人の少ない露天風呂は快適である。
この温泉はちょうど行き帰りの通勤コースにあり、重宝しているのです。
良くしたもので、気温が高いと温泉の魅力は半減、ここのところの涼しさにより、温泉に引き付けられているような気もするのである。
(写真はイヌタデ)
人の少ない露天風呂は快適である。
この温泉はちょうど行き帰りの通勤コースにあり、重宝しているのです。
良くしたもので、気温が高いと温泉の魅力は半減、ここのところの涼しさにより、温泉に引き付けられているような気もするのである。
(写真はイヌタデ)
原産地は中国大陸であり、日本ではこれを帰化植物に分類しているという。
秋の彼岸の頃に咲くのでヒガンバナ、地下の球根に強い毒性を有する有毒植物であるが、かつて救荒作物(不作の折の救済作物)として球根のデンプンを毒抜きして食べていたそうだ。
この黄色い花の名は「ショウキズイセン」というらしい。
後ろに「彼岸花」が見られるが、実は「鍾馗水仙(ショウキズイセン)」と水仙の名を持っていながら、ヒガンバナ科ヒガンバナ属に分類される。
花の名前というのは本当に良く分からないのである。
八千円以下で購入したケルヒャーの洗浄機であるが、「ケルヒャー」恐るべしである。
マニュアルを読み読み、小学生並みのスピードで準備をして、一時間ほど洗浄したのだが、まさかここまでキレイになるとは思っていなかった。ケルヒャー恐るべし。
ただ、ひとつだけ欠点があり、組み立てたパーツの取り外しが、極めて困難なことである。
まあ、それほど大きなものではないので、パーツを外すことなく、そのままにしておけばよいのだが。
別名を「貴船菊」とも言い、英語では「ジャパニーズ・アネモネ」と言うらしい。
この花の名前の面白さは、名前に「菊」がついているのに、「キク科」ではなく「キンポウゲ科」のアネモネの仲間なのだそうだ。
花言葉が「薄れゆく愛」とか「淡い思い」であり、見た目がくっきりした花の割には何かボンヤリ感があるようだ。
午後だけ授業というのはナントもツライのである。朝はのんびり起きることが出来るのであるが、その後の時間が中途半端になってしまい、毎週この曜日に悩んでいる。
クヤシイので今日は帰りに温泉に立ち寄ってやった。
ただし、温泉も午後の四時過ぎに入らねばならず、これもナントも中途半端なのである。
しかしながら、今のところフルメンバーで5人ゆえ、休むことの出来る時間が少なく、結局早めに終了することが当たり前になってきているのです。
実に情けないことなのだが、これが歳をとるということなのですね。
(写真は一昨日撮った今年初めてのコスモス。)
まさしく立ち寄り温泉であるのだが、この温泉は御殿場市から配布される温泉チケットを利用すると、受付でバスタオルと小さなタオルの二つを借りることが出来る。
つまり、タオルが無くても身体ひとつで温泉に入ることができるのだ。
午後二時前後の温泉は、人も少なく、久し振りにゆったりと湯に浸かることが出来たのである。おおー、快適快適。
9月は農閑期であることは、すでに述べたのであるが、「養老の滝」伝説もあるという。
「続日本紀」に西暦717年の9月に元正天皇が滝を訪れ、そこを「養老の滝」と命名、さらに年を養老と改元、全国の高齢者に賜品を下した。
あるいは、こんな説もある。聖徳太子が593年9月15日に四天王寺に悲田院(社会福祉施設)を建立したから。
9月に設定されたワケはこのように諸説あるのだが、ワタシは9月9日の「重陽の節句」が無関係ではないような気がする。つまり、「重陽の節句」は「菊の節句」とも言い、その意義は「長寿を祈る」ことであるからだ。(これはワタシだけの考えなんだろうかね)
御殿場では七十歳以上になると、地区から「お祝い」があったり、市からは市内の温泉に入ることが出来るチケットが配られる。
ところで、「敬老の日」とは何だろうと調べてみると、いくつかのことが分かった。
敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。
かつて兵庫県の多可町において、昭和二十二年九月十五日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。これは当時の村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりしよう」という趣旨で開いたもので、九月十五日という日取りは、農閑期にあたり、気候も良い九月中旬ということで決められたそうだ。また、当初は五十五歳以上の人を対象に開催されたということである。
うーん、そうか。当時は五十五歳が老人か。
もっとも、この老人という言葉はかなり曖昧であり、老人=高齢者とすれば、老人は六十五歳以上となる。分かっているようで分かっていないのが、老人の定義なのであろう。
まあ、五十五歳にしろ六十五歳にしろ、ワタシはその歳はとっくに過ぎているのだから立派な老人である。したがって、人々から敬愛され、長寿を祝われ、少しだけ知恵を提供して生きていくことにしよう。
こんな訳で、今日は気分が良い。
この歳になると、毎日毎日モノを探す時間が増えてくる。
これは当たり前のことなんだろうが、こちらは何か虚しいのである。
富士に行くためには、途中「十里木」という標高が千メートル以上の所を通っていくのだが、その「十里木」はもう秋の装いであった。
