運よく今日は休業日ということで「富士霊園」まで紅葉を撮りに行ってみた。

ワタシの好きな紅葉はグラデーションの入った紅葉である。

青から黄色そして赤と、モミジの葉が変化していく状態が、一本の木で表現されていれば申し分ないのである。

今日の「富士霊園」は丁度そのようなタイミングであったような気がする。

(写真をクリックして大きくして見て頂きたい。)
 

2025年11月13日木曜日

急に寒くなる。

今日は急に寒くなる。

暑いときは暑いことで文句を言うが、寒くなれ寒くなったことで文句を言う、これが我が儘な生き物、人間なのです。

二年生のクラスに行くと、生徒が「沖縄研修旅行」の御土産を渡してくれた。
何はともあれ、御土産とは嬉しいものである。


 

2025年11月12日水曜日

チグハグ

何となくチグハグな一日であった。

何がチグハグかという具体的な例は挙げられないのであるが、強いて言えば予定したことが予定通りに行かず、不完全燃焼であり、イライラが募る一日であったのだ。

こんな日は、「こんな日もあるのだ」と諦めてオトナシクしているしかないのである。
 

2025年11月11日火曜日

カキフライ弁当

昼にどうしても カキフライ弁当が食べたくなって買ってきた。

やはり、この時期はカキフライなのである。

不思議なことに、今は大好きなカキフライであるが、子供のころはむしろ大嫌いであって、あのグシャッとした食感がナントも嫌で、ひたすら食べるのを拒否していたことを思い出す。

人間の好みというのは、時によって極端に変化するものである。

2025年11月10日月曜日

フェイク

日が暮れる時刻がだいぶ早くなってきた。現在四時五十分であるが、外はもう暗いのです。

最近、生成AIで作られた「クマ」のフェイク動画が話題となっているのだが、技術だけが先走って、そこに倫理観が伴なっていないことが危惧される。

そこには「面白ければそれで良い」という風潮もあるのだろうが、これは何とかならないものだろうか。
 

2025年11月9日日曜日

自然の理

雨降りでもあったため、一日をほぼ家の中で過ごす。今日の雨は冷たい雨、いよいよ今年も冬がやって来たか。

最近よく思うのだが、子供というのは成長ペースが速く、ひと月会わないでいると「出来なかったことが出来るようになっている」。

一方年寄りは退行ペースが速く、ひと月経つと「出来たことが出来なくなっている」のである。

これが自然の理なのであろう。


 

2025年11月8日土曜日

どのような差?

富士文庫で第二回の古典講座。

前回は聴講者の方が実にオトナシク、ややヤリニクイ講義であったが、今回はそれなりにニギヤカであり、とてもやり易かった。

いったい、前回と今回にはどのような差があったのだろうか。

十里木街道は紅葉が始まっており、富士までのドライブは快適、快適。



 

2025年11月7日金曜日

極楽

朝から晴れ、ということで久しぶりに「秋桜」を撮りに行ってみた。

ワタシにとっての「秋桜」の聖地は裾野の「ヘルシーパーク」である。「ヘルシーパーク」とは日帰り温泉の施設であり、施設の隣に観光用の「秋桜」畑を作っているのだ。

もう十一月であり、「秋桜」のピークは過ぎてしまっていたのだが、今年の夏が異常な温度であったためか、「秋桜」はまだ少しだけ見ることができたのである。

今日のワタシは写真を撮ったあと、日帰り温泉にどっぷりと浸かり、そのあとは「あぶらや」という蕎麦屋に寄って蕎麦を堪能したのである。

おおー、極楽・極楽。

(写真は今日撮った「秋桜」)
 

2025年11月6日木曜日

同じ感性

今回の写真展に我が家の「雛人形」、左の写真を登場させたのだが、この写真とよく似た写真があることが分かった。

その写真というのが、サザンオールスターズのアルバム「THANK YOU SO MUCH]」のジャケット写真である。

断っておくが、ワタシがこの写真を撮ったのは、もう三年以上前なので真似をしたわけではない。恐らく、二つの写真の「ネライ」は同じところだと思われるが、ひとつ言えることは、日本の伝統的な人形の質の高さを狙っていることである。

