毎月、月の終わりを「晦日(みそか)」と言うが、その一番最後の「晦日」なので、強調して「大晦日」なのであろう。
「晦日」とは「三十日(みそか)」から来ており、古典では「月が籠る」ということから「つごもり」とも言う。したがって、古典では「大晦日」のことを「大つごもり」と言う。
ところで、今の暦ではひと月が三十一日のこともあり、必ずしも「三十日(みそか)」ではないのだが、明治六年に日本が太陽暦になって三十一日が登場した時にも「三十日(みそか)」という言葉は消えずに残り、今に至ったようである。
毎月、月の終わりを「晦日(みそか)」と言うが、その一番最後の「晦日」なので、強調して「大晦日」なのであろう。
「晦日」とは「三十日(みそか)」から来ており、古典では「月が籠る」ということから「つごもり」とも言う。したがって、古典では「大晦日」のことを「大つごもり」と言う。
ところで、今の暦ではひと月が三十一日のこともあり、必ずしも「三十日(みそか)」ではないのだが、明治六年に日本が太陽暦になって三十一日が登場した時にも「三十日(みそか)」という言葉は消えずに残り、今に至ったようである。
境内には写真のような「紙垂(しで)」の付いた縄が置かれていた。
おそらく明日の大晦日に使用するためのものなのであろうが、何か捨てられているような雰囲気もあって、なかなか面白かった。
いよいよ明日で令和七年も暮れる。
「男のイタリアン スエゾウ」というチョイと変わった店名であるのだが、美味しいものを少しずつ食べさせてくれるアリガタイ店なのである。
「モミジバフウ」はフウ科フウ属の落葉高木で、高さは15~16メートルほど、ただし原産地では45メートルの巨木になるものもあるというから驚きだ。
葉が「カエデ」に似ていることから「モミジバフウ」となったようだ。
今シーズン初めての雪である。
かつて勤務していた高校の同窓会の知らせが封書できたのだが、その出欠をQRコードで求めてきた。
一応、出欠の返事をしたのだが、それが受け付けられたのかどうかが、どうも分からない。
封書には連絡先の電話番号も書かれておらず、確認はメールでとある。
メールが届いたかどうか、メールで確認しろとは何かおかしくはないかと、憤慨するワタシであった。
今回の北海道旅行で札幌市南区にある「滝野霊園」というところに行ってみた。
札幌駅から地下鉄南北線に乗って終点の「真駒内」まで、さらにそこからバスに乗ること三十分弱、滝野峠で下車すると、突然写真のようなモアイ像が出迎えてくれる。
モアイ像と言えばイースター島、行ったことはないが恐らく雪とは無縁のところではないだろうか。
何か「異世界」を感じる風景であった。
今日はクリスマスイブゆえ、それらしい写真をと、札幌の大通公園イルミネーションを載せてみた。
投影された明かりの周りを、女の子がぴょんぴょん跳ねているのである。
タイミング的には今がちょうど良いのか、次のようなメールが送られてきた。
ワタシは宝くじなど買わないし、公式サイトなど利用したことがないのにメールには「日頃の愛顧に感謝を込めて」とある。
まあ、感謝してくれるなら感謝してもらうことにしよう。
以下、メール内容。
日頃のご愛顧に感謝を込めて
いつも宝くじ公式サイトをご利用いただき、誠にありがとうございます。
ただいま特別キャンペーンを期間限定で開催中です。
■ プレゼント内容:
ハロウィンジャンボ宝くじ 22枚(連番11枚+バラ11枚)
価格:6,600円相当
■ 対象者: 宝くじ公式サイト会員
■ 応募期限: このメール受信から 3日以内
キャンペーンの詳細は以下よりご確認ください。
本メールは送信専用です。お問い合わせは公式サイトよりお願いいたします。
© 2025 宝くじ公式サイト All rights reserved.
