御殿場の図書館は別の場所に新たに移転するため、現在地の図書館は九月いっぱいの営業となるそうだ。
なかなか趣のある図書館だったのに、少々残念である。
御殿場の図書館は別の場所に新たに移転するため、現在地の図書館は九月いっぱいの営業となるそうだ。
なかなか趣のある図書館だったのに、少々残念である。
御殿場もその例にもれず、今までの御殿場では経験したことのない暑さであった。
明日で八月も終わりだというのに、この先の気温が思いヤラレル。
いよいよ新学期も始まる。
ワタシの一番の心配は、「果たして声が出るだろうか」である。教員というのはヤクザな仕事で、常に大声で話さねばならない。もうひと月以上大声は出しておらず、「果たして声がでるだろうか」なのである。
 
相変わらず時間がかかる。
開院前に出かけて受付を二番目としたのだが、すべてが終了するまでには一時間半以上の時間を要したのである。
まあ、これでも早い方なのであろう。
医者には医者の都合があって、受付順に患者(ワタシの場合は患者ではないのかな?)を診る分けでもないので、その辺の事情はくみ取れるのであるが。
 
写真展まで後(あと)ひと月ちょっと、大筋の写真は出来上がったのであるが、細部の詰めがまだ出来ていない。
毎年毎年、「良くやるなあ」と自分でも思っているのです。何故なら歳を取ってジジイになって行くのに、準備しなければならないことが、より多くなっているから。
もうここまで来たら「意地でもやるぞ」の精神で乗り越えるしかないのです。
誰かウソでもいいから励まして下さい。
御殿場は部屋でジッとしていれば、それほど「暑い暑い」と騒ぐ必要もないのだが、風がパタリと止んで湿度が高かったりすると、やはり他地域同様の不快感も感じられる。
今日はかぜがあるので、まあまあ快適なのである。
(写真はかつての勤務校で、夏の勉強合宿をした時の一枚、生徒が履くためのスリッパを撮ったものである。)
 
この曲は映画”Something to Shout About”の主題歌として1942年に作曲された。コール・ポーターの作詞・作曲で、米国では1943年、ダイナ・ショアが歌ったRCA盤がヒットした。
日本では1952年の録音したヘレン・メリルのアルバム(クリフォード・ブラウンがトランペットを吹いている超有名盤なのです)が大ヒット。「帰ってくれたらうれいしいわ」という邦題が付けられた。しかしこの邦題は、どうやら「歴史的な誤訳」らしい。
誤訳の邦題を付けたのはタレントの大橋巨泉氏で、極めて短く分かりやすいのであるが、最近の邦題は「誤訳」を排除して、長いカタカナ表記となったとある。
以下ウィキペディアによると
原題は、コール・ポーターらしいとも言えるが、英語文法的にはかなりまわりくどい表現となっている。
日本語訳する際に問題となりやすいのは最後の「come home to」の「to」である。これはTough構文と呼ばれるもので、文頭の「You」が「come home」の目的語になっている表現であり、原題を言い換えるならば「It would be so nice to come home to you.(あなたのいる家に帰って行けたらなんと素敵なことだろう)」となり、家に帰るのは「あなた」ではなく「私」である。
忠実に日本語訳しようとすると上記のようになるのだが、邦題の「帰ってくれたらうれしいわ」は「歴史的な誤訳」とも評される。この邦題の場合、家に帰るのは「私」ではなく「あなた」ということになり、意味が逆になっている。この邦題は、大橋巨泉がつけたものだが、後に大橋は、間違った愚かな奴がいると、翻訳の誤りを何度も語っている
「誤訳」ではあるが「帰ってくれたらうれしいわ」の方が、何となくインパクトはあるなあ。
こんな時には部屋の中でじっとしているしかないのであるが、それも長く続くと、今度は身体の方ではなく、心の方がやられそうなのである。
来週はもう九月となるのだが、予報ではまだまだ暑さは「和らぐ」ことはないそうだ。
うーん、キビシイなあ。
 
少しでも風が吹いていると、同じ気温でも大分身体は楽である。
楽は楽だが、八月もそろそろ終盤にかかってきており、夏休みの間にやっておかねばならぬ事に追われる今日この頃なのである。
これでは小学生の「夏休みの宿題」と同じではないかと、呆れかえるジジイでもあるのだ。
 