その顔は見る角度によって、微笑んだり、悲しんだり、怒ったり、表情が変わってくる。



よく能に使用される能面を例に出して、面の表情の豊かさを挙げるが、日本の伝統的な人形も同じことが言えるのである。

それにしても、写真の感性がよく似ているので、いつかこのカメラマンと話をしてみたいものだ。






 

2025年11月5日水曜日

ノータッチエース

今日は四人ギリギリでの水曜テニス、常にダブルスでプレイしているワレワレであるゆえ、人数が四人ということは、最初から最後まで休みなしのテニスということなのである。

肩の方は痛みはあるものの、やっと強いサーブが打てるようになった。

自分で自分を褒めて良いなら、本日の締めくくりは「ノータッチエース」二本だったのである。

エッヘン。

(写真は今回の写真展にも展示した桂の葉である。)
 

2025年11月4日火曜日

気持ちの良い天気だ

T高校は二年生が修学旅行ということで、一学年の生徒が抜けた校舎はいつもより静かであった。

このところ「如何にも秋」といった天気が続いている。このまま寒い冬がやって来ない状態が続くといいのだが、まあそんなことは無理であろう。

写真は、今回の写真展で案内状にも使用した群馬県水沢観音の「千手観音」である。境内に置かれていたレリーフのような石仏なので、それほど由緒などはないのであろうが、何となく心が惹かれた仏像なのである。



 

2025年11月3日月曜日

病は気から

久し振りの連休で、身体がやや楽になったような気がする。

十月の土曜・日曜・祭日は朝から晩まで沼津の写真展会場に待機、これが結構疲れの原因となったのであろう。肉体的にはあまり消耗はしていないはずなのだが、気持ちが疲れ、しいては肉体的な疲れに繋がっていったような気がする。

「病は気から」なのである。


 

2025年11月2日日曜日

富士の古典講座

昨日は富士市の「富士文庫」という図書館で、「古典講座」を開講、全三回の講座である。

講義すること自体、それ程の疲れは感じないのであるが、何と言っても、御殿場から十里木街道という標高千メートル近い道を通って富士まで行くことがツライ。

かつては気持ちの良いドライブであったのだが、やはりジジイにとってクネクネした山道ドライブは、結構コタエルのである。

さて、先週の日曜日でワタシの写真展(最近は写真展というよりも、写真に添えた文章とのワンセット展示に重きを置いているのである)が終了、よってこのイヴェントの総括をしなければならないのであるが、今のところまだ心に余裕がないゆえ、アラタメテすることにした。

(写真は展覧会でも展示した千手観音。)
 

2025年11月1日土曜日

My Favorite Things

My   Favorite Things


この曲はミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中に登場する曲であり、邦題は「私のお気に入り」となっている。親しみやすいメロディーはジャズにおいてもスタンダードナンバーとして数多くのミュジシャンが演奏している。               因みにワタシの「お気に入り」は、ジョン・コルトレーンがソプラノサックスで吹く「マイ・フェイヴァリット・シングス」である。

さて、写真の方は「コスモス」であるのだが、「コスモス」はワタシにとって「欠くことの出来ない素材」であり、烏滸がましい言い方をすれば「私のお気に入り」で、ほぼ毎年展示させてもらっている。     

 今年は今までとは異なったテイストにしてみたが、何回、何百回撮っても難しいのが、「コスモス」の花なのである。

 

2025年10月31日金曜日

Lotus Blossm

                                             Louts  Blossm

「Louts Blossom」は、「A列車で行こう」などを作曲したビリー・ストレイホーンの作品であるが、特に有名な演奏は、トランぺッター、ケニー・ドーハムのアルバム「静かなるケニー」に収録されているウォームなトランペットの音色と、静謐で美しい旋律が印象的な演奏である。


「桜」の英語表現が「cherry blossom」であるように、「Louts Blossom」は「蓮」、つまり「蓮の花」を意味するという。また、「蓮」とよく似た花に「睡蓮(スイレン)」があるが、その違いは花茎を伸ばして高い位置で花を咲かせるのが「蓮」、水面上で花を咲かせるのが「睡蓮」ということだ。 

