今回の雨雲は、ほぼ日本中をオオっており、しかも雲がなかなか抜けて行かないというイヤらしいものであった。
これからの日本列島は、これが当たり前となって行くのだろうか。
写真は昨年撮った「晴れている時の富士山」である。
今回の雨雲は、ほぼ日本中をオオっており、しかも雲がなかなか抜けて行かないというイヤらしいものであった。
これからの日本列島は、これが当たり前となって行くのだろうか。
写真は昨年撮った「晴れている時の富士山」である。
「じょうろ」とは、植物に水をかけるために使う道具のアレである。漢字で書くと「如雨露」、「雨露の如し」である。江戸時代には「上漏」とか「上露」といった当て字も存在したと言う。
語源辞典には「じょうろ」は「水の噴出」を意味するポルトガル語「jorro」、もしくは、「水差し」を意味する「jarra」からと考えられる、とある。
ふーん、知らなかったなあ。
ワタシはこれをチャンスとばかりに、写真展用の作品を作ることに熱中したのです。
不思議なもので、時間は有り余るほどあるのに、作品を作ろうとする気力が湧いてくるのは限られた僅かな時間しかないのです。
ナンカ芸術家みたいな物言いだなあ。
キャスター曰く「危険が予想される地域の方は、これからの大雨に対して五感を研ぎ澄まして注意して下さい」。
「土砂崩れなどに注意してください」と、言いたいことは十分かるのだが、「人間の五感」とはなんぞや。
これは勿論、自分の周りの状況を見ることの「視覚」、聴くことの「聴覚」、臭いを感じる「嗅覚」、さらに肌で感じる「触覚」、まあここまでは良いのだが、残りの「味覚」はどう注意しろと言うのだろう。
別に「揚げ足を取る」つもりはないが、どうも妙だぞ。
雑誌に曰く「ミュージシャンの演奏技術に巧拙があるのと同じように、リスナーの聴取・鑑賞にも技術が必要である。勿論音楽はただ楽しめばそれで良いし、人それぞれの聴き方がある。しかし、音楽を聴く技術は確実に存在する。音楽を聴いてそのその面白さをどこまで感じとることができるか。文章であれば『読解力』というところか。この『読解力』がなければ新聞や小説は理解することが出来ないのである。」
うーん、確かにその通りである。ただ単に「良い悪い」の判断でジャズを聴く分には、この「読解力」など必要ないのだろうが、より深く理解するためには「読解力」は必ず必要となってくる。
考えてみれば、ワタシのような教員が、教材をより深く生徒に理解させるために行なっているのが、「読解力」を身につけさせる作業なのだ。
昨日の伊勢崎市に続いて今日も「暑さ」の話題である。
静岡県の一部である御殿場も今日はさすがに暑く、昨日の室温29℃に対して、32℃、ワタシの部屋において歴代1位の記録である。
予報によると、明日でこの暑さも一段落するようだが、この夏の暑さはまだまだ油断できないのでしょうね。
話は変わるが、このブログ(「は」の字日記)の国別閲覧数を見てみると、この24時間でシンガポールから「216」の閲覧があった。何はともあれ、ブログに興味を持っていただけたことは、嬉しいことである。
しかも関東地方では、40℃以上の観測地点が数多く出ており、記録的な1日となったそうである。
日本列島はこれから一体どうなってしまうのだろうか。
幸いなことに御殿場の現在の室温は29.3℃、暑い所の人には申し訳ないが、昨日に続いて比較的快適なのである。
今週はこれからあと雨が降る予報も出ている。全国的に渇水の状態が続いているようなので、今回の雨は恵の雨となるのであろう。
写真は極めて分かりにくいが、散歩コースの途中にある「金のシャチホコ」のある家、家主はどうしても屋根にシャチホコを載せたかったのでしょうね。
人間はこんなふうにして、だんだんボケていってしまうのだろうな。
写真は以前「秩父宮記念公園」で撮ったルドベキア、和名は「オオハンゴンソウ(大反魂草)と言い、風に揺れる大きな葉が手招き(死者の魂を呼び戻す)しているようにみえるからなのだそうだ。
ここのところ毎日毎日「詐欺メール」と思われるメールが100件以上あったのに、今日は午前中に数件しかみられないのである。
「詐欺メール」の送信者が夏休みにでも入ったのであろうか、はたまたこの暑さゆえ送信意欲が低下したのであろうか。
何れにしろ、この傾向は好ましいことである。
台風が上陸しないまま、何だか知らんが、いつの間にか八月になってしまったようである。
昼の情報番組を観ていると、東京の渋谷では通行人が傘をさして歩いている映像が流れたので東京は雨、こちらは多少台風の影響を受けたのであろう。
ここ御殿場は相変わらずの「ピーカン」であるのに。
まだまだ異常な暑さの夏は終わらないのだなあ。