「暑ければエアコンをつけりゃあ問題がないだろう」と思われるかもしれないが、それが出来ないのが老人なのです。
今年はいろいろな所で言われている。
これからの日本には、「秋」とか「春」という季節がなくなってしまうのでは?
テナーサックスのワンホーンカルテットであり、1967年ジョン・コルトレーンが亡くなってからその後を引き継ぐように、コルトレーンカルテットの重要なメンバー、マッコイ・タイナー(ピアノ)とエルビン・ジョーンズ(ドラム)と一緒に、まるでコルトレーンの精神が乗り移ったような演奏をしている。
何と言ってもアルバムタイトル「インナー・アージ(内に秘めた衝動)」が、そのことを物語っているのである。
昨夜遅く(正確に言えば午前1時頃なので今朝早くになるのだろうか)、例によってネットサーフィンをしていると、「思わぬメッケモの」があった。
右の写真エリック・クラプトンの「枯葉」である。
エリック・クラプトンというのは、紛れもなくロックの大スターであるのだが、この大スターが、シャンソン「枯葉」をジャズ風に(ブルース風と言った方が良いのかもしれぬ)歌っているのだ。
これはもう音楽のジャンルを超えた優れものなのである。
 
今では差別用語なのか、あまり使われない言葉に左利きを表す「左ギッチョ」がある。
「ある」と言っても元々この言葉は認知度があまり高くないと思われるので「何を今さら」なのであるが、少なくともワタシの子供の頃には当たり前のように使われていたものである。
ちょっと気になったので語源を調べてみると、辞書には次のようにあった。
まず、『大言海』では、「不器用」が「ぶきっちょう」に転じたのと同じように、「左器用」が「ひだりぎっちょう」に転じたとする。日常的に口にしているうちに変化しそのまま書き言葉として通用するようになり、さらに文字化された。
さらに別の辞書では、「ギッチョ」というのは、左利きの人が「毬杖」を左手に持ったことによる。
 毬杖(ぎっちょう)」とは、木製の鞠(まり)を槌形(つちがた)の杖で打ち合う遊戯。また、その杖。新年を祝う行事として子供によって行われる。(『例解古語辞典[第3版](三省堂)』、『広辞苑 第5版(岩波書店)』)とある。
何れにしても「ギッチョ」の語源はあまりハッキリしないのである。
ただし、晴れたら晴れたで懸念されるのが気温の上昇、40℃ 前後の気温が当たり前のように出てくる今の日本列島は、やはり何かおかしいのである。
半額というのは「消費期限が本日まで」ということで、パンに関してはそれほど気にならない。
今日は何だか品のよさそうな「こんがりと焼きあげたチーズロール」と「パン・ド・カンパーニュ」という二つのパンを買ってきた。
正価がそれぞれ二枚入り178円と168円、年寄りには「いいお値段」であるが、なんとなく美味そう、食べるのが楽しみである。
 
何と云うか「地図帳」には是非欲しい、一か所にすべてが揃っている所だったのだ。
少なくとも西暦2000年以前は。
ところが今はどうだろう。
駅前の一等地にあったデパートはすべて撤退、その代わりにマンションなどが建つ街と化してしまったのである。もっとも、経済や文化が大都市に集中し、寂れゆく地方都市のこのような現象は、沼津だけでなく全国的なものであるようだが。
 
現在、御殿場地方は「雷雨注意報」が出ているので、湿度も高いのであろう。
八月もそろそろ折り返し、ボーッとして何だか分けの分からないうちに、日々は過ぎていくのである。
 
ワタシの好きなアルトサックス奏者にジャッキー・マクリーンがいるが、彼は実に不思議なプレーヤーであり、ある評論家は「ピッチのズレ、くすんだ感じの音色、スムースとは言い難い詰まった感じのフレージングが特徴である」と言っている。
それでも多くのファンに支持されたのがジャッキー・マクリーン、ジャズにおいて大事なのはピッチを超えた何かなのだ。
 
ジャズとは何だろう?
と考えた時に、ワタシの頭の中に最初に浮かんだのが、リズムの「ズレ」という言葉である。ただこの「ズレ」を論理的に説明することが出来ずにいたのであるが、先日「インターネット」を見ていると、「 Mistletoe Music School」の「Mistletoe Jazz Class」というテキストの中に、次のような部分を見つけた。
とあった。
よく「アフタービート」なる言葉は耳にしていたのだが、その正体は「音を少し遅くする」ことであり、ワタシの考えていた「ズレ」だったのだ。
今回の雨雲は、ほぼ日本中をオオっており、しかも雲がなかなか抜けて行かないというイヤらしいものであった。
これからの日本列島は、これが当たり前となって行くのだろうか。
写真は昨年撮った「晴れている時の富士山」である。
「じょうろ」とは、植物に水をかけるために使う道具のアレである。漢字で書くと「如雨露」、「雨露の如し」である。江戸時代には「上漏」とか「上露」といった当て字も存在したと言う。
語源辞典には「じょうろ」は「水の噴出」を意味するポルトガル語「jorro」、もしくは、「水差し」を意味する「jarra」からと考えられる、とある。
ふーん、知らなかったなあ。
 