実は2020年にもこの写真展において「蓮の花」を展示したのであるが、前回とは異なる「蓮の花」を楽しんでいただきたい。


 

2025年10月30日木曜日

Swing Swang Swingin′



Swing Swang Swingin


このタイトルは曲名ではなく、アルバムに付けられた云わば「アルバムタイトル」である。音楽プロデューサーであり、レコードレーベル「ブルーノート」の創設者でもあるアルレッド・ライオンは、アルバム名について言う。「彼らはやって来て、スイングし、そして別れた。ただそれだけ。だからこのアルバムを『スイング、スワング、スインギン』にした」。

リーダーのジャッキー・マクリーンというアルトサックス奏者は、実に不思議なプレイヤーで、「ピッチ(音程)のズレ、くすんだ感じの音色、スムースとは言い難い詰まった感じのフレージングが特徴だ」とある評論家。それでも多くのジャズファンに支持されたのが彼、大事なのはピッチを超えた何かなのだ。 

写真は楽器を演奏する高校生たち、彼らも高校生活を十分にスイングしていたのである。


本日は午後から授業の日なので、午前中のブログ作成。

 

2025年10月29日水曜日

So What

今回は、三枚組のうち一枚だけをこのブログに載せているのであるが、それではチョイと説明不足になってしまうものもある。

まあ、でもそれは他の二枚を想像してもらう、という点においては、それはそれで良いのかも知れぬのである。(こちらの勝手な理屈ではあるのだが。)


So What

 

「so what」は、マイルス・デイヴィスの歴史的名盤「Kind of Blue」に収録されているマイルス自身によって作曲されたものである。

ワタシは英語の専門家ではないのでいい加減なことは言えないが、「so what」というフレーズは、「誰も気にしないさ」とか「どうでもいいさ」、あるいは「それがどうした?」となるようである。

「それがどうした?」普段から強い物言いが多く、帝王と言われたトランぺッターマイルス・デイヴィスが、如何にも言いそうなフレーズでもある。

写真は、御殿場「二の岡神社」の国旗を掲げるためのポールだ。「こんなものを写真に撮るのか?」と言われた時にワタシは答えるのである。

「それがどうした?」。おおーまた言ってしまった。



 

2025年10月28日火曜日

「Don’t It Make My Brown Eyes Blue」

 さすがのワタシも(流石でもナンデもないのだが)昨日は疲れ果ててしまい、テレビニュースを見ているうちに寝落ちしてしまっていた。

やはり、この休みのない一周間は、ジジイにはキツイ一周間だったのです。

「Don’t It Make My Brown Eyes Blue」


長い曲名だが、カントリーで出発したクリスタル・ゲイルがジャズ色を入れたバラードである。

英訳はたぶん「私の茶色い瞳がブルーに染まる」であるのだろうが、歌詞をみると「あなたが去ってしまうことを考えると、私の茶色い瞳が哀しいブルーに変わってしまうのよ。わからない?」という意味合いらしい。

 

写真をヒツジにしたワケは、ヒツジの目をよく見ると、何となくブラウンに見えたからである。    何年か前、札幌にある「丸山動物園」のヒツジを撮った。北海道名物ジンギスカンにされる心配のないヒツジたちは、みな呑気にワラを食んでいた。


2025年10月27日月曜日

「Autum Leavs」

「Autum Leavs」

 枯葉の原曲はシャンソンであり、1945年、ハンガリー出身でフランスで音楽家として活躍したジョゼフ・コズマによって作曲された(原題はLes feuilles motes)。そしてこの曲が1949年アメリカに持ち込まれた際、英語の詞が付けられAutum Leaves」となった。ワタシの好きな「枯葉」はウィントン・ケリーの「枯葉」であるが、「スウィングする8分音符」と「バッキングの妙を極めた」と言われる彼のピアノ演奏は何はともあれ、抜群なのである。

 

枯葉は「絵になる素材」、いや「写真になる素材」であるので、毎年何枚も撮るのだが「これは」というものはなかなか出て来ない。今回は久しぶりに気入った枯葉(一部は紅葉)があったので出してみた。