もっとも、今日は御殿場でも十分に涼しく(どうも全国的に涼しかったようだが)、気持ちの良い一日であった。
この気持ち良さにつられたのか、富士からの帰りがけには、印野というところにある御胎内温泉に立ち寄る。まさに「立ち寄り温泉」であった。
ワタシはまだ「チャットGPT」なるものを使用したことがないので良く分からないのであるが、記事によると、最近「チャットGPT」の5ができたそうで、5が博士レベルだとすると、4は大学生、3は高校生のレベルだという。
知能と言う点においては、高レベルの5であるが、この5には批判が相次いでいると言う。
その理由は「人間味がない」ことらしい。
生身の人間からもっともかけ離れている「チャットGPT」に「人間味」を要求するのも変な話であるが、結局「チャットGPT」を使っているのが人間だからということなのだろうか。
確かにテニスというスポーツは、夏を代表するスポーツなのだろうが、テニスコート上の温度は、そりゃあもう想像を絶するものなのである。
まあ、その中でテニスが出来る老人たちは、健康の心配はないのであるが。
ワタシはそこで直ぐに彼の演奏をYouTubeで見てみた。
さすがakarinが尊敬していると言うだけあって、実に綺麗な音を出している。
1993年生まれの彼は、SNSを通じてその才能を世界に広めたのだと言う。その卓越したテクニックと感情豊かなプレイスタイルは、独自の音楽的世界を築いている。
まあ、ゴタクはともかく、是非一度YouTubeを見て下さいな。
そろそろ写真のストックが無くなってきており、ここで補充しようと思ったからである。
左の写真は「鶏頭(けいとう)」。花言葉は、「風変り」「おしゃれ」「個性」「気取りや」など。
よく分からんが「風変りでお洒落で、個性的な気取り屋」ということか。
ワタシがこのところお世話になっている散髪屋は、チェーン店であり、毎回担当する人が異なる傾向があるのだが、昨日はそこそこ歳を召した女性であった。
担当がそこそこ歳を召していたので、オーソドックスにやってくれるのだろうと思っていたところ、いきなり「ツーブロックにしますか?」の言葉、この髪型に「ツーブロック」はないだろうと、丁重にお断りしたのだが、人は見かけによらないものなのである。
まだ連休前の休日だからなのだろうか、温泉はそれほど混雑しておらず、ゆったりと露天風呂に入ることが出来たのである。
ワタシはもう、フルスペック(仕様や条件などが最大の状態)の仕事をしていないのだから、週に一度ぐらいは温泉に入っても良いだろうと、自分で納得しているのである。
昨夜遅くには御殿場にもこのゲリラ豪雨があって、被害こそ出なかったものの、夜中にちょいと驚いた自分を思い出した。
今日の沼津愛鷹のテニスコートは、テニスをしている人もあまり見かけることがなく、ガラガラであった。
やはりこの暑さでテニスをするのは、危険行為であり、異常なのである。われわれ老人テニスグループは異常であることが、今日あらためて認識されたのである。
御殿場ではさすがにそこまでは温度も上がらないのだろうが、「暑い暑い」が挨拶になるような日はまだ当分続きそうである。
首相が辞意を明らかにした。
一国の首相がやめるということは、「相当の何か」がある時だと思っているが、今回の辞任の「相当の何か」というのは、どうも妙なものだ。
これが勝利した側だったら、「おおーヤッター」と騒ぐのだろうが、負けた方だった時には、そのダメージは尋常ではないだろう。
ここのところのMLBのドジャースは、この負けのドラマをいくつも作っているようだ。
スポーツというのは結局は「メンタル」なんだろうね。
これぞ秋の気配である。
ここ何年か、九月という月は展覧会の準備と富士市で開講する「古典講座」で、かなりプレッシャーのかかる月を送っていたが、今年は「古典講座」が十一月にズレたおかげで精神的にはだいぶ楽である。
そしてその余波はワレワレにも襲いかかっており、T高は休講となった。
もっともワタシの場合、もともと金曜日は休業日だったため、ワレワレという言い方は適当でないかも知れぬ。
午後だけの授業というのは、何となく力が入らない。いわば午前中に自分の身体のパワーを半分消費してしまっているからだ。
今年は何かの都合でこのような時間割となってしまったのだろうが、このパターンはツライのです。
沼津の愛鷹にあるこのコートは、夏は暑いし冬は寒い、身体修行の場所には実に適したところであるが、そうは言っても今年のこと凄まじい暑さコタエルのです。
ふつうテニスと言えば夏を代表するスポーツで、爽やかささえ感じるのだが、今年に限って言えば、老人テニスはもっとも身体の危険を感じさせるスポーツなのかもしれない。
新学期が始まって二日目、生徒の方は先週から学校に来ているので、だいぶ慣れた感があったが、ワタシの方は長い「堕落した生活」からまだ完全に抜け出すことが出来ずにいる。
やはり、出遅れましたね。
授業の後に写真展の案内状を届けるために「芹沢光治良記念館」まで出かける。
記念館は海のすぐ近くにあるゆえ、湿度が高く独特の暑さであった。
何はともあれ凄い。
四歳からギターを習い始めたというのだが、実に音がキレイである。きっと基礎練習を何回も何回も繰り返したのであろう。
そしてそのテクニックと表現力にも驚く。(素人のワタシはエラそうには言えないが)
特にジミー・ヘンドリックスの「Bold as Love」のカバーバージョンは、何回聴いても飽きないのである。