ワタシはこれをチャンスとばかりに、写真展用の作品を作ることに熱中したのです。
不思議なもので、時間は有り余るほどあるのに、作品を作ろうとする気力が湧いてくるのは限られた僅かな時間しかないのです。
ナンカ芸術家みたいな物言いだなあ。
 
キャスター曰く「危険が予想される地域の方は、これからの大雨に対して五感を研ぎ澄まして注意して下さい」。
「土砂崩れなどに注意してください」と、言いたいことは十分かるのだが、「人間の五感」とはなんぞや。
これは勿論、自分の周りの状況を見ることの「視覚」、聴くことの「聴覚」、臭いを感じる「嗅覚」、さらに肌で感じる「触覚」、まあここまでは良いのだが、残りの「味覚」はどう注意しろと言うのだろう。
別に「揚げ足を取る」つもりはないが、どうも妙だぞ。
雑誌に曰く「ミュージシャンの演奏技術に巧拙があるのと同じように、リスナーの聴取・鑑賞にも技術が必要である。勿論音楽はただ楽しめばそれで良いし、人それぞれの聴き方がある。しかし、音楽を聴く技術は確実に存在する。音楽を聴いてそのその面白さをどこまで感じとることができるか。文章であれば『読解力』というところか。この『読解力』がなければ新聞や小説は理解することが出来ないのである。」
うーん、確かにその通りである。ただ単に「良い悪い」の判断でジャズを聴く分には、この「読解力」など必要ないのだろうが、より深く理解するためには「読解力」は必ず必要となってくる。
考えてみれば、ワタシのような教員が、教材をより深く生徒に理解させるために行なっているのが、「読解力」を身につけさせる作業なのだ。
昨日の伊勢崎市に続いて今日も「暑さ」の話題である。
静岡県の一部である御殿場も今日はさすがに暑く、昨日の室温29℃に対して、32℃、ワタシの部屋において歴代1位の記録である。
予報によると、明日でこの暑さも一段落するようだが、この夏の暑さはまだまだ油断できないのでしょうね。
話は変わるが、このブログ(「は」の字日記)の国別閲覧数を見てみると、この24時間でシンガポールから「216」の閲覧があった。何はともあれ、ブログに興味を持っていただけたことは、嬉しいことである。
 
しかも関東地方では、40℃以上の観測地点が数多く出ており、記録的な1日となったそうである。
日本列島はこれから一体どうなってしまうのだろうか。
幸いなことに御殿場の現在の室温は29.3℃、暑い所の人には申し訳ないが、昨日に続いて比較的快適なのである。
今週はこれからあと雨が降る予報も出ている。全国的に渇水の状態が続いているようなので、今回の雨は恵の雨となるのであろう。
写真は極めて分かりにくいが、散歩コースの途中にある「金のシャチホコ」のある家、家主はどうしても屋根にシャチホコを載せたかったのでしょうね。
 
人間はこんなふうにして、だんだんボケていってしまうのだろうな。
写真は以前「秩父宮記念公園」で撮ったルドベキア、和名は「オオハンゴンソウ(大反魂草)と言い、風に揺れる大きな葉が手招き(死者の魂を呼び戻す)しているようにみえるからなのだそうだ。
ここのところ毎日毎日「詐欺メール」と思われるメールが100件以上あったのに、今日は午前中に数件しかみられないのである。
「詐欺メール」の送信者が夏休みにでも入ったのであろうか、はたまたこの暑さゆえ送信意欲が低下したのであろうか。
何れにしろ、この傾向は好ましいことである。
 
台風が上陸しないまま、何だか知らんが、いつの間にか八月になってしまったようである。
昼の情報番組を観ていると、東京の渋谷では通行人が傘をさして歩いている映像が流れたので東京は雨、こちらは多少台風の影響を受けたのであろう。
ここ御殿場は相変わらずの「ピーカン」であるのに。
まだまだ異常な暑さの夏は終わらないのだなあ。