明日から期末試験(今年からは期末試験とは云わず「総合考査」ということななったようだ。)が始まる。
昨年までやっていた中間試験が無くなったので、生徒にとっては「一発勝負」なのだが「本当に大丈夫なのだろうか」という危惧が出てくるのである。
明日から期末試験(今年からは期末試験とは云わず「総合考査」ということななったようだ。)が始まる。
昨年までやっていた中間試験が無くなったので、生徒にとっては「一発勝負」なのだが「本当に大丈夫なのだろうか」という危惧が出てくるのである。
年寄りの「真夏のテニス」は、危険を伴うためなかなか難しいのです。テニスと言えば「真夏のスポーツ」だったのですがね。
七月の初旬は学期末テスト、そしてそれに伴う「学期評価」、さらに御殿場市の「古典講座」と、ワタシにとっては忙しい時期を迎えるのです。
驚くべきは「ニセクロホシテントウゴミムシダマシ」と名がついていたムシ。
丸っこいテントウムシのような体に、黒い紋が入っているゴミムシダマシ、で似ている昆虫に「クロホシテントウゴミムシダマシ」がいるが、胸部の模様で区別することができるのだと。
「クロホシテントウゴミムシダマシ」がどのようなムシか理解していないワタシにとっては、頭に「ニセ」が付こうが付くまいが、どうでもいいことなのだが。
「現在、アジサイの生育状況が芳しくなく、見頃を迎えることが難しいため今年はアジサイロードの開放を見送ることに決定しました。」
うーん、ガックシである。
やはり、昨今の異常気象はこんなところまで影響を与えているのだ。
(写真は昨年撮ったアジサイである。)
今年は先週「秩父宮記念公園」まで様子を見に出かけたのであるが、まだ早かったようで、出直すことにした。
「秩父宮記念公園」には紫陽花ロードというのがあって、花の咲くころには結構な人出である。
次の休みには行ってみようかしら。
味は勿論なのだが、十七センチ四方の正方形の箱に、規則正しく並んでいるその姿は実に美しかった。
しかしながら、ワタシがより惹かれたのは、箱の上に貼られていたシールのデザインである。
シンプルだがインパクトのあるデザインはブラボーなのである。
なんでも養殖ウナギの稚魚というのは、ストレスを受けると「オス」になるそうだ。(生まれた時には性別はまだ決定していないのですね。)
何故「オス」になるのかまでは言及していなかったが、今のところ養殖ウナギは「オス」の方が圧倒的に多いのだとか。
一体、ウナギの「オス」はどんなストレスを受けていたのだろうか。
さて、明日からはナント台風に対する注意が必要ということである。
先週には考えもしなかったことだ。
まったく、イマドキの天気は難解なのである。
今日も高原御殿場は湿度が低く快適である。(冬寒いのだからこのくらいの恩恵は当然なのだ。)
さて、こんな日の午後はジャズでピアノトリオだと、ビル・エヴァンスの「THE BILL EVANS ALBUM]を聴く。けっして名盤と言われるものではないが、心地がよい。
これは1971年に録音されたCBS移籍後のファーストアルバムであるのだが、ベースがエディ・ゴメス、ドラムはマーティ・モレルという、かつて生で聴いたことのあるトリオでもある。
1960年代に世界中のジャズ・ピアニストにもっとも大きな影響を与えたビル・エヴァンス、その油ののった演奏を、50年以上経った今日聴くことが出来る幸せ・・・なのである。
