他人に、面積だとか容量を想像してもらうために使用する「例え」なんだろうが、果たして「東京ドーム」を実際に見た人間がどのくらいいるのだろうか。
これは東京に住んでいる人間の驕りではないのか。
と怒ってみたが、「では代わりの例えを提示みろ」とでも言われたら降参である。
「例える」ということは難しいものである。
他人に、面積だとか容量を想像してもらうために使用する「例え」なんだろうが、果たして「東京ドーム」を実際に見た人間がどのくらいいるのだろうか。
これは東京に住んでいる人間の驕りではないのか。
と怒ってみたが、「では代わりの例えを提示みろ」とでも言われたら降参である。
「例える」ということは難しいものである。
昔は、「1億総白痴化」などというフレーズがあったような気がして、それから比べると随分増加したものだと思っていたのだが、これは大きな考え違いであった。
何でも日本の人口は、昨年一年間で80万人以上減少したそうである。
80万人というのは、およそ山梨県の人口というから、昨年一年で山梨県の人間がすべて消えてしまったことになる。
おおー、これは由々しき事であるぞ。
なお、同時に日本は世界で最も平均寿命の長い国のひとつでもであり、政府のデータによると、2020年は凡そ1500人に1人が100歳以上だったそうだ。
おおー、そんなにあったのか。
そう言えば、何を隠そう、ワタシは小学生の時に当時のクラス担任の影響を受けて、考古学に興味を持ち、沼津の愛鷹山で、サンザン縄文・弥生時代の土器拾いをしたことがあったのです。
その時に知ったのが、愛鷹山の麓にある「長塚古墳(造営は六世紀前半の推定)」だったなあ。
ん?「地球の沸騰化」?
確かにここのところの暑さというのは「度」を越している。洒落ではないが、「度」を越しているのである。
さらに、この暑さは今年だけの問題ではないというのだから、これはもう恐れ入るしかないのである。
ただ、この葉っぱ虫にも好評らしく、バッタの小さいヤツからも攻撃を受けて、若干虫食い状態のところもでてきた。
葉っぱを食すだけに、殺虫剤は使えないとおもうのだが。
面白いのは、暑い場所の代表のような沖縄では31度程であり、全国の観測地でも下から2番目なのだそうだ。
それにしても、今日の暑さは格別。
涼しいはずの御殿場でも、部屋の温度計が初めて31度を超えてしまったのである。
Friday Night Plans(フライデー・ナイト・プランズ)は、東京を拠点に活動するMasumi(女性ボーカル)を主体とした音楽プロジェクト、プロジェクト名の由来は、彼女が最も大切にしている「金曜日の夜から何をしよかとワクワクする事を思い浮かべる瞬間の感覚」から。
最初に聴いた曲は、竹内まりやのカバー曲「プラスチック・ラブ」であったが、これがなかなかいい。R&Bまたはソウルということであったが、これは明らかにジャズのテイストを持っている。
Wikipediaではこの曲のクレジットが明確にはなっていないが、参加しているメンバー(ピアノ・ベース・ドラム)の技量もかなり凄いのである。
(新潟の友人I君、是非聴いて下さいな。)
これは実に簡単な方法で、除去したい草の上に「熱湯」をかけるというものであった。
実演している動画をみると、少し時間を置くと見事に雑草は枯れており、その処理も簡単そうであった。
除草剤(結構高価なのです)を使用せずに、いとも容易く除草ができる、うん、これはなかなか良いかもしれないな。
写真展に関わって十年、今年は十一年めとなる。
昨年までは何はともあれ、まず十年は頑張ってみようと何とかやってきたが、その勢いは歳を取るにしたがって、弱まりつつあるあるのも事実だ。
ただ、ワタシからこの企画をとってしまうと、その年一年の(大げさに言えば)「生活するためのモチベーション」みたいなものが失せてしまうのも事実である。
果たして、これから十月まで頑張ることが出来るだろうか。
一時期よりは身体が楽である。
午前中は大リーグ中継、午後はラグビー中継、夕方は相撲中継と、スポーツ番組三昧の一日であった。
それぞれ熱戦ではあったのだが、結局、勝敗を左右するのは、試合中の「ミス」が如何に少ないかである。
理由はワタシの家族に代わって、高額療養費の申請手続きのためであったのだが、これがまったく分からん。
医療費が高額になった時にお世話になるのが「高額療養費制度」であり、患者自身の自己負担額を減らすことが目的である。
しかしながら、この自己負担額が「世帯の所得区分」により七種類に分かれるのだ。取り敢えず申請をすれば、患者がどの区分に属しているかわかるのだが、直接役所に出向かない限りこれは教えてくれない。
今日は何とか「減額認定証」が交付されそうなことになったのだが、これが交付されなかったら、ワタシの今日の「修善寺行き」は、まったく無駄になってしまうのだった。
富士の鷹岡というところは、富士と言っても富士宮に近いところであり、御殿場から十里木街道(富士山と愛鷹山の間にある街道なのです)を通ると、意外と短時間で行くことが出来る。
この辺りは、昔の勤務地が富士であったことから土地勘がないこともないのだが、さすがに三十年以上の月日(つきひ)が経過すると、少々分からなくなってしまうものです。
せめて六人になると身体が楽なんだがなあ。
それにしても周りのコートを見ると、シニアの大会があったのか、(かなり高齢の)オジジ・オババが沢山走り回っていた。(もちろん斯く言うワタシもオジジであるが。)
