そもそも北海道という所はクーラーの必要ないところであった、それがここ数年の暑さで、今年はクーラーの需要に供給が追い付いていないのが、現状であると言う。
冬しか(冬の北海道はもう40回以上経験している)行くことのなかったワタシとしては、夏の北海道はあまり実感がなかったのであるが、これが今の北海道なのだ。
そう言えば我らが御殿場でも、かつてはクーラーの必要性などあまり感じていなかったのですがね。
そもそも北海道という所はクーラーの必要ないところであった、それがここ数年の暑さで、今年はクーラーの需要に供給が追い付いていないのが、現状であると言う。
冬しか(冬の北海道はもう40回以上経験している)行くことのなかったワタシとしては、夏の北海道はあまり実感がなかったのであるが、これが今の北海道なのだ。
そう言えば我らが御殿場でも、かつてはクーラーの必要性などあまり感じていなかったのですがね。
北海道で40℃ですぞ。
ネット検索をしたところ、北海道の過去の最高気温は、2014年に十勝の音更町で観測された37.8℃だというのだから、これは驚きの高温である。
やはり、地球はオカシクなってしまったのだろうか。
このところ、雨天だったりメンバー不足だったり、まともにテニスをすることが出来なかったのであるが、今日は漸く身体を動かすことができた。
しかしながら、今日は晴天、炎天下のテニスコートはジジイにとって、一歩間違えると死の危険がある場所でもあるのだ。
と言うワケで、今日は正味一時間半のプレイであったのです。
ヘビメタのロックバンド「ブラックサバス」のボーカル、オジー・オズボーンが亡くなった。「ブラックサバス」と言えば、学生時代に何だかすげえ名前のバンドだなあ、と思った記憶がある。
なんてって、ファーストアルバムが「ブラックサバス=黒い安息日」、セカンドアルバムが「パラノイド」なのだから。
例年九月に実施していた講座であるが、ここ数年の暑さゆえ、今年は十一月にスライドすることとなった。
十一月ともなると、富士に行くために通過しなければならない十里木街道が凍結する可能性があったので、今まで避けていたのだが、今年は十一月十五日が最終日となるので、多分大丈夫だろうとの判断をしたからである。
因みに今日の十里木街道は、途中の温度表示を見ると、二十五℃だったのです。
御殿場でも三十℃を超しているのに、さすがですなあ。
人によっては、彼の演奏をいつもピッチが怪しく、そこが彼の魅力だと言い、さらにピッチが云々というクラシック的な価値観をジャズという異なる音楽の文脈に持ち込んでも、それは論じること自体がナンセンスだと言う。
彼にとってジャズとは、「スイングしなけりゃ意味ないね」なのである。
さあ、今日は暑いので、ジャッキー・マクリーンのアルバム「スイング・スワング・スインギン」でも聴くことにしよう。
このような暑い時に聴講者の皆さま、ご苦労さまでした。
いつも三月に開催している講座を七月に変更して実施したわけだが、やはり七月の暑い時期の講座は、いくら御殿場といってもやはりツライのである。
取り敢えず終わって「ホッ」である。
しかしながら、最近はスマホで写真を撮ると、撮った花の名前を教えてくれるという便利なアプリがあり、そのアプリによると、この花の名前は「コムラサキ」らしい。
当たっているのかどうか不安であるが、今日は「コムラサキ」ということにしよう。
番組のはじめには「知恩院」の巨大な山門が登場する、実は山門は三門とも表記するのであるが、ワタシ自身「三」の意味についてここで初めて知ることが出来た。。
「三」とは仏教でいうところの「空」「無相」「無願」を意味(諸説あるらしいが)しているのだと。
すなわち、悟りに至るために通過しなければならない三つの関門、「空=物事にこだわらない」「無相=見かけで差別しない」「無願=欲望のまま求めない」ことである。
何はともあれ「知恩院」に参拝するために、ワレワレはまずこの「三門」の下を通らなければならないのである。
晴れたかと思うと雨、雨かと思うと晴れ、朝から何だか訳の分からん気象状況であった。