物語は幕藩体制が終わり、社会が動揺した明治初期が舞台であるのだが、「怪談」の内容はさておき、この話は少々哀しく、また滑稽な話でもある。
その原因は社会の急速な近代化と、それに取り残された人々がいたという当時の時代背景なのだが、考えてみると「令和」に生きるジジイであるワタシなんぞも、急速に発達したデジタル化に「哀しく滑稽な」生活を送っているのかもしれない。
今では小学生あたりからスマホやタブレットを使用しており、これは当然の成り行きなのであろうが、先行きが実に心配である。
一方で、銀行のATMやスーパーのオートレジの前で狼狽えている(ワタシを含めた)老人のなんと多いことか。
これもまた心配なのである。
さて、日和は持って来いの日和であったのだが、そこは老人テニス、カウントはよく忘れるし、へたをすると一休みした後に自分のラケットが行方不明になってしまうこともあるのです。
こんな調子でこれから先、どこまでプレイすることができるのでしょうかね。
ひとつは銀行に行って通帳への記帳、そしてもうひとつは「カメさんカード」の更新である。「カメさんカード」というのは、65歳以上の老人?が毎月6の付く日には商品が一割引きとなる老人にはアリガタイ?カードである。
とは言え、これは大企業の老人に「物を買わせよう」という戦略のひとつなのでしょうがね。
昨日、最初の教員生活を務めた学校(定時制)の同窓会があった。
云わば、最初に担任した生徒たちと会ったのだが、何と一番若い生徒?で、現在63歳である。
もうそれぞれお孫ちゃんがいて、何かと孫のことが話題になっていた。生徒と自分の孫のことを話すのも何だか妙な気持なのである。
要は、これから便を変更するかキャンセルかを選べということなのだ。
イヤハヤ九月から準備をしてきて、ここでこれかよ、と落ち込んだのであるが、今朝一番に航空会社に連絡を取ったところ、何とかANAの方に代替することが出来た。
飛行機というのは、こんなこともあるのです。
さらに昼の情報番組を観ていると、今日の北海道の札幌は-5.3℃だという。今年も年末の北海道行きを予定しているのだが、平地でマイナスの温度はジジイには少々コタエルだろうなあ。
かつてスキー中心の北海道ではマイナス温度など、まったく気にしていなかったですがね。
購入後まだ五年ほどのテレビジョンが急に壊れてしまった。映像が映らない状態となってしまったのである。
購入したメーカーに問い合わせると、いかにもそれ専用(苦情専用)に訓練された中年女性が出てきて、「その状態では基盤ごと交換しないとだめです」とのたまう。
そして基盤の値段を聞くと、なんと購入したテレビとほぼ変わらない金額を告げた。
ナント言うことだろう。これが今のメーカーの姿勢なのだろうか。プンプンなのである。
テニスは自分の健康バロメーターのような気がする。
身体の調子が落ちている時は、プレイ後に身体のあちらこちらが痛く、逆に上向いている時は身体の痛みがほとんどない。
で、今日はと言うと「やや痛」、それほど調子は良くないが悪くもないと言ったところか。
さて、ネット検索によると
ウスベニタチアオイのエキスと蜂蜜を混ぜたのど飴から、19世紀フランスの菓子職人が砂糖を加えて菓子として完成させた。これは植物エキスの粘りを利用したものだったが、19世紀後半にはゼラチンと泡立てた卵白の粘りで代用する現在のかたちに変化している。
日本においては、1892年に風月堂が初めてマシュマロを販売、その際に「真珠麿」の漢字が当てられたと当時の新聞で報じられている。しかし、1887年(明治20年)創業の岡山県の下山松壽軒(つるの玉子本舗)が創業と同時に日本初のマシュマロ菓子「つるの玉子」を発売したとする説もある。
とあった。
ふーん、「真珠麿」かあ。
「すさまじきもの」とは現代語でいうところの「唖然とすること」とは異なり、「興ざめな心情」を表す言葉である。
また、「不調和なもの」とか「期待外れで不快な気持ち」を表している。
さて、件の「すさまじきもの」では最初に「昼ほゆる犬」とある。
おそらく当時は「夜の泥棒対策」として犬を飼っていたのだろうが、その犬が昼間からワンワンとウルサク吠えるので、「不快なもの」として挙げているのだろう。
このことが何か現代とよく似ているので、思わずニタリとしてしまった。
昨日情報番組を観ていると、「江戸走り」なる走り方が若者の間で流行っているのだと言っていた。
「江戸走り」とは江戸時代の飛脚の走り方であり、昔流行った「欽ちゃん走り」の変形のような走り方である。