ニュースで秋田の「竿燈まつり」は実行すると告げていた。
大雨などには負けずに是非頑張ってほしいものだ。
午後には御殿場の部屋の中が三十℃を超えた。 ワタシの部屋の室温が三十℃(冷房なしで)を超えることは、極めてまれなのである。それが今日は楽々と超えてしまったのだ。
これから先の暑さが思いやられるのである。
パソコンのメール機能が久方ぶりに回復した。
ワタシが頑張って回復させたわけではないが、取り敢えずメデタイのである。
夏の暑さの本番なのだろうか、昨日は群馬県の桐生市で四十℃チョット手前の気温が記録されたそうである。
あまりにも暑いので、少し爽やかな気分になろうと、久しぶりに昔撮った「筝曲部」の写真を載せてみた。筝曲を奏でる指の動きというのは、実にしなやかであり美しい、スッと伸びた指先からは、仄かな色気さえも感じられる程である。
県の中心地であれば、普段から排水には気を使っているはずなのに、そこに水が溢れてくるとは。
おそらく、短時間のうちに想像を絶する雨量があったのだろう。
やはり、地球は壊れ始めているのだろうか。
富士霊園からの帰り道、不思議な風景を見た。
この写真で伝わるかどうか分からないが、何が珍しいかというと、(ワタシも初めて見たのだが)富士山の稜線に沿って雲が斜めに発生していたのだ。
すなわち、雲が富士山の形を造っていたのである。
今日授業したクラスは、何れも「やる気」が十分で、この「やる気」を二学期にとっておきたいような気分であった。
授業での「コミュニケーション」というのは極めて重要であり、「送り手」であるワタシと、「受け手」である生徒の「意思」がピッタリ合って、初めて授業が成り立つ。
お何を今さらと思われるかもしれないが、最近とみに感じることなのである。
このまま行くと、東京で40℃超えという記録も出てきそうな気がする。
日本てえのは、なんて暑い国なんだ。
さて、そのような危険な暑さの中、我ら老人テニス軍団は、水曜テニスを行なったのです。
なんという無謀な集団。
さすがに今日は「一生懸命はやめよう」を合言葉に、出来るだけ「手を抜く」テニスをやった次第である。
例えば、プロ野球選手の生まれ月を調査してみると、4月から6月生まれの選手が全体の34パーセントを占めるのに対して、1月から3月生まれの選手は、15パーセントに満たないそうである。
スポーツ全般で調査したわけではないと思うので、これがすべてではなかろうが、4月生まれと3月生まれでは、小さい頃の運動能力が雲泥の差であることは否めないだろう。
ちなみにワタシは、3月の終わりに生まれた「早生まれ」なのです。
これはチャンスとばかりに、帰り道にチョイと遠回りをして美術館に寄ってみた。
今日は月曜日であり、月曜休館の施設が多い中、この美術館は火曜・水曜が休館日となっており、そのせいか観覧者も少なく一人でじっくりと観ることができたのである。
鋭い強烈な線をその特徴とするビュッフェは、割と好き嫌いが多い画家であるが、ワタシはその線と色使いが好きで、ビュッフェ美術館にはよく通っている。
強烈な線もなかなか良いものですぞ。
写真は、T高校の職員室、ワタシの机付近から見える富士山である。
良ーく見ると分かるのだが、ベランダの手すりの上に鳥が止まっている。
何という種類の鳥か、ワタシには不明、ただ簡単には逃げようとはせず、人間に慣れているような感じがした。
御殿場からおよそ二時間、伊豆縦貫道のおかげで随分早くなったものだ。
ただし、二時間の運転、しかも結構な山道を通っていかねばならず、この歳のドライブは辛いのです。
新津と言えばワタシの新潟の友人が仕事をしているところである。
暑さで体調を崩していないだろうか。
まだ7月の上旬というのにこの暑さ、先が思いやられるのである。
ワタシはOutlookのメールを利用していたのであるが、このOutlookメールがまだ回復していないのです。
困ったものだ。
やはり、ここの蕎麦はいいなあ。
蕎麦というのは、それこそ個人の好みがあるので、ワタシが美味いからと言って他の人が美味いと思うかどうかは分からないのだが、それはそれとして、ここの蕎麦は美味いのである。
蕎麦の隣の皿には稲荷寿司と大ぶりなウリの漬物、これもなかなか美味いのである。
ただ、水曜テニスのメンバーが高齢化してきており(長くやればやるほど高齢化するのは当たり前であるが)、最低四人は必要な我々のテニスにおいては、この先がかなり不安なのである。
新聞広告に「テニスメンバー募集」とでも出してみようか。
歴史の本であるのだが、その本をチラリと見て驚いた。
まず、今の歴史の授業では聖徳太子のことは、聖徳太子とは言わず、厩戸皇子(うまやどのおう)ということが分かった。
どうも「聖徳太子」という人物は実在していたのかどうかも分からないそうである。(諸説ありそうなので迂闊なことは言えないが)
大体、我々がお札でイメージしている聖徳太子像は、太子の死後百年以上経ってから描かれたもので、このあたりも太子が実在していたかどうかの問題となっているようだ。
歴史というのは恐ろしいものだ。(国語の教員で良かった。)
一年生の教室でテスト監督をしていると、「情報」の時間にテキストとして使うという「日本語のスピード入力」なるものがあった。
おおー、パソコンの日本語入力には「スピード」も大切なんだ。
ワタシなんぞは、こんなものが試験科目にあったら赤点確実だろうね。