ここは、(たぶんチェーン店だと思うのだが)一度店まで行って予約をし、指定された時間(およその時間)にもう一度店を訪れるといったシステムなので、無駄な待ち時間がなくて助かるのである。
さあ、これで猛暑を迎える準備がができたぞ。
涼しいところから暑い所への移動は、それだけで何か気が重くなる。
ただし、授業自体はやっていて気分がよく、これは偏(ひとえ)に気分よくやらせてくれる良い子たちのお陰だと、感謝する次第なのである。
特に愛鷹のコートは日差しを避ける場所がほとんどなく、常にコートの上の灼熱状態の場所に居なければならない。
今日の夕方のニュースでは、全国的に「熱中症」の患者が増え、中には亡くなった方もいるということを告げていた。
老人集団(ほとんどが後期高齢者)であるワレワレの集団は特に注意なのである。
(写真の花は先週撮った「ムラサキツユクサ」)
六月の中旬なのに全国的に「猛暑日」の地点が多く見られるのだ。(全国一は甲府の38.2℃だということである。)
幸いなことに我が御殿場は気温が30℃に届かず、チョイと暑いかな程度なのだが、先が思いヤラレル今年の夏である。
明日は水曜テニス、老人は特に注意だ。
歳を取ると、暑さにたいしての身体の順応が鈍く、馴れないまま戻ってくると身体の方は何が何だかわからなくなってくるのです。
チョイと前まではこんなことは思ってもいなかったのだが、これが現実だ。
これからは「御殿場の天下」ですな。
右の写真は、昨日「秩父宮記念公園」で撮ったバラである、「花海棠(はなかいどう)」にもよく似ているが「秩父宮記念公園」のバラ園にあったので、たぶんバラなのだろう。
ただ、「花海棠」も中国原産のバラ科の植物らしいので、本当は何なのかワタシにもよく分からないのである。
さて、今「咲き乱れる」と書いたが、「咲くこと」に関してもう一つの似た表現に「咲き誇る」というのがある。
早速ネット検索をしてみると、「咲き乱れる」とは「たくさんの花が一面に咲いている様子」、一方「咲き誇る」のは一輪であっても複数であっても「周囲を圧倒するほどの存在感のある花が咲いている様子」だという。
つまり、威圧感があるのが「咲き誇る」、ないのが「咲き乱れる」ということだ。
記念公園のバラは威圧感はなかったなあ。
そろそろ紫陽花かと思って出かけたのだが、「紫陽花の花」は、まだほとんど咲いておらず、目についたのが「ドクダミの花」であった。
「ドクダミの花」を見ると思い出すのが、北原白秋の歌 である。
静岡県の軽井沢である御殿場は、これから素晴らしい季節となるのである。冬寒いのだから、このくらいの恩恵はないとね。
ここのところ、「深夜にネットサーフィン」を続けている。
家族が寝静まってからヘッドホンを耳にあててジャズを聴く、これですなあ。
この先、土曜日、日曜日までは雨降りの予想が出ているが、なんと来週の火曜日以降は、三十℃超えの真夏日が続くということである。
ちょっと前に「梅雨入り」だと言っていたのに、やはり異常気象はこれからもずっと続くのだろうか。
すべての若者がそうではなかろうが、極端な例として、結婚式場での「三十分結婚式」というプランがあって、金額も七万円程度で行なうことが出来るらしい。
当然、披露宴の食事などは省略されるのだろうが、良い悪いは別として「とうとうここまで来たか」である。
一日をほぼ「無駄な時間」で過ごしているワタシなんぞ、これから一体どうしたらいいのだろう。
蜂のように刺されることはないと判断して行なった動作なのだが、生徒にしてみれば「有り得ない」行動だったのだろう。
イマドキの若者は虫も触れないのか?