実に妙な走り方であるのだが、飛脚が走った実用的な走り方であり、長距離を走っても疲れない、理にかなった走り方でもあるそうだ。
若者得意の「インスタグラム」で火がついたようだが、この先世の中にどこまで浸透していくのだろうか。
写真は左が来年のカレンダー、右が今年のカレンダーである。特に遠近法を使っているわけではないが、大きさが随分異なる。来年のものはハガキサイズであるのだが、今年はその半分とは言わないがかなり小さい。
去年郵便局で貰った時に、「この大きさは老人泣かせだ。」と郵便局の局長に文句を言った(局長はひょんなことから仲良くなった人だったので)ことをよく覚えている。
そのワタシの声が届いたのかどうかはわからないが、今年は常識的なサイズとなっていたのである。
「テザリング」とは、スマートフォンをモバイルのルーターとして利用し、他のデバイス(パソコンなど)をインターネットに接続する機能だという。
知ったかぶりはするものではありません。
(写真は自宅の紅葉)
なんと商品名は「感動あんぱん(つぶあん)」である。
おそらく、この商品を食べた人は、間違いなく「感動」するだろうというコンセプトで作られた商品名であろうが、どうも「感動」の対象があまり明確ではない。
「パン全体」をもって「感動」するのか、それとも中に入っている「つぶあん」に感動するのか、そこが明確ではないのだ。また「感動」は人に押し付けるものではないような気もする。
と、散々「ケチ」をつけてしまったが、この「あんぱん」は「感動」は別として、確かに美味いのである。
週に一度の運動ゆえ、貴重なテニスであるのだ。
最近チョイと疲れがたまっていたせいか、それともジジイになってしまったせいか、プレイ中にコケてしまい、膝の上をすりむいてしまった。
久し振りの擦り傷である。
ジャズで言うと「ポール・スミス」はピアニストであり、「セシル・マクビー」はベーシストである。
以前、「セシル・マクビー」のことを若い女性と話していたのだが、途中から何か話がかみ合わなくなってきて、よく聞いてみると、ワタシの好きなベーシスト「セシル・マクビー」はファッションブランドにもあることが分かった。
何だか紛らわしいのである。
以前はナンナク積み込んでいたのだが、最近はタイヤを持ち上げるのもツライ。
それだけ筋力が衰えてきたのだろう。
果たしていつまでこの作業をすることが出来るのであろうか。
うーん、歳は取りたくないのである。
さて、帰りも電車でということで沼津駅から電車に乗った。比較的すいていたので空いている座席に座ったのだが、電車が走りだしてから気づいたことがあった。
ワタシの座った席には「優先席」と書かれていたのだ。
「優先席」とは、幼い子供や妊婦、老人が優先的に座ることが出来る席なのだが、果たしてワタシは「老人」に該当するのだろうかと少し悩んでしまったのである。もう少しすると「後期高齢者」となるワタシは立派な「「老人」であるはずなのだが、いざ「優先席」に堂々と座れるかということになると、これがなかなか踏ん切りがつかない。
ワタシは一体何者なんだ。
無茶苦茶な温度差のせいか、はたまたそういう年なのか、何はともあれキレイである。
写真は御殿場の二の岡神社鳥居前のモミジなのだが、ちょうど日が差すタイミングだったので、太陽光によって透けるモミジが撮れた。
秋桜でも紅葉でも透けることにより、発色がよくなり、ワタシ好みの写真が撮れるのである。
結論は「複数存在する」であった。
最近の日本には外国人労働者も多く、当然考えられることでもあったのである。
ちなみに、「ジョナサン」には「ガスト(これもファミリーレストランである)」という名の従業員は在籍しているのかどうかについても調べたようだが、こちらの在籍は認められなかったようだ。
試験中に各クラスを回るのだが、生徒の反応が面白い。
「これはちょっと難しすぎます」とか「ここはバッチリやってきましたよ」とか目でコメントしてくるのである。
これが教師の醍醐味でもあるのですがね。
帰り道に途中から冷たい雨、いよいよ冬が始まるのか。
左の写真の植物の名前はよく分からないのであるが、このような時にはスマホにインストールされている「レンズ」というアプリを活用する。
さて、「レンズ」で調べてみると、「西洋タンポポ」なる名が出てきた。
これはチョイと疑問は残るのであるが、今日は取り敢えず「西洋タンポポ」ということにしておこう。
三限のテスト監督終了後、気温が急に下がってきており、雨も今にも降りそうな雰囲気になってきたので、急いで御殿場まで直帰。
試験監督の折に教室にあった受験雑誌を見ると、「リテラシー」なる用語が盛んに使ってあった。「リテラシー」?