また、その雨の強さが尋常ではないため、窓を開けたり閉めたり、これも何だか訳が分からないのであった。
ここに来てこんなに気象に悩まされるとは。
そして今日からワタシは夏休み、夏休みと言っても、この歳になれば普段から休んでいる日も多く、特段の「休み感」もないのであるが、授業がないということは精神的には随分楽である。
学期末テスト(どうでもいいことだが、今年からは一学期総合考査ということである)が終わり、答案返却が終わっている今日であり、言ってみれば消化試合のような時間であったのだが、生徒諸君はワタシが提供した演習問題を一生懸命にやっていた。
感心・感心である。
相変わらず「詐欺メール」と思われるメールがパソコンやらスマホに数多く入ってくる。
毎日、毎日削除はしているのだが、キリがないし鬱陶しいのである。
やはり、これはナントか出来るものがナントかすべきものだろうに。
今日の講義は「古本説話集」の中から「平中が事」という、いわゆる「色好み」の男、平貞文(たいらのさだふん)の話である。
「色好み」とは、今でいう「好色な男」という意味ではなく、「恋愛の情趣を解する男」の意味である。
話はこの恋愛に命をかけているプレイボーイが、浮気性ゆえ自分の妻からこっぴどいお灸をすえられる話だ。
話の内容も分かりやすく、聴講の皆さんも納得のいく時間を過ごすことが出来たのではなかろうか。
今日は「注意」の「注」について、ハタと気がついた。
「注」は「そそぐ」ことである。したがって、「注意」とは「意」を「そそぐ」ことだ。では「そそぐ」とは何だ。「そそぐ」とは「水をそそぐ」のように「流しこむ」ことである。では「注意」とは「意を流しこむ」ことか?
いやいや「意を流しこむ」ではチョイと変だ。
慌てて辞書を引いてみると、「心血をそそぐ」のように「そそぐ」には「傾ける」とか「向ける」の意もある。これでやっと腑に落ちた。「注意」とは「意(気持ち)を向ける」ことなのだ。
今日もその例にもれず、夕方五時前から急に雨降りなのです。
テスト返却最後のクラス有、これですべて返却を終えたので、まずは一段落である。
それにしても何だかんだと学期末は忙しいのです。
とても美味しいおむすびなのだが、パッケージには「うなぎのタレ使用 (うなぎは入っておりません)」と表記されている。
おおー、流石に128円ではウナギは入っていないだろうと思うのだが、それでも尚且つ「入っておいません」とあらためて表記しているところに、ワタシは何故か感動したのである。
前回が先週の火曜日であったので、一周間ぶりだ。
久しぶりに下界に行くと、やはり下界は暑いのです。ニュースでも連日「猛暑、猛暑」と連呼していることも、精神的な暑さに繋がっているような気もする。
せめて写真だけでも涼しい写真にしようっと。
ワレワレの住んでいる静岡県も「東海地方」に入るのだが、「北陸地方」に新潟県が入るのと同様、何か違和感のようなものもある。
「東海」には「東海三県」、すなわち愛知県、岐阜県、三重県を表す言い方があるが、そこにもうひとつ静岡県も加えて「東海四県」という言い方もあるのだ。
きっと、どこかの何かが「都合よく」するために「三県」となったり、「四県」となったりするのだろう。
一瞬、何事だろうと思ったのだが、
ひょっとすると、アメリカに滞在しているMさんが、一気見でもしてくれたのだろうか。
午後は激しい雨とかッとした晴天の繰り返しが何度かあった。
やはり、御殿場地方は「高原特有」の天気なのです。
本来ならば来年の三月に初回を実施するのであるが、今年度は新図書館の開設に伴い、三月実施が不可能のため七月の開講となったのである。
暑い(特に今年は暑い)中での講座であったが、多くの方に参加していただき、聴講者の皆さんには感謝である。
明日からは晴天の日がしばらく続きそうなのだが、晴れれば晴れたで困るのが、予想される猛暑だ。
よって、老人にとって、晴れれば良いというものではないのです。
これからは毎日熱中症に注意しなければならないのである。
一体、これは何だと近くに寄ってみると、これは「ヒメボタル」の鑑賞者に対する注意情報であった。
右の写真では分かりにくいのだが、ここには蛍の出現情報も書かれている。