雨は降らないと困るが、降り過ぎても困る、実にやっかいなもののようだ。
六月は「水無月」と書くが、雨が多く「水」があるはずなのに「水」の「無い月」と書くのはこれ如何に。
「水無月」語源の有力な説は、「無」の字は助詞であり、「~の」という意味だという説である。したがって「水無月」は「水の月」、つまり「水が豊富にある月」となるのである。
なるほどね。
この暑さは夏なのである。
暑くはあるが、暑いことを覚悟して空き家になっている沼津の実家まで、草取りに出かける。
あまり草茫々となって、近所から苦情でも出たら困るからだ。
しかしながら、暑い時期の草取りはやりシンドイなあ。
面目ねえ、これは完全にワタシの記憶違いである。
では、何故このような記憶が残っていたのだろう。これはまったく分からない、ただ単にワタシの思い込みなんだろうね。これが歳を取るということなのです。
彼の印象をつらつら考えてみるに(個人的にはあまり興味のある人物ではなかったが)、ミスター(ミスターだけで誰であるか通じてしまうのはすごいなあ)があの有名な「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残した引退のセレモニー時に居た場所が、東京の府中にあった友人の下宿であったことくらいだろうか。
これは今年の梅雨なのであろうか。
今、三年生の古典では「徒然草」の「あだし野の露消ゆるときなく」という教材を講義しているのだが、そこには「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどに死なむこそ、目安かるべけれ。」と書かれている。
「目安かるべけれ」とは、「見苦しくないだろう」という意味だが、「人は長生きすると恥をかくことが多くなる、四十までには死ぬべきだ」と言っているのだ。(おおー、兼好はすごいなあ。)
当時は人生五十年の時代なのであろうが、確かに歳をとってくると「恥」は多いのです。
うかうかしているとスグ七月、七月には期末テストと古典講座が控えている。
そろそろ準備をして行かねばと考えるのであるが、年々準備が億劫になって行くのである。
ところで億劫とは何か?
「億劫」とは、「面倒くさくて気が進まないこと」、簡単な言葉に直すと「やる気がおきない」という意味の言葉である。何かをすることがわずらわしく、実行する気にならないさまを表現する。読み方は「おっくう」が基本であるが、「おっこう」と読むこともある。
これは仏教用語から来た言葉で、「億劫」の「劫」は仏教において長い時間の単位を表す言葉、昔のインドでは「カルパ」と言われ、その漢字「劫波」、さらにこれを略したのが「劫」だという。さらに「劫」の億倍が「億劫」であり、それほど長い時間を表す言葉が「億劫」ということだ。
さて、その答えは「火星」であるのだが、20キロといえば、高さ20000メートル、想像を絶する高さだ、そしてその裾野はなんと600キロメートルにも及ぶそうだ。
もっとも、はるか昔の日本にも高さ10000メートル級の山が、穂高連峰あたりに存在していたらしいので、「なるほどな」である。
今日も気温が急降下、部屋の中にいても肌寒いのである。
明日からはもう六月ですぜ。
昨日の「耳音響放射」に続いて、今日は「プルースト効果」である。
「プルースト効果」とは、特定の香りを嗅ぐことで古い、または忘れていた記憶を鮮明に思い出す効果を指す。また、プルースト効果が表れる仕組みは、嗅覚がダイレクトに大脳辺縁系を刺激するから、ということらしい。
「自発耳音響放射」とは、静かな場所で脳から聴こえる単調な高温で、生理的耳鳴りともいうらしい。
要するに、漫画などで使われる「シーン」である。
音もしないのに「シーン」とは妙だと思っていたが、実際には脳の中で「シーン」という単調な高温が聞こえているのだろうか?
6限ひとつだけの授業というのも、何だかいまひとつ気合が入らず、御用聞きに来た生徒にも「いいか、今日はお互いカラ元気で行くから」と、何だか良く分からない気合を無理強いする態であった。
御殿場は今日も長袖。
やはり、テニス日和(年寄りにはやや暑いが)の中でテニスが出来ることは嬉しい。
心も弾むのである。
昨日、二年生の授業時にインターネットによる「モスキート音」の確認をしたのだが(現在の生徒たちは皆インターネットに接続できるタブレットを各自持っているのです)、ワタシは六十代で聴くことの出来る「モスキート音」は聴こえたのだが、五十代はまったく聴こえなかったのです。