監督後に検索してみると、リテラシー(英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった、とある。
「読解記述力」と表現すれば分かり易いのに、最近は横文字を並べて、わざわざ分かりにくくしているように感じられるなあ。
今日も十一月下旬とは思えない暖かさで、今も暖房器具を使用しない時間を過ごしている。
あの七月から九月までの「異常な暑さ」から一転しての心地よい気候は、これから来るかもしれない「異常な寒さ」の前触れなのであろうか。
大相撲は昨日、安青錦というウクライナから来た青い目の力士の優勝で幕を閉じた。
彼の言動や立ち居振る舞いは、本当に好感が持てる。日本人が忘れてしまった何かを彼は間違いなく持っているのである。
昨日のブログの流れからもう少し写真について述べてみる。
「写真」の「写」の意味は①なぞらえて描く。②もとの形のままに絵を描く、などいくつかの意味があるが、その中に「内にあるものを出し尽くす」の意がある。
また、「写真」の「真」には
①本当のこと、まこと。②本質。とある。
つまり、「写真」という語を少し恰好をつけて言うならば、「内にあるもの(本質)を出し尽くす」のが「写真」なのだ。
そろそろ十月に開催した写真展の総括したいと思う。
芹沢光治良記念館での写真展も十回を越してきたのであるが、ワタシの頭の中には次回の写真展の展示イメージは出来上がっている。何故ならここ数回は展示がパターン化してきており、後は「タイトル決め」さえすれば良いのである。(何だか横柄になってきている自分を感じるなあ。)
というのも、会場には八つの壁面があり、そしてその一つの壁面に展示する作品は各々三作品(スペースからしてそれ以上は無理)である。したがって、まず全体のタイトルを決め、そのタイトルに添った小タイトルの作品を三点ずつ展示するという訳だ。(歳を取るとパターン化ということは大事なことなのです。)
さて、いよいよ肝心な総括であるが、私にとっての写真とは何かを考えてみる。以前ブログにも書いた(1912.2.11)文章を引用すると、このような感じであろうか。
ワタシにとって写真とは「普通のモノを普通に撮る」ことである。従って、「シャッターチャンス」などという言葉はありえない。写真を撮る対象とか、時間が問題なのではなく、写真を撮る自分自身の心が重要なのである。「どのような気持ちで、どのように撮るのか」が私にとっては、最も大事なことなのだ。
素人が偉そうなことを言っているように思えるかもしれないが、今のカメラというのは、技術的なことはほとんどがカバー出来てしまう。写真技術だけに限って言えば、素人でも玄人と遜色ない写真が撮れてしまうのだ。いやらしい言い方をするなら、お金さえかければ、技術的なことはなんでもできてしまうのである。だからこそ、心が大切・・・・・なんですがね。
このような観点からすると、今回の写真展も十年以上経った今でもコンセプトは変わっておらず、自分を褒めてあげたいのである。
ワタシの場合、気に入る写真を撮るのにもっとも大事なものが「光の具合」なのである。
案の定、今日の「秩父宮記念公園」は、、そこそこ紅葉しており、「光の具合」もとても良かったのである。
今回の「富士霊園」のお地蔵様には、真新しい赤い帽子と涎掛けが見られた。
「ものごとには意味がある」
このお地蔵様の帽子とヨダレカケ、そして赤い色にも勿論意味があるのである。
お地蔵様というのは賽の河原をさまよう子供たちを救う役割があり、子供を守る仏としての信仰からヨダレカケや帽子を奉納するのだそうだ。また、色が赤いのは、赤い色には魔除けの効果があるということから。
この歳になると、身体中すべてが順調であり、痛いところなど無い、ということは殆どないのであるが、それにしても今回の腿の筋肉の痛みは長引くのである。
写真は、富士霊園の六地蔵。
六地蔵の「六」の意味は仏教でいう「六道」を指し、人間が陥ってしまった「六つ道」からそれぞれ救ってくれるのが六地蔵なのだそうだ。では「六道」とは何かというとウィキペディアには次の「六道」が挙げられている。
明日からは気温もぐっと下がり、いよいよ冬がやってくるようだ。
最近は毎日のように大相撲中継を観ているのだが、次の取り組みを担当する行司が座っている後ろあたりに、毎日必ず映っている着物姿の女性がいる。
気になったのでネット検索してみると、(ウソかかマコトか分からないが)件の女性は東京在住であり、現在相撲が行なわれている九州場所十五日間のチケットを用意しているそうだ。
うーん、凄いなあ。
「近所のお店で購入したものです」ということであったのだが、このお店どうも「小麦饅頭専門店」のようだ。
イマドキ「小麦饅頭(中身の餡はいろいろあるようだが)」一本で営業しているなんて、何となく尊敬してしまうのです。
今日の「狩り」は二の岡神社であった。
途中一日遅れの「七五三」(一日遅れだろうと三日遅れだろうと、そんなことはどうでも良いのだが、兎も角「七五三」の「お祓い」をしてきただろう)グループに出会った。
二の岡神社というのは、御殿場でも由緒ある神社であり、何でも本殿の配置が、全国的にも珍しい参道を上がって右の配置だという。
この講座の終了により、ワタシの本年度「せねばならぬこと」は概ね終了なのである。
なかなかシンドカッタなあ。
ワタシの好きな紅葉はグラデーションの入った紅葉である。
青から黄色そして赤と、モミジの葉が変化していく状態が、一本の木で表現されていれば申し分ないのである。
今日の「富士霊園」は丁度そのようなタイミングであったような気がする。
(写真をクリックして大きくして見て頂きたい。)
何がチグハグかという具体的な例は挙げられないのであるが、強いて言えば予定したことが予定通りに行かず、不完全燃焼であり、イライラが募る一日であったのだ。
こんな日は、「こんな日もあるのだ」と諦めてオトナシクしているしかないのである。