情報に曰く。(写真をクリックすると拡大されます。)
七月二日の出現は午後十時ころ、場所は竹林と書かれている。
蛍鑑賞のために、夜十時に竹林に入って行く人がいるのですなあ。
現金でもカードでもなく、あるいはスマホ決済でもでもない、自分の「顔」で決済の出来るスーパーマーケットが有るとか無いとか。
これは実に便利だろうなあ。
財布も携帯も持たず、自分の顔だけ持って行けば買い物が出来るのだ。
特に大事なものを忘れるワタシのような人間は、極めて便利である。
記念館の職員さんとはもう十年以上の付き合いになるので、お顔を拝見すると何かホッとした気持ちになるのです。
もうすぐ夏休み、考えてみるに夏休みの間に作品の整理や案内状の作成と発送の準備をせねばならない。
もうウカウカしてはいられないぞ。
明日から期末試験(今年からは期末試験とは云わず「総合考査」ということななったようだ。)が始まる。
昨年までやっていた中間試験が無くなったので、生徒にとっては「一発勝負」なのだが「本当に大丈夫なのだろうか」という危惧が出てくるのである。
年寄りの「真夏のテニス」は、危険を伴うためなかなか難しいのです。テニスと言えば「真夏のスポーツ」だったのですがね。
七月の初旬は学期末テスト、そしてそれに伴う「学期評価」、さらに御殿場市の「古典講座」と、ワタシにとっては忙しい時期を迎えるのです。
驚くべきは「ニセクロホシテントウゴミムシダマシ」と名がついていたムシ。
丸っこいテントウムシのような体に、黒い紋が入っているゴミムシダマシ、で似ている昆虫に「クロホシテントウゴミムシダマシ」がいるが、胸部の模様で区別することができるのだと。
「クロホシテントウゴミムシダマシ」がどのようなムシか理解していないワタシにとっては、頭に「ニセ」が付こうが付くまいが、どうでもいいことなのだが。
「現在、アジサイの生育状況が芳しくなく、見頃を迎えることが難しいため今年はアジサイロードの開放を見送ることに決定しました。」
うーん、ガックシである。
やはり、昨今の異常気象はこんなところまで影響を与えているのだ。
(写真は昨年撮ったアジサイである。)
今年は先週「秩父宮記念公園」まで様子を見に出かけたのであるが、まだ早かったようで、出直すことにした。
「秩父宮記念公園」には紫陽花ロードというのがあって、花の咲くころには結構な人出である。
次の休みには行ってみようかしら。
味は勿論なのだが、十七センチ四方の正方形の箱に、規則正しく並んでいるその姿は実に美しかった。
しかしながら、ワタシがより惹かれたのは、箱の上に貼られていたシールのデザインである。
シンプルだがインパクトのあるデザインはブラボーなのである。
なんでも養殖ウナギの稚魚というのは、ストレスを受けると「オス」になるそうだ。(生まれた時には性別はまだ決定していないのですね。)
何故「オス」になるのかまでは言及していなかったが、今のところ養殖ウナギは「オス」の方が圧倒的に多いのだとか。
一体、ウナギの「オス」はどんなストレスを受けていたのだろうか。
さて、明日からはナント台風に対する注意が必要ということである。
先週には考えもしなかったことだ。
まったく、イマドキの天気は難解なのである。
今日も高原御殿場は湿度が低く快適である。(冬寒いのだからこのくらいの恩恵は当然なのだ。)
さて、こんな日の午後はジャズでピアノトリオだと、ビル・エヴァンスの「THE BILL EVANS ALBUM]を聴く。けっして名盤と言われるものではないが、心地がよい。
これは1971年に録音されたCBS移籍後のファーストアルバムであるのだが、ベースがエディ・ゴメス、ドラムはマーティ・モレルという、かつて生で聴いたことのあるトリオでもある。
1960年代に世界中のジャズ・ピアニストにもっとも大きな影響を与えたビル・エヴァンス、その油ののった演奏を、50年以上経った今日聴くことが出来る幸せ・・・なのである。
ここは、(たぶんチェーン店だと思うのだが)一度店まで行って予約をし、指定された時間(およその時間)にもう一度店を訪れるといったシステムなので、無駄な待ち時間がなくて助かるのである。
さあ、これで猛暑を迎える準備がができたぞ。
涼しいところから暑い所への移動は、それだけで何か気が重くなる。
ただし、授業自体はやっていて気分がよく、これは偏(ひとえ)に気分よくやらせてくれる良い子たちのお陰だと、感謝する次第なのである。
特に愛鷹のコートは日差しを避ける場所がほとんどなく、常にコートの上の灼熱状態の場所に居なければならない。
今日の夕方のニュースでは、全国的に「熱中症」の患者が増え、中には亡くなった方もいるということを告げていた。
老人集団(ほとんどが後期高齢者)であるワレワレの集団は特に注意なのである。
(写真の花は先週撮った「ムラサキツユクサ」)
六月の中旬なのに全国的に「猛暑日」の地点が多く見られるのだ。(全国一は甲府の38.2℃だということである。)
幸いなことに我が御殿場は気温が30℃に届かず、チョイと暑いかな程度なのだが、先が思いヤラレル今年の夏である。
明日は水曜テニス、老人は特に注意だ。
歳を取ると、暑さにたいしての身体の順応が鈍く、馴れないまま戻ってくると身体の方は何が何だかわからなくなってくるのです。
チョイと前まではこんなことは思ってもいなかったのだが、これが現実だ。
これからは「御殿場の天下」ですな。
右の写真は、昨日「秩父宮記念公園」で撮ったバラである、「花海棠(はなかいどう)」にもよく似ているが「秩父宮記念公園」のバラ園にあったので、たぶんバラなのだろう。
ただ、「花海棠」も中国原産のバラ科の植物らしいので、本当は何なのかワタシにもよく分からないのである。
さて、今「咲き乱れる」と書いたが、「咲くこと」に関してもう一つの似た表現に「咲き誇る」というのがある。
早速ネット検索をしてみると、「咲き乱れる」とは「たくさんの花が一面に咲いている様子」、一方「咲き誇る」のは一輪であっても複数であっても「周囲を圧倒するほどの存在感のある花が咲いている様子」だという。
つまり、威圧感があるのが「咲き誇る」、ないのが「咲き乱れる」ということだ。
記念公園のバラは威圧感はなかったなあ。
そろそろ紫陽花かと思って出かけたのだが、「紫陽花の花」は、まだほとんど咲いておらず、目についたのが「ドクダミの花」であった。
「ドクダミの花」を見ると思い出すのが、北原白秋の歌 である。
静岡県の軽井沢である御殿場は、これから素晴らしい季節となるのである。冬寒いのだから、このくらいの恩恵はないとね。
ここのところ、「深夜にネットサーフィン」を続けている。
家族が寝静まってからヘッドホンを耳にあててジャズを聴く、これですなあ。
この先、土曜日、日曜日までは雨降りの予想が出ているが、なんと来週の火曜日以降は、三十℃超えの真夏日が続くということである。
ちょっと前に「梅雨入り」だと言っていたのに、やはり異常気象はこれからもずっと続くのだろうか。
すべての若者がそうではなかろうが、極端な例として、結婚式場での「三十分結婚式」というプランがあって、金額も七万円程度で行なうことが出来るらしい。
当然、披露宴の食事などは省略されるのだろうが、良い悪いは別として「とうとうここまで来たか」である。
一日をほぼ「無駄な時間」で過ごしているワタシなんぞ、これから一体どうしたらいいのだろう。
蜂のように刺されることはないと判断して行なった動作なのだが、生徒にしてみれば「有り得ない」行動だったのだろう。
イマドキの若者は虫も触れないのか?
雨は降らないと困るが、降り過ぎても困る、実にやっかいなもののようだ。
六月は「水無月」と書くが、雨が多く「水」があるはずなのに「水」の「無い月」と書くのはこれ如何に。
「水無月」語源の有力な説は、「無」の字は助詞であり、「~の」という意味だという説である。したがって「水無月」は「水の月」、つまり「水が豊富にある月」となるのである。
なるほどね。
この暑さは夏なのである。
暑くはあるが、暑いことを覚悟して空き家になっている沼津の実家まで、草取りに出かける。
あまり草茫々となって、近所から苦情でも出たら困るからだ。
しかしながら、暑い時期の草取りはやりシンドイなあ。