御殿場長袖、下界半袖というのが当たり前が今日この頃なのだ。
夜になって雨、この雨というものが寒さを余計に際立たせるのであるが、なんと明日は急に暑くなるらしい。
なんという「老人虐め」だ。
「老いさらばえる」と言う言葉がある(まさにワタシのことであるが)、意味は「高齢になって衰え、粗末な外見になる」とあるが、語源がどうもはっきりしない。
ネット検索してみると、次のような記事があった。
もともとは「痩せさらぼふ」という古語が、平安期に「痩せ給へる事、いとほしげにさらばひて…」(「源氏物語 末摘花」)と痩せと離したり、省略したりした用法もみせ、やがて中世には「老ひばむ」+「痩せさらぼふ」という連語として用いられるようになったと見られる。 それより以前、万葉の頃には「疲れ果てる/痩せ衰える」意味では「嬴(みつ)る」があったそうだ。
今年度は金曜日が休業日ゆえ、毎週毎週三連休なのである。
三日も休みがあると、いろんな事が出来るだろうと思っていたのだが、さにあらず、これがなんとなくダラダラと三日間を終えてしまうのが現状なのです。
一日平均100通前後が届くので、削除がかなり面倒くさい、メールも「すべて削除」を使用すれば簡単なのだが、中には大事な連絡メールもあるので、「すべて削除」とはいかないのである。
何か簡単に削除する方法はないのだろうか。
今日も体感では五℃以上の差があったように思う。
やはり、これだけの差があると、老人はコタエルのです。
身体が暑さに慣れることの「暑熱順化」などと言う言葉もあるが、 これをしかりやって行かないとまずいのでしょうね。
現在水曜テニスは、フルメンバーでも六人である。したがって三人が休むと中止せざるをえないし、二人休むと今日のようにギリギリでやらなければならない。
そして人数がギリギリの四人であるということは、単独の休憩時間が無いと言うことでもあるのだ。
イヤハヤ、だれか水曜日にテニス可能な人はおらんかのう。
何故田んぼの中にあるのか、よく分からないのであるが、(田んぼの中にわざわざ作る必要もあるまい)何はともあれ田んぼの中にあるのである。
自宅の御殿場と長泉町にある勤務先の学校の温度がエラク異なっているようだ。
上着一枚違うのだから。
最近の生徒はあまりテレビを見ることをしないので、むしろテレビをよく見て、世の中に興味を持っている生徒の方がまともなような気がする。
つまり、どこかの大統領のように、自分に都合の良いSNSを大事にして、既存のマスメディアを目の敵のようにしていることと同様の傾向があるのではなかろうか。
マスメディアがすべて正しい報道をするとは限らないが、SNSにはどうも不健康なニオイがする。
もっともそういうワタシもSNSを多く利用しているのだが。
実は「々」は漢字ではなく記号である。
「々」は「踊り字」であり音を表さない、さらに「佐々木」と書けば「さ」、「人々」と書けば「びと」と、その前の漢字によって変化し、「々」独自の音はない。
音を表さないため、字ではなくなって漢字ではないということになる。(漢字ではないのに漢和辞典に掲載されているのも妙だが。)
結局「々」は「踊り字」、「繰り返し記号」と呼ぶ「記号」なのである。
何でも御殿場駅近くのアンダーパスが危ない状況らしい。
確かにあの場所は、御殿場線の線路下であって、さらに歩道横を用水のような水路が流れている場所なので、水が溢れ出ても不思議ではないのだろう。
「勤」の方は良いのだが、問題は「怠」である。
漢和辞典で「怠」の字義を見てみると、「怠」という漢字の意味は
①おこたる ㋐なまけるさま㋑だらけるさま㋒あきるさま。つかれるさま。
②おざなりにする。㋐あなどる。
とあって、これ以外の意味はないのである。
変ではないか。ワレワレが休暇を取るのは「おこたる・なまける」とか「おざなりにする」からなのか?
今日の学校からの帰りがけ、農道をを走っていると、周りの山の色が「春の色」から「夏の色」に変化していることに気がついた。
いよいよ去年のような暑い夏が始まるのだろうか。
いつも長い休みの明けた時に言う言葉だが、「やはり学校はいいなあ」である。人間には「リズム」というものが不可欠なのである。学校と言うところは、その「リズム」を提供してくれるのである。
学校帰りに御殿場図書館に寄って、今年の夏の「古典講座」の打ち合わせをしてくる。
今年度、御殿場図書館は別の場所に新図書館が出来るため九月で閉館、例年三月前後に開催していた「古典講座」が七月に移動、そのための打ち